寒いけれど、今日も晴れ。
中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫 増補新版』を読む。中沢の折口愛が伝わる。折口にもっと近い所に居て、私には十分には持てなかった折口愛。それが溢れている。特に戦後の神道論の解析、主張が、巧く捉えられていておもしろい。折口は本気だったのだと改めて思う。それが今の神道界には、何一つ実現していないし、反対方向へ動いている。折口論としてよきものである。
寂しき美しきをみなは花の雲から下りて宙にただよふ
二十の日に死の縁に辻町は堪へたるにその夜千ヶ淵に沈みし女
卑怯未練の若き日恥ぢて辻町糸七けふ燈籠寺に詣で来にけり
『孟子』離婁章句上65 孟子曰く、人を愛して親しまずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を礼して答へずんば、其の敬に反れ。行うて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。其の身正しければ天下之に帰す。詩に云ふ、『永く言に命に配し、自ら多福を求む』と。
詩経に云ふ「永くここに従ひて行動し多福を求む」
川本千栄『土屋文明の百首』
人すてて去りたる炎守りつつ時ありき潮の高くなるまで 『少安集』
<人が捨てて去って行った炎を守りながらしばらくの時間があった、潮の高くなるまで。>
「十二月某日」より。この歌の状況は連作から、次のようなものと分かる。まず海辺の岩の間に誰かが小さな焚き火をしていたが、その人が火を捨てて去った。見ていた自分は近づき、炎を守ってしばらく時を過ごした。その後、潮が高くなっていった、というものだ。実際の風景だろう。冬の海の、暗く荒涼とした浜辺だ。ただの風景というだけでなく、人が捨てた小さな大切なものを、自分が拾って守っていたことの譬喩とも読める。
(そうだろうか。連作といえど一首の完成度がもっと問われていいのではないか。)
もろ人の戦ふ時に戦はず如何にか待たむ新しき世を 『少安集』
<全ての人が戦う時に戦わず、如何に(どのようにして)待つのだろうか、新しい世の中を> 昭和十三年の歌。前年、盧溝橋事件が起こり、日本と中国は日中戦争と呼ばれる戦争に突入した。この歌は、戦わずに待つことはできない、戦うべきだと思いつつ、戦えないならどう待つのかと自問している。戦争の大義に乗り切れない者の逡巡だ。この時期、文明は、短歌に打ち込むのと同様、万葉関係の研究に打ち込んでいる。万葉集の研究こそが自分のするべき戦いだ、という思いが一首の背後にあったのではないか。