8月31日(月)

曇り空なれど、雨ではない。朝は涼しい。

葉室凛『柚子の花咲く』、いい話だった。手に汗する展開、心地よい顛末であった。

遠くの芝の傾斜地に茶色の牛のあまた群れをり

あの牛の乳をしぼるかソフトクリーム蕩けさうなり殻まで喰らふ

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『孟子』尽心章句下238 孟子曰く、「仁は人なり。して之を言へば道なり」

仁の徳とこれを行う人合はせてこれを道といふ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

ありそみの上に朝ごと立つ市のいよ〳〵行けばいよ〳〵にけり

【語義】「ありそみ」は荒磯海である。「幻達婆城」は仏語で蜃気楼のことだという。『仏教辞林』に「乾達婆城、尋香城と訳す、竜神が空中に示現する城郭にして即ち蜃気楼なり」とある。〇「立つ市」の「立つ」は虹が立つなどというと同じく「現れる」の意で、市は市街である。

【評言】これは宇宙の真理とか人生の理想とかいうものの捉えがたき悩みを象徴的に歌ったものである。吾々は宇宙人生の究極の真理を捉えんとして日夜修行し精進しているが、しかし考えて見るとそれは恰も波荒き海のあなたの空に毎朝現出する蜃気楼のごときものでそれに近づこうとして行けば行くほどますますうすれ消えて行ってしまって、ついに何ものをも補足することが出来ないのである。この一首には実に真摯な求道者としての深い悩みがこめられている。良寛の心の奥深い一面を知る上に大切な歌である。比喩でもなく理屈でもなくたださながらに蜃気楼そのものの現象を歌っている点がこの歌を象徴的ならしめている。「いよ〳〵行けばいよ〳〵消にけり」の表現もいい。

8月30日(日)

涼しいが、小雨がち。

宇野千代『色ざんげ』を読んだ。情痴小説というか奇妙な味わいの小説である。なんだか現実離れしているような感覚が終始つきまとう。画かきの主人公も三人の若い女性もみんな変だ。しかし、なんだろう気持ちがいいのだ、これ宇野の文章なのだろう。おもしろかった。

本日は広島の日、爆裂の時に合はせて黙祷しばし

佐久市の旧き商店街の一隅に「あさや」あり。あらひ・旨煮・鯉こくを喰ふ

佐久ICより関越道から圏央道へ渋滞ありて旅の終はり

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『孟子』尽心章句下237 孟子曰く、「聖人はの師なり。伯夷・是なり。故に伯夷のを聞く者は、もに、も志を立つる有り。柳下恵の風を聞く者は、もく、もなり。百世の上に奮ひ、百世の下、聞く者せざるはきなり。聖人に非ずんば、くのくならんや。而るを況や之にする者に於てをや」

聖人は百世の師なり。伯夷・柳下恵がこれである

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いかなるが苦しきものと問ふならば人をへだつる心とこたへよ

【評言】釈教歌である。良寛にもこの種の釈教歌が相当に数多くあるが、どうもこれといういい歌が少い。良寛はやはりこうした理屈めいたことをいうに適しなかった人であろう。良寛と親交のあった解良栄重という人の手記にかかる『良寛禅師奇話』の中に次の一節がある。

「師余が家に信宿日を重ぬ。上下おのづから和睦し、和気家に充ち、帰り去ると雖数日のうち人自ら和す。師と語ること一たびすれば胸襟清きを覚ゆ。師更に内外の経文を説き善を勧むるにもあらず、或は厨下につきて火を焚き、或は正堂に坐禅す。其話詩文にわたらず、道義に及ばず、優遊として名状すべきことなし。唯道義の人を化すのみ」

そこがやはり良寛その人の尊いところであったのであろう。良寛の釈教歌中に見るべきものの少い理由もそこにある。この歌の如きも歌としてはさほど力のあるものでもないが、世の中の苦みは人と人とをへだつる心にあると喝破した点に何となく心ひかされずにはいられないのである。

8月29日(土)

曇り。気温も低い。このままだとよろしいが。

五十代の女性の白骨から複顔すたくましきおばさん親しみありき

南牧村美術民俗資料館・斎藤岩男のカヘル図おもしろ

未来にはカヘルしかゐないそんな絵をたのしむわれも蛙の手足

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『孟子』尽心章句下236 孟子曰く、「民をしとし、社稷を之に次ぎ、君を軽しと為す。是の故にに得られて天子と為り、天子に得られて諸侯と為り、諸侯に得られて大夫と為る。諸侯社稷を危ふくすれば、則ちす。犠牲既に成り、既に潔く、祭祀時を以てす。りしてあれば、則ち社稷を変置す」

孟子がいふ国家には民が最も貴重であり次は社稷そして君なり

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

風まぜに雪はふりけりいづくよりわがかへるさの道もなきまで

【語義】「風まぜに」は「風まじりに」〇「いづくより」は「いずくよりか」の意。

【評言】久しぶりに托鉢にでも出た帰り道によんだのでもあろう。どこもかも白一色に降り埋めてしまう吹雪の為めに道を失ってぼんやりと行方に迷っているという気持は深味のある暗示的な気持である。しかしこの歌はあまりに淡々と歌われすぎている為めに、そうした気持までが出て居ない。一つは「雪はふりけり」の「ふりけり」が力抜けしているのもそのもとをなしているのであろう。

8月28日(金)

今日も暑い。ただし夜は涼しく、窓を開けていた。

日日の夕餉に誂へ日本酒の飲みくらべする牧水・甲斐駒

二日目は和食に酒を初しぼり・初穂しずくに宵涼みなり

縄文人の白骨「志なの一号」は五千六百年前の小柄なる人

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『孟子』尽心章句下235 孟子曰く、「不仁にして国を得る者は、之有らん。不仁にして天下を得る者は、未だ之有らざるなり」

不仁でも国を得て諸侯となる者はあるされど不仁にして天下を得た者はない

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

     さよふけて風のいたう吹きたりければ

山かげの草のいほりはいとさむし柴をたくつゝ夜をあかしてむ

【語義】「あかしてむ」は「あかしていよう」、「夜をあかしてむ」は徹夜をしていようの意。

【評言】何等の形容も誇張もない有りのままの歌である。それでいてたまらなく寂しい気持が出ている。「山かげの草のいほり」は少々説明に過ぎた嫌いがないではないが、さほど苦にもならない。「いとさむし」の句は単純素朴の極致を示している。

8月27日(木)

曇りなのに暑いのだ。明け方も外気は暑く、窓を開けられなかった。

小海線の通過する音も聴こえ来る宿りの窓に踏切閉る

野辺山のの空に虹が顕つ雲間に低く七色の虹

空仰ぎうれしき思ひもたちまちに短き虹とともに消えたり

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『孟子』尽心章句下234 孟子曰く、「を信ぜざれば、則ち国空虚なり。礼義無ければ、則ち上下乱る。無ければ、則ち足らず」

仁者賢者を登用せねば国空虚なり礼義なくば上下乱れ、政治なければ財足らず

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

古志に来てまだ古志なれぬ我なれやうたて寒さの肌にせちなる

【語義】「古志」は「越に国」、ここでは越後を指していることは云うまでもない。〇「我なれや」の「や」は感動の意を含めた発声で、疑いの意の「や」ではない。〇「うたて」は非常を意味する。感嘆の意をも含んでいる。〇「せちなる」の「せち」は「切」で即ち痛切。「せちなる」は「ひどく身にしみることよ」というほどの意。

【評言】これこそ文字通りに良寛帰国後間もない頃の作であろう。良寛は二十二歳で越後を出て凡そ二十年間の諸国雲水の後四十二、三歳で再び郷国に帰って来たのである。この歌をよむと俳諧寺一茶の「これがまあつひの棲処か雪五尺」の句に対すると同じように、「いかにもそうだったろう」と同情される。「うたて寒さの肌にせちなる」の表現にはおそらく聊の誇張もなかったのであろう。こういう境涯から年一年郷土の自然と同化して行った良寛その人の晩年の生活への推移をおもうと、私などにはたまらない親しみが感じられる。かの有名な「……雪のふる日はさむくこそあれ」の古歌のように自分を特別な者として見ていないところはこの歌にはいささかもない。ありのままの歌である。だが拙いことは随分拙い。上句などは殊にたどたどしい。良寛の歌の円熟したのはその晩年で、この歌をよんだ頃はまだこの位が関の山であったらしい。

8月26日(水)むすめ沙耶のバースデイ

今日は、格別に暑い。

夏の雲は青空に白く立ちにけり。積乱雲はもくもくとして

野辺山のもっとも高き一三七五メートル小海線がゆくに人は少なし

小海線の最高地点に鉄道神社小さき社に黙礼をする

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『孟子』尽心章句下233 孟子曰く、「名を好むの人は、くの国を譲る。も其の人に非ざれば、も色にる」

孟子がいふ名誉を好む人はよく千乗の大国をも人に譲る

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

しばの戸の冬のゆふべのさびしさをうきよの人にいかでかたらむ

【語義】「しばの戸」は「柴にてつくれる門」であるが、ここでは人里はなれたささやかな山家というほどの意に解してもよかろう。〇「いかでかたらむ」は「どうして語ろう、語ろうにも語るすべがない。

【評言】この山家住居の冬の夕ぐれのさびしさを世間の人達にどんな風に語ろう、語るにも語るすべがない、全く云って見ようもないから、ただひとりその意味を味っている外はないのである。訴えもせず、嘆きもせず、捨てもせず、破りもせずに、じっと静かにその寂味を味うているところに、良寛の尊い心境が窺われるのである。この歌「しばの戸」といい、「うきよの人」というような兎角嫌味にきこえ勝ちな型に囚えられた句を平気で入れていながら、少しも嫌味を感じさせないのは、やはり作者の生活基分のしからしめるところである。

8月25日(火)

今日も暑い。暑い。

山の天気はたちまちにして変貌す。霧また霽れて夏の山なり

貴宝石の湯にしづまりし心なり。溢れ出す湯に首まで浸かる

八ヶ岳の中央高き赤岳の背後ゆ立ちのぼる夏の雲なり

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『孟子』尽心章句下232 孟子曰く、「利にき者は、も殺すことはず。徳にき者は、も乱すこと能はず」

利益に用意周到なれば凶年にも餓死せず徳義に通ずれば志乱さず

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

み山べに冬ごもりするおいのみを誰かとはまし君ならなくに

たまさかに来ませる君をさよあらしいたくな吹きそ来ませる君に

たにのこゑみねのあらしをいとはずばかさねてたどれ杉のかげ道

【評言】この三首詞友阿部定珍に贈った歌であるが、前の「のきも庭も……」の歌よりも、この三首の方が遥かに真情のこもり方においてまさっている。訪ねて貰った嬉しさと共に訪ねて来てくれた人に対する思いやりが涙ぐましいまでにしみじみと歌われている。こうした真情の歌は容易に出来そうに見えるが、いざとなるとなかなか出て来ないものである。吾々だと兎角何とか勿体ぶらないと自分の情を他人に伝えにくいものであるが、このように真情を率直に歌ってしかも聊も生硬なところのないのは良寛の天品によるであろうが、やはりある程度まではそれを永い間の修練の結果であると見なければならぬ。