9月30日(水)

朝、まだ雨だ。曇りになるらしいが。

午後三時、卓に座りて茶を喫すしばしは頭の中は茫漠

人間の情念はいつもいつの世もテロルを欲す七十になれど

テロルを欲するは駄目なのかさうしかできぬ時もあるべし

    *

日夏耿之介『唐山感情集』

はすはをんなさ

うらみをながして

はすは女が啼きをほころばせるやつさ、

一すぢの香は匂うて紫色の巷にただよひ

笑を千金に買はれてに入る、

あゝ不仕合せな雨中のだよ。

桃 蕩女也

能く鎖恨

蕩女、啼痕破る、

一路香を生じて紫陌に飄い

千金に笑を買われて朱門に入る。

薄明なり雨中の魂。

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

人のもとより文おこせたりけり、此の頃は事繁し、事果てなば行きてあひ見んと、其後は音もせざりけり、一と日二た日こそ事しげからめ、いつかなぬかこそ事しげからめ、此の人とはに事しげき人や

事しあれば事しありとて君は来ず事なきときはおとづれもなし

【評言】平明この上もない歌である。しかも、よくも歌い得たるものかなというような感嘆の声を禁じ得ない歌である。幾度よんで見ても微笑の抑えがたきものがある。切なる人間愛慕の情があらわれているというよりも、ある種の人間に対する鋭い風刺感じられるからである。幾分ユーモラスな気持で歌っていながらも、やはりその人に対するなつかしさが掩うべくもなく現れている。その情があればこそ一首が聊かも冷やかさをも感じさせない。冷やかに人間を嘲るといったようなところは良寛には露ほどもなかったらしい。この種の歌はともすると冷嘲に陥り、意地わるい風刺に流れ易いものであるが、この歌にはそんなところは微塵もない。相手は何人であったか知れぬが、おそらくこの歌をおくられてもそう悪い気持はしなかったであろう。

9月29日(火)

朝方やんでいたが、以後一日雨だ。

しかしかしかしておとろへて命終あるか惚けてわからず

惚けてわからねばよきものをどこかにたしかなるものやありけむ

わからずに来るものならばまあいいとおもふもののさうはいかず

    *

日夏耿之介『唐山感情集』

をんな仙人ぢゃ

孤山はつめたくして

をんな仙人のこゝろはのどやかぢや、

の名花はしばし中界の地にもあそび

蕊珠は美花はと上清の天にひした、

かげは水やそらなるあたりに落ちてんけり。

梅 仙女也

孤山冷かにして

仙女意飄然たり。

萼縁暫く遊ぶ中界也

蕊珠原と住む上静の天

影は水雲の辺りに落つ。

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

かしましとおもてぶせいはいひしかどこのごろ見ねば恋しかりけり

【語義】「かしましと」は「やかましいと」「うるさいと」。〇「おもてぶせ」は「おもぶせ」同じく即ち「面伏」で「はずかしそうに」の意。

【大意】うるさいと恥しそうに云ったけれどこの頃遇わないでいると恋しく思われる。

【評言】この歌は「およしさにおくる」と詞書のあるものもある。「およしさ」の何物であるかはよくわからぬが、ある人の説にそれは良寛がしげく出入していた与板町山田家の女中であると云ったものもある。兎に角親しい間柄の女性であったにちがいない。この歌にはいうまでもなく一寸とした戯れ心が交じっている。またこの歌は「万葉集」巻三にある

否といへど強ふる志斐のが強ひがたり此ごろ聞かずてわれ恋ひにけり

から影響を受けている事も明らかである。

9月28日(月)

朝、ちょっと雨は上がっていたが、雨・雨・雨だ。

相模川も泥土の色にあふれるか上つ瀬に雨大量に降る

中津川も小鮎川も泥水のやうなる川の流れなるかな

小鮎川はよく氾濫を起こせしもの松枝町あたりより水あふれけり

    *

日夏耿之介『唐山感情集』

蓮 しとやかなです

そのかげたをやか、

しとやかなはなんかだね、

きれいでゆかしいから君子人ににもつてこい、

しめやかできれいだからの組にははひらん、

の池にれ月かげきよかりだ。

蓮 淑女也

亭亭たる影

淑女逢迎少なり。

窈窕自らよろしく君子の配たるべし

幽嫺麗人の行に入らず

太液月華きよし。

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

久方の雨もふらなむ足引の山田の苗のかくるゝまでに

久方の雲のはたてをうち見つゝ昨日も今日もくらしつるかも

【語義】「久方の」は「雨」及び「雲」にかかる枕詞。〇「ふらなむ」は「降ってくれればいいなあ」。〇「雲のはたて」は「空のはて」。

【大意】前の歌は「山田の稲の苗のかくれるほど雨が降ってくれればいいなあ」。後の歌は「雨のほしさにわしは昨日も今日も空の涯を熱心に見ながら暮したわい」。

【評言】一種の雨乞歌である。「山田の苗のかくるゝまでに」には力が籠っている。そしてそのうちには単に自分一個の為めばかりでなく農人たちの為をおもう温かな同情もこもっているのである。後の歌は幾日も幾日も打続いた旱天の悩ましさと、雨を待つ心の焦立たしさとが一緒になって、ある一種の一般的な情緒をさえも象徴しているが如き感じを与える。二首とも言葉と調子とがピタリと一つになっている点がわけて心を惹く。

あしびきの山田のをぢがひめもすにいゆきかへらひ水運ぶ見ゆ

我さへも心もとなし小山田の山田の苗のしおるる見れば

我が心雲の上まで通ひなばいたらせたまへ天つ神ろぎ

などの歌も前の二首と関聯させて味うべきものである。なお以上とは反対に雨をわびた歌に次の如きがある。

久方の雲ふきはらへ天つ風うきよの民の心かよはば

手もたゆく植うる山田のをとめ子がうたふ唄さへやゝあはれなり

いずれにも真実の情がこもっている。決して歌わんが為めに歌ったというところがない。身は世外に住みながら、心は常に浮世の胸へとかよっていたのである。

9月27日(日)

朝方は降っていたようだが、曇りが続く。

桜の木より紅葉黄葉する葉々の散り落ちてゆくこの世の果てに

この世の果てを思ひたり。木々の散らせる虫食い落ち葉に

雨降れば散り落葉が濡れて滑りやすき少しづつ少しづつ歩かんとする

    *

日夏耿之介『唐山感情』

すぐれたです

波をしのいであゆむ、

すぐれた女がりをする、

月はく湘江にをすてて去んだ、

風は清く洛水にをもてあそび来る、

ちりほこりなんどかないね。

波を凌いで歩む、

雋女、独り徘徊す、

皎月湘江に珮を捐てて去り、

清風洛水に美珠来る、

何くの処にか塵埃を着けむ。

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

みづがめのうた

いにしへにありけむ人も持てりてふ大みつうつはわれはもちたり

これのみはうつり行くともとヾめおきてかたりもつがめ後の世までも

今よりは塵をもすゑじ朝な夕なわれ見はやさむいたくなあびそ

【語義】「大みつうつは」の「大御」は敬称で「この貴き器」というほどの意。〇「かたりもつがめ」は「語り伝えもしよう」。〇「塵をもすゑじ」は「ほこりをさえもかぶらせまい」、〇「見はやさむ」は「鑑賞」。〇「いたくなわびそ」は水甕に対して云った言葉。

【評言】これはどこかの家に昔から持ち伝えられでもしたか、それとも土中から発掘されでもしたか、いずれにしても古代人の遺物であったらしい水甕を他から貰いでもして、それを愛玩するあまり歌ったものであろう。三首が一種の連作体になっている。いかにも愛し楽しんでいたらしい心持が、よく現れている。わけて最初の一首の如きはやすやすと歌っているが如くしてしかもよくととのうている。最後の歌にはまた愛らしくてたまらないというような心持が言葉の上にも調子にもいきいきと現れている。

9月26日(土)

朝、小雨がふっていたが、今は曇り。

蟻が歩く道路を歩くに小さき蟻、懸命な蟻を踏まないやうに

降りだせば蟻もあわてて巣に帰る働き蟻の雨除けるところ

巣を造る蟻の動きのせわしければ深きにもぐる働き蟻は

    *

日夏耿之介『唐山感情集』―唐・宋・元・明・清・民国

二十四女花品

小引   清 馮雲 鵬

西でフランスの解人グルモン氏が、むかしの花のリタニイを謳えば、東では、中華の『金石索』の考古詩人馮さんが、このような粋に砕けた花くらべをつくる。古文化の国にはこんな比較の私かなたのしみ事多く、それが単なる比べごとではない。精妙な一道の情趣の論理に繋がれているようにわたくしには解される。

水際立つたです

もとにり

水際立つてにもつたり

びはを占めてをしのばせ、

またあざ名がのこつて蘇娘ともまをす、

なんどのぞまないひとです。

蘭 逸女也

幽谷に生れ、

逸女群芳を圧す。

曾て佳名を占めて楚畹を懐い、

也小字を留め蘇娘と喚ぶ、

花王たるを願わず。

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

かきてたべつみさいてたべわりてたべさてその後は口もはなたず

くれなゐの七のたからをもろてもておしいたヾきぬ人のたまもの

【評言】これは新津の桂家から柘榴の実を七個贈られた返礼にとて詠んだ三首中の二首である。多少戯れの気分も交じっていようが、それにしても技巧の自由さは驚くべきものがある。殊に前の歌のごときはどうして食べてよいかわからぬまで喜んでいる様子が目に見えるようにうたわれている。そして後の歌で「おしいたヾきぬ人のたまもの」とはじめて気付いたように感謝の意を形を通して現わしているなどはうまいものである。良寛は実際柘榴の実がたまらなく好きであったらしい。私の蔵している彼の弟由之の歌稿の中にも国上山の庵に良寛を訪ねた折良寛の大好物だからとてわざわざ自分の家の初生りの柘榴を持って行ったが、折あしく和尚が不在であったので歌を添えてそれを近くの人家に託して帰ったというような事が書いてあったりするところから考えると、良寛のこの歌もあながち誇張や戯ればかりでもなさそうである。因みに由之が柘榴にそえて良寛に贈った歌の中の一首をここに録して置くことにする。

ふるさとの初穂の木の実きこしめせよしや黒みて色かはるとも

9月25日(金)

朝から晴れて、涼しいのだが、やがて湿度が気になる。

じわじわとシャツに汗水滲みくる雨の間のこの暑さゆゑか

この暑さじわじわシャツに汗滲みなんともしがたし老いたるかなや

この暑さにみんなみの空青くして日は射してくるやるせなきなり

    *

日夏耿之介『唐山感情』叙

過ぐる甲午の夏、箱根仙石原村千山万岳楼に暑を避けた砌、たまたま架上の一巻を抜いて、博士塩谷温君著唐詩二百首という註解の一書を得、そぞろに興に乗じ、此註本をオリヂナル・テクストとしていつしか二三十首を訳し試みた。旬日ならずして、工芸大学教授小林健志君の新著油印本単調の詞という詞類の註解本の贈与を受けて、之れ亦興に乗じ、此註本をオリヂナル・テクストとして、その十の九を忽ち訳し試みた。懶怠予の此すみやかなる業は、思うに函嶺の夏を彩る、清素淡美なる明星百合のあやなきマジックの造すわざであったろう。

専家の老学究の家学と、白面の機械学者の素人と、一は旧友の令兄、一は新知の忘年の友、此偶然の機会に結ばるる両人の書を同時に触目し、夏より秋かけて仙石原長尾峠精進湖に行き、もも自然に酔うたる人の如く盤垣する間、心は人事の最もねつぽき此唐山の詩詞の幾んど在来わが邦に紹介せられざる傷感情痴の文学に没頭した。別にアラン・ポオが、二十歳の若書き詩訳と俳句若干と短歌一首を得た。

姫沙羅の秘めし木肌を纏き〳〵て

 のうぜんかづらうつつともなし

その歳冬から正月かけて、熱海の双柿舎に遊び削正補訳を終え、支那訳詩集一巻爰に成った処、偶まの不測の事あって、其草稿を悉く喪失した。が、幸に三分の二は、好奇にも拙悪の第一草稿を欲れるとて自ら抄写して日に保持した一閨秀の抄本ありしに依り、勇を鼓して第二稿本の再製にかかり、夏に至って上総国大貫の某旧家に留つて業をいそぎ、草稿を携え、盃友を拉し、鹿野山神野寺に登り、

ほととぎすこは関東の第一寺

転じて凾嶺思出の、関守の葦葺の古風の宿を尋ね往きて、全稿本悉皆成った。第二稿本の抄写は、主として福田君江鮫島はるみ両嬢子の手によった。

詞の中では、十六字令が、一首の詩の字数として音数を並べると、わが俳句よりは短い。その外、南歌子といい、憶王孫といい、知夢令といい、調笑令というごとき、長短のライン参差錯落たる詞のバァラエティズを余さじと収め得たのは、小林氏註本のおかげであった。同君は更に詞学文献をあまた貸し与えたが、已に気分本意のわが興が、ようやく他に移っていたので、はつかに数首を採るにとどまった。塩谷本からの訳詞は多く紛失し、残の一部は性質上ここにはその詞に近き情懐のもの若干を加えるにとどまった。

詞類の研究や註解や訳詞は在来この邦には太だ尠なかった。その音楽のたましいによる艶冶放達真率受田の情姿の横溢をば、一図に謹厚なるわが漢学先生巨匠たちが桑中の文嬉として忌んだからであったろう。が、これは戦後の汚辱中に純ら時花る、夫の色雑情俗文学中に彙類せらるる俚諺猥雑なる歌謡曲の若きたぐいとは全くちがう。

原と志那楽器にあわせる心で制作せられたる高雅体シャンソンの類であり、作者は唐宋より現代民国に及ぶ一流男女詩客より、王者犯臣、名もなき歌妓妻妾にまで到る諸人を包容しておる婉約の詩風であるから、予も亦訳詩として、江戸小唄、隆達、投節、歌沢のたぐいの古雅なる三絃にあわせて歌うみじか唄もの詩形を主として摂り用いた。その合不合、誤釈曲解の多少は、(必ずあると惟うが)虔んで隠れたる江湖博雅の大教に俟ちたい。

予ははかなき七十年の生涯を、西洋文学の専家として起った者であるが、若冠より志那文化文学を崇尚し、嗜唱し、濫読し、二十代の末葉の比、予の中央亜細亜症は赤道下を航過していた。志那という二文字からが、予にとっては已に絶待に敬重酷愛そのもので、事新らしく中国なんどと云い直す心根の中の卑屈を肯えて冒すにはあたらない。支那はCHINEであり、支那の二字には、儼たる世界一流文化国家の伝統と歴史とのニュアンスが勁い。支は支配也、那は持去也など考える不学の妄人は、如何に十六等国に飄零したりといえ、此邦の人間臭き日本人の間には、今日一人も居りはせぬ。此書の著者わたくしは、それでも尚遠慮して唐山の二字を用いたが、戦勝唐山禹域の良識諸君子は、敗戦日本市井の頽老病廃の一読諸人のこの文字のセンスの旨一応はよく心得ていてもらいたい。

歌をうたうその直前に、要なくこちたき談義は、抑も浅葱裏の学究リャンコの素、野巫の骨頂というものゆえ、尚なめずりする口もとを抑えて、なじょうこの上はいかでと、いそいで差し控えた。

昭和己亥二月十五日 信陽飯田市の僑居に於て 黄眠酔人

     *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

のみしらみ音に鳴く秋の虫ならばわがふところは武蔵野の原

【大意】蚤や虱が松虫や鈴虫のように音を立てて鳴く虫であったら、わしのふところは武蔵野の原の様だろう。

【評言】これは云うまでもなく戯れに詠んだもので、俳諧歌とも云うべきものである。良寛がいかなる小さな虫けらにまでも博大な愛を寄せていたということについてのさまざまな逸話が今日なお語り伝えられている。この歌は戯れながらにそうした心もちも含まれていることが感じられる。私はこの歌をおもい出す度にかの俳諧寺一茶の「わが味の柘榴の匐はすみしかな」という一句を聯想する。一茶のは「柘榴の実が人間の肉の味がするというから自分の体についている虱をその柘榴の木に匐わしてやった」というので、そこには一茶一流の皮肉がいかにもよく現れている。同じく戯れても、そこに人の相違の出て来るのが面白い。

9月24日(木)

今日は、昨日とうってかわって快晴。ちょっと暑くなるらしい。

夜の内に線状降水帯の直下にて激しく大量の雨が降るかも

相模川は茶色に濁り水量の増したるやうなり草地無くなる

三川合流地帯の広河原。泥水の内なり。激しき泥流

    *

『孟子』尽心章句下260 孟子曰く、「堯・舜りに至るまで、五百有余歳。禹・のきは、則ち見て之を知り、のきは、則ち聞いて之を知る。りに至るまで、五百有余歳。・の若きは、則ち見て之を知り、文王の若きは、則ち聞いて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有余歳。・の若きは、則ち見て之を知り、孔子の若きは、則ち聞いて之を知る。孔子由りに至るまで、百有余歳。聖人の世を去ること、のく其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れだしきなり。りして有ること無しとせば、則ち亦有ること無からん」

孔子の時代も孔子の土地もかくのごとく近いにもかかわらず孔子を知らぬとは

『孟子』260章句が終わった。いやあ長かった。これで『論語』・『大学』・『中庸』・『孟子』の四書が終わった。たいへんなことであったが終わったのだ。よくやった。ほめてやりたい。とはいえ、ほとんど覚えてはいないが。まあこんなものだろう。

しばらくは中国古典シリーズを休みたい。かわりに日夏耿之介『唐山感情』を読んでみる。漢詩が江戸前に生まれ変わる。何と魅力的な事か

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

夜あくれば森の下いほからすなく今日も浮世の人の数かも

【大意】夜が明けると今朝もこの森蔭の庵に烏の鳴き声がきこえる、ああ今日もわしは生きているのかなあ、きょうも昨日と同じく、わしは浮世の人の数に入っているのだな。

【評言】自己の生に対する驚き――そう云ったものが力強く表現されている。上句を自然に、すなおにやわらかく、しかもしみじみとした調子で運んで来て、下句に至って突如として内心の閃きを強く鋭く歌っている。この歌を「観念的に自己を見ている」というように云っていた人があったが、私はやはり鋭い実感の歌だと思っている。山中独居の朝のめざめに閃いた実感がこもってはいないだろうか。「今日も浮世の人の数かも」の表現を私は決して観念的だとは思えない。「浮世」という言葉もそれを私たちが使うのとは使う人の気持がちがっている。