今日は寒い。
一階のポストへ何度も通ひしも今日は手紙の一通もなし
たのしみの一つはポストに葉書、封書、書籍のパックいつぱいの時
取り出してくれぇ早く開けてくれぇと騒ぎたる郵便ポストの扉をひらく
『孟子』離婁章句下103 孟子曰く、「君子の深く之に造るに道を以てするは、其の之を自得せんことを欲すればなり。之を自得すれば、則ち之に居ること安し。之に居ること安ければ則ち之に資ること深し。之に資ること深ければ、則ち之を左右に取りて其の原に逢ふ。故に君子は其の之を自得せんことを欲するなり。
君子はその道を自得せむとす自得できれば妙効もあり
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
般若の御法を尋ぬとて 常啼東へ尋ね行き 妙香城に至りてぞ 畢竟空をば悟りてし(法文歌・般若経・五四)
【現代語訳】般若の教えを尋ねて、常啼菩薩は東方へ進んで行き、妙香城に到着して、ついに「畢竟空」の真理を悟ったのである。
【評】『般若経』に説かれる常啼菩薩の長い物語を簡潔にまとめた一首。常啼菩薩は、般若の教え(すべての道理を見抜く智慧)を求めて、その求めがたさに七日七晩泣き悲しんだが、「東へ行け」という空中の声を聞いて東方に向かって旅立つ。さまざまな苦難の末、妙香城にたどりつき、法涌菩薩から般若の教えを聞き、「畢竟空」(いっさいの事象には実体がないと考える、究極絶対の空)の真理を悟った。常啼菩薩は、一般的にはさほど知られない菩薩であり、釈教歌にもあまり詠まれないが、今様の流行期に生き、自らも今様を作っている唯心房寂然(一一一八?~一一八二?)の『法門百首』には「常啼菩薩」の題で詠まれた和歌が見える。
あはれにもむなしき法をこひわびて涙は色に出でにけるかな
(しみじみと心打たれることには、常啼菩薩は空の教えを求めて求め得ず。涙がそれとわかるように流れ出たことだよ)
同様に、寂然の兄・寂超も「常啼菩薩」と題して、くちはつる袖にはいかが包ましむむなしと説ける御法ならずは
(涙で朽ち果ててしまった袖にはいったいどのように包もうか、一切は空であると説く般若の教えでなかったら、包むことはできないのだ――実体がない空であるからこそ、朽ち果てた袖にも包めるのだ)
の一首を詠んでいる。これらの和歌は、涙や涙に朽ち果てた袖を詠んでいて、常啼菩薩がその名
のごとく、ひどく泣いたということに重点が置かれ、菩薩の苦労・苦心が強く印象づけられてい
る。それに対して今様は、常啼菩薩が東に向かい、妙香城に至ったという行動に焦点を当ててお
り、そこに真理を悟った明るい結末部分を歌っている。具体的な表現で菩薩の行動そのものに重
点を置く歌い方は、地蔵菩薩の歌(四〇)とも共通する今様の特徴と言える。