強羅も朝から暑い。小田厚道路を使えばおよそ一時間。
曇空のどんより暗き空を映す水たまりあり、また水溜り
水たまりに電柱・電線を映すありしばしとどまり電柱見あぐ
どの溜りにも小暗き梅雨の日の空を手に取るごとく越えてゆきたり
*
『孟子』尽心章句上199 孟子曰く、「其のをめしめ、其のを薄くせば、民富ましむ可きなり。之をふに時を以てし、之を用ふるに礼を以てせば、財用ふるにふ可からざるなり。民はに非ざれば生活せず。に人の門戸を叩きて水火を求むるに、与へざる無き者は、至つて足らざればなり。聖人の天下を治むるや、有ること水火の如くならしむ。水火の如くにして、民んぞ不仁なる者有らんや」
豆や穀物が水や火のごとく豊かなればだうして不仁なる者やあらん
*
相馬御風編注『良寛和尚歌集』
夏くさはこゝろのまゝにしげりけりわれはいほりせむこれのいほりに
【語義】「こゝろのまゝに」は「自由に」である。「いほりせむ」は「居を定めよう」というほどの意。
【評言】夏草の自由にのびのびと繫っている空庵を見出して、何よりもその夏草の心のままに繁っている自然の趣に心をひかれ、ここに一つの自分の居を定めて見ようという風に感じ入っている心持には、良寛その人の善体としての気分がよく現れているように思われる。「夏くさは……しげりけり」「われはいほせむ」「これのいほりに」――全体をこう三段にわけて見て、その三段の配置の如何にし然であって、しかも如何に効果多きかを味って見ると、今更の如く技巧の自然さということの貴さが思わせられる。「こゝろのまゝにしげりけり」などという単純であってしかも含蓄の豊かな表現はたしかに良寛独特のものである。