晴れているが、ひどく寒い。
大島をはじめ利島、新島も、晴るれば遠く三宅島まで
油槽船や貨物船も遠くゆつくりと右手に動く下田を越えて
東に面する宿の七階の湯に沈む。昼の明るき伊豆の海なり
『孟子』離婁章句上83 孟子曰く、「人の其の言を易くするは、責め無きのみ」
人がまた軽々しくもものをいふ責任感が乏しきゑなり
川本千栄『土屋文明の百首』
作るほど下手になるといふ理論自ら明かす如く作り来たりぬ 『続々青南集』
<歌は作るほど上手くなるのでなく、下手になるという理論を、自ら証明するように作ってきた。>
「来りぬ」は「きたりぬ」。昭和四十八年八十二歳の作。長く続けると、歌を作る知識や技術は増えても、新鮮な感覚や、素材に向かう熱量は失われてゆく。自己模倣に陥る危険性も増える。老歌人の卑下と取られかねない内容を臆さずに口にする。どんなに劣化しようが、それでも歌を作らずにはいられない業のような何かが、歌を作る人間にはある。その何かに駆られて歌って来た自覚が底にあり、卑下や謙遜とは違う歌になっている。
東西南北中高層ビルにかこまれてすぐに分るよぼろ屋文明 『青南後集』
<東西南北を中高層ビルに囲まれたぼろ家だから、すぐに分かるよ。ぼろ屋文明より。>
昭和四十九年「老の家居」より。一家が疎開先から帰った昭和二十六年、あたりはまだ戦後の荒廃が残っていたが、それから二十年以上経ち、東京青山の風景は一変した。この歌は、家への道案内を記したはがき歌風の文体で、「分るよ」と会話体で気さくに話しかけ、姓「土屋」を「ぼろ屋」に変えて署名のように付け加える。文明八十三歳、歌壇の重鎮の位置に安住せず、軽みとユーモアを武器に飄々と新しい試みを続けていた。