今日も晴れ。稲取への旅も昨日終えた。一泊二日。ああ、惜しまれる。
盂蘭盆の夜が更け初路の墓の前あはれ陰々と鬼気迫るもの
わあ、わっ、わっ、おう、ふうと四人の男とすれ違ふ
「出ただええ、幽霊だあ」「おッさん、蛇、蝮?」「そんげいなもんじゃねえだア」
『孟子』離婁章句上69 孟子曰く、「不仁者は与に言ふ可けんや。其の危ふきを安しとし、その菑を利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむ。不仁にして与に言ふ可くんば、則ち何の国を亡ぼし家を敗ることか之れ有らん。孺子あり、歌うて曰く、『滄浪の水清まば、以て我が纓を濯ふ可し。滄浪の水濁らば、以て我が足を濯ふ可し』と。孔子曰く『小子之を聴け。清まば斯に纓を濯ひ、濁らば斯に足を濯ふ。自ら之を取るなり』と。夫れ人必ず自ら侮りて、然る後人之を侮る。家必ず自ら毀りて、而る後人之を毀る。国必ず自ら伐ちて、而る後人之を伐つ。太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず』と。此れの謂なり。
『書経』の太甲篇に「天の災ひは避けられる、しかし自らの招くは逃れざるべし
川本千栄『土屋文明の百首』
ただの野も列車止まれば人間あり人間あれば必ず食ふ物を売る 『韮靑集』
<ただの野原も列車が止まると、そこに人間が存在する。人間が存在すれば必ず食べる物を売る。>
列車が野原に停車した。休憩のためだろう。列車が止まると、それに合わせたかのように、どこからか売り子がやって来て食べる物を売る。下句は破調で散文的に何でも無いことのように言うが、本質を捉えている。人間は必ず食べる。食は人間が生きる力の根源なのだ。他にも蓮の実、饅頭、麵、餅など様々な中国の食べ物を売る場面、人々がそれを食べる場面の歌がある。食の歌を通して、中国民衆の活力に満ちた姿が描かれる。
箱舟に袋も豚も投げ入れて落ちたる豚は黄河を泳ぐ 『韮靑集』
<渡し舟である箱舟に、人々は荷物の袋も豚も投げ入れている。舟から落ちてしまった豚は、しばらく黄河の水に浮かんで泳いでいる。>
一行は黄河のほとりにやって来た。水は黄色く濁り、夏の日が輝いている。渡しでは駱駝が船を待っている。水に落ちた豚はすぐに引き上げられるのだろうが、見た通りに「黄河を泳ぐ」と表現されると、そのまま大黄河を泳ぎ渡って行きそうで、何ともユーモラスだ。景も大きく、人も大らかだ。中国大陸の自然の広大さと民衆の持つ力に触れた文明の現実主義の筆致は明るい。