1月24日(土)

今日も晴れています。でも、寒い。

梨木香歩さんの『家守綺譚』に継ぐ『冬虫夏草』を読む。前作に増して心地よいものでした。愛知川をさかのぼり鈴鹿山系深く入り込む綿貫征四郎の旅がおもしろい。そこに出て来る地名の数々、相谷、佐目、九居瀬、萱尾、蛭谷、政所、君ヶ畑、などなど。そしてイワナや河童の化身。どうもあの世とこの世は通じているらしい。滝を隔てた犬ゴローとの再会。なんとも言えずおもしろい。終わりたくないという気持が昂じて読む速度を遅くしたが、とうとう読み終えてしまった。近藤よう子さんに是非ともマンガ版を作ってほしい。『家守綺譚』と合わせて読んでみたい。

  中庭のあけぼの杉も裸木に冬の一日枝のみ踊る

  朝の陽と夕べの光に照らされてあけぼの杉は荘厳されたり

  椋鳥が拠るにももはや頼りなく裸の樹となるあけぼの杉は

『孟子』離婁章句上78 淳于髠曰く、「男女授受するに親しくせざるは礼か」と。孟子曰く、「礼なり」と。曰く、「嫂溺るれば、則ち之を援くるに手を以てするか」と。曰く、「嫂溺るるに援けざるは、是れ豺狼なり。男女授受するに親しくせざるは、礼なり。嫂溺れ、之を援くるに手を以てする者は権なり」と。曰く、「天下溺る。夫子の援けざるは、何ぞや」と。曰く、「天下溺るれば、之を援くるに道を以てす。嫂溺るれば、之を援くるに手を以てす。子 手にて天下を援けんと欲するか」と。

  万が一の場合には手を以て援け、天下を救ふには正しい道こそ

川本千栄『土屋文明の百首』

白き人間まづ自らが滅びなば蝸牛幾億這ひゆくらむか 『青南集』

<人間という白く脆弱な存在が原水爆で自滅したならば、その後は幾億もの蝸牛が這いゆくのだろうか。>

「蝸牛」はかたつむり。昭和二十九年三月アメリカによるビキニ環礁での水爆実験により、漁船第五福竜丸が被爆、乗組員一名が死亡。人々を放射線雨の恐怖が襲った。

「人間の恐るる雨の中にして見る見る殖えゆく蝸牛幾百」と事実に沿って歌い、次にこの歌で戦慄的な幻想に飛ぶ。数年後、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、農薬汚染により他生物が死滅した地に、蝸牛だけが這い回る様子を記した。この二つの地獄絵は相似形だ。

ああ楽し老の見世物のごとくにて若き君等の写真器の前 『青南集』

<ああ楽しいなあ。私は老いの見世物のようであり、若い君たちの写真機の前にいる。>

昭和三十一年「彦山アララギ歌会」より。文明は東京に帰住した翌二十七年、「アララギ」の編集発行人を後進に引き継いだが選者は続け、各地の歌会に積極的に出席していた。歌会の休憩時間、人々はこの高名な老歌人を撮ろうと、当時まだあまり普及していなかったカメラを構える。文明は愛想良く記念撮影に応じながら、内心では、見世物じゃないぞ、写真より歌に真剣になれ、と舌打ちしている。「ああ楽し」はもちろん皮肉だ。

1月23日(金)

寒いのだが快晴。雲一つない。

  路の上に落ちたる黒き手袋が冬の激しき風に立ちあがる

  まるで淑女のごとくに揺れる黒手袋少しづつ風に(かたち)を変へて

  手袋が落ちてゐるだけで楽しきよ人それぞれに夢を紡ぐ

『孟子』離婁章句上77 孟子曰く、「恭者は人を侮らず。倹者は人より奪はず。人を侮り奪ふの君は、惟順はざらんことを恐る。悪んぞ恭倹と為すを得ん。恭倹は、豈声音笑貌を以て為す可けや」

  恭倹と心の問題にてうわべのことばつきや笑顔では決められず

川本千栄『土屋文明の百首』

戦ひて敗れて飢ゑて苦しみて凌ぎて待ちし日と言はむかも 『自流泉』

<戦って敗れて飢えて苦しんでそれでも何とか凌いで待った日と言うだろうか。>

昭和二十六年「講和を迎へて」より。同年九月八日に締結されたサンフランシスコ平和条約によって、日本は独立国家として主権を認められた。歴史の大きな転換点であり、喜ぶ声も多かった。この歌は、「……て」をリズム良く五度繰り返しながらも、人々はこう言うのだろうか、言うのだろうな、と醒めている。この条約の不備や同時に結ばれた日米安保条約などを考え、もたらされる未来が明るくないことを見通していたのだ。

なほ一人の土屋が山に残り居て落葉の坂を行くかともまどふ 『青南集』

<今もなおもう一人の土屋文明が川戸の山に残っていて、落葉の坂を歩いて行くのではないかとも惑う。>

昭和二十六年末、六十一歳の文明は疎開先の川戸を去って、東京の青山南町に帰住した。約六年間の疎開生活は他の疎開者に比べてもかなり長いもので、渓谷の風景や、開墾した畑とそこへ行き来した山道などは、それなりに愛着のあるものだっただろう。もう一人の自分がまだ前の場所に居るかのような錯覚は、引っ越しや職場を変わった時に体感されるものだが、「土屋」という客観化により、平行(パラレル)世界(ワールド)を見ているかに表現される。

1月22日(木)

寒い、寒い。でも快晴。

  あけぼの杉がしっかり冬のすがた見せ朝夕太陽に荘厳したり

  けやきの葉もすっかり落ちて無惨なる幹をさらしてやるせなきなり

  相変はらず椿は奥の深くして鳥ども隠す見つけ難し

『孟子』離婁章句上76 孟子曰く、「人に存する者は、眸子より良きは莫し。眸子は其の悪を掩ふこと能はず。胸中正しければ、則ち眸子(あきら)かなり。胸中正しからざれば、則ち眸子(くら)し。其の言を聴きて、其の眸子を観れば、人焉んぞ(かく)さんや」

  人の言をよく聴きその眸子を観察すれば心の中を隠すことできず

川本千栄『土屋文明の百首』

選び捨てし歌の怨みの積り来てかく吾が足の痛むにやあらむ 『自流泉』

<選歌して捨ててしまった歌の怨みが積もり積もってこのように私の足が痛むのではないか。>

文明が「アララギ」で選歌していた歌の数は非常に多かった。また、文明の選歌は厳選で知られていた。毎月五首の詠草を送っても一首も載らないことも珍しいことではなかった。発奮する者も、不満を持つ者もいただろう。しかし、作者が渾身の力を込めて作った歌でも取れないものは取れないのだ。長時間の執筆や選歌、また年齢のせいで足が痛むと分かっているが、恨まれているのだろうな、という自覚もあるのだ。

李の木の跡に若木を植ゑつげり花に降りかかる今日の日の雨 『自流泉』

<老木となって枯れてしまった李の木の跡に、人は同じ李の若い木を植え継いだのだ。その花に降りかかる今日の日の雨よ。>

文明の故郷上郊村は、疎開地川戸から榛名山を隔てて反対側の麓にあった。ある春の日、彼は故郷を訪れた。四十年以上の歳月が経っていた。祖父や父など良い思い出ばかりの故郷ではないが、老いた彼を覚えていて振り返る人も無い。記憶にあった李の木の跡には若い木が花をつけている。時代が新しくなったことを象徴するかのようだ。花に降る雨の描写が繊細で感傷を誘う。

1月21日(水)

今日は一日曇りらしい。寒い。

  女ものの黒き手袋の左のみ路上にありて寒き冬風

  女性の手が動きだすやうに人の手の右手と握手す冬のさ中に

  誰ひとり拾ほうとせずに冬風に吹かれて立ちあがる摩訶不思議なり

『孟子』離婁章句上75 孟子曰く、「求や季氏の宰と為り、能く其の徳を改めしむる無く、而も粟を賦すること他日に倍せり。孔子曰く、『求は我が徒に非ざるなり。小子鼓を鳴らして之を攻めて可なり』と。此に由りて之を観れば、君仁政を行はずして之を富ますは、皆孔子に棄てらるる者なり。況や之が為に強戦し、地を争ひて以て戦ひ、人を殺して野に盈て、城を争ひて以て戦ひ、人を殺して城に盈つるに於てをや。此れ所謂土地を率ゐて人の肉を食ましむるなり。罪、死に容れず。故に善く戦ふ者は上刑に服し、諸侯を連ぬる者は之に次ぎ、草萊を辟き、土地に任ずる者は、之に次ぐ」

  冉求はだめだと孔子言ふ仁政・道徳こそ努むべきもの

川本千栄『土屋文明の百首』

初々しく立ち居するハル子さんに会ひましたよ佐保の山べの未亡人寄宿舎 『山下水』

<初々しく日常の動作をするハル子さんに会いましたよ、奈良の佐保の山辺の未亡人寄宿舎で。>

知人への私心の形を取り、会話体で優しく話しかけている。六・十一・六・七・九の字余りの韻律が、肉声を聞くかのように感じられる。当時のこの口語的発想は他の歌人に大きな影響を与えた。治子さんは、知人の戦死した息子のまだ若い妻。戦争未亡人のための教員養成所で勉強中だった。佐保は春の女神・佐保姫の地。不幸を乗り超え再出発を目指すハル子さんと、佐保姫の姿が重なり、若々しく清新な歌となっている。

時代ことなる父と子なれば枯山に越下ろし向ふ一つ山脈に 『山下水』

<生きる時代の異なる父と子であれば冬枯れの山に腰を下ろし一つの山脈に顔を向ける。>

千葉の大学に通う息子夏実が川戸を訪問した。文明と二人、裏山に登って腰を下ろし、山脈を見ながら語り合っている。父は戦前戦中の軍国主義の思想統制下に、身の安全を願い、忍ぶ生を選んで来た。息子は戦後の新しい時代の思想を知り、己一人にとどまらない生き方を選ぼうとしている。父は時代の限界の中で生きてきたが、子の価値観を、理解できなくても肯定しようとしている。二人の視線は遠い山脈へと向けられている。

1月20日(火)

朝から晴れているが、寒くなるらしい。

  ビールから日本酒に替へしどろもどろ呟きはつひに歌声にならず

  浅草の寺の梵鐘が聞こゆれば二〇二六年の年明けむとす

『孟子』離婁章句上74 孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の(ほとり)に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者まり』と。大公は紂を辟けて、東海の浜に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なり』と。二老者は天下の大老なり。而して之に帰す。是れ天下の父之に帰するなり。天下の父之に帰せば、其の子焉にか往かむ。諸侯にして文王の政を行ふ者有らば、七年の内必ず政を天下に為さん」

  王政を行ふ文王の世になれば伯夷・太公文王に帰す

川本千栄『土屋文明の百首』

亡ぶとも湧く水清き国を信じ帰り来にしと静かに言いヘり 『山下水』

<戦争に敗れ亡んだけれど清い水が湧くこの国を信じて帰って来たのです。とその人は静かに言った。>

戦争中、多くの若い歌の仲間が出征して行った。その一人が帰国し川戸にいる文明を訪ねて来た。直前の歌、「遠き島に日本の水を恋ひにきと来りて直に頬ぬらし飲む」と共に味わいたい。彼は訪ねて来るなり湧き水を飲んだ。戦地の島で飢え渇きながら日本の水を恋しく思っていた、と。自然は確かにまだ美しいが、今のこの国は果たしてその思いに応えるものだろうか。迎える側は、互いの傷の深さの違いに、悲しむことしかできない。

評論はわけのわからぬを常として我がことあればそのめぐりだけ読む 『山下水』

<評論は訳の分からないものだというのを通常のこととして、私のことが書いてあればその辺りだけを読む。>

皮肉に満ちた歌。人を食ったふてぶてしい態度だが、自分のことだけは読むというところがちょっととぼけてもいる。敗戦の翌年、昭和二十一年には日本文化、特に短歌と俳句を攻撃する論が起こっており、文明はその論に強い憤りを感じていた。この前後には自分がいかに日本語と短歌を大切にしているかという歌が並ぶ。気に入らない論者を舌鋒鋭く攻撃する歌もある。文明の後半生の毒舌とユーモアはこの頃から顕在化してゆく。

1月19日(月)

朝曇り、すぐに晴れ。

  紅白の四分の三は分からねどその熱気あればか少しは愉し

  ミーシャと郷ひろみを紅白の華と思ふ。二〇二五年十二月三十一日

  新しき歌は分からず古株がよろし矢沢永吉、石川さゆり

『孟子』離婁章句上73 孟子曰く、「下位に居て、上を獲られずんば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事へえ悦ばれずんば、友に信ぜられず。親に悦ばるるに道有り。

身に反して誠ならずんば、親に悦ばれず。身を誠にするに道有り。善を明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠に思ふは、人の道なり。至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。

  何事も誠こそ大事。至誠にして、また誠ならずして人動かざる

川本千栄『土屋文明の百首』

にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華の花も閉ざしぬ 『山下水』

<にんじんの種は明日蒔けばいい、帰ることにするよ、夕方になって東一華の花も閉ざしてしまった。>

厳しい冬を越えた春、文明は色々な野菜を育てようとしていた。多くの農の歌の中で「にんじん」の語の響きが柔らかい。作業は終わらなかったが、まだ明日がある。という明るい口調。野の花が閉ざすことで時を知る、山村の生活。東一華は花びらに見える長い萼が真っ白で、裏がほのかに紫がかっている。閉じてうつむいた姿も愛らしい。定型にぴったりと収まった、愛誦性に満ちた歌だ。

ツチヤクンクフクフと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し 『山下水』

<「ツチヤクンクウクウ」と鳴いた山鳩は去年のこと、今はその声は遠い。>

疎開してから一年近くが経った。去年豆を蒔いた時は山鳩に掘り返され、双葉もすっかり食われてしまった。その時の山鳩は「土屋君、空腹」と鳴いていた、と鳩にもからかわれた。去年の飢えた自分を大らかに笑っている。山鳩の目を通して自分を客観的に見、声を借りて「ツチヤクン」と戯画化する。その声が遠いということは、今年はいくらか気持ちに余裕があるのだろう。同じ山に生きるものとして、鳩に親しみも感じている。

1月18日(日)

晴れてます。雨は降らない。

  「あれ、蜻蛉が」お米膝つき手を合す裏の山には風が通る

  提灯は墓石に寄せ糸枠の柄にかけ下山する男女二人に

  裏山の風一通り赤蜻蛉(そつ)と動いて女の影‥…二人

『孟子』離婁章句上72 孟子曰く、「道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り。而るに諸を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とせば、天下平らかなり」

  親は親、長者は長者と尊べば天下平らかに治まるべし

川本千栄『土屋文明の百首』

春の日に白鬚光る流氓一人柳の花を前にしやがんでゐる 『山下水』

<春の日に、白い鬚が光る老いた流民が一人、楊の花を前にしゃがんでいる。>

「流氓」は居場所を失って他郷をさすらう民、ここでは文明自身を指す。まだ五十五歳であったが当時は老人と考えられる年齢だ。「白鬚」に自身の老いが痛感されている。春の日と柳の花が暖かく柔あらかいために、流浪者の孤独が一層際立つ。多くの明るい農の歌の中に、ふと見せる違う一面だ。漢語調の上句、十音の四句の次に、結句は「~している」という口語体の六音で、つぶやくように終える。硬軟の取り混ぜ方が絶妙な文体だ。

鳥籠に寄り立つ人の父を見る万の戦死者の親かくありや 『山下水』

<(戦死した息子が生前飼い馴らしていた野鳥斑鳩の)鳥籠の傍らに寄って立つ父親を見かける。何万もの戦死者の親もこのように死者を思っているのではないか。>

「斑鳩」五首は短編小説の趣だ。次の歌で、父親は鳥を野に放つ。天にいる息子の所へ飛んで行って欲しいと思ったのだろう。しかしそれは人間の空想であって、現実の鳥は慣れた鳥籠に戻って来た。鳥は息子のところへ行かないし、息子は二度と帰って来ないなだ。今日も父親が歩いているのを見かける。文明や村人たちは再び響き通る斑鳩の声を、静かに聞くしかないのだった。