折口信夫の誕生日である。(一三九歳になる勘定だ)
朝から雨。そして寒い。
中村屋をエレベーターで一階に歩いて新宿駅に繋がるエスカレーター
特急券を買おうにも朝の事故のため故障中なり
またまた快速急行に海老名まで行き一駅厚木へれば
『孟子』離婁章句下94 孟子曰く、「君 仁なれば仁ならざること莫く、君 義なれば義ならざること莫し」
君が仁であり義であれば一国みな仁・義に帰さぬことなし
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
釈迦の月は隠れにき 慈氏の朝日はまだ遥か、そのほど長夜の闇きをば 法華経のみこそ照らいたまへ (今様・一八)
【現代語訳】月が隠れるように釈迦は入滅なさり、朝日のような弥勒菩薩の出現はまだ遠い。それまでの長い闇夜を、『法華経』だけが照らしてくださるのだ。
【評】仏教の祖・釈迦の入滅を月の隠れるさまに、弥勒菩薩の出現を朝日に譬え、仏のいない間、唯一の救いとしてある『法華経』をほめたたえた一首。『古今目録抄』今様にも、
釈迦の夕日は入りたまひ、慈氏の朝日はまだ遥かなり そのほどの長夜の闇きをば
法華経のみこそ照いたまへ
と見え、釈迦の譬えが月ではなく夕日となっている他はほぼ同様である。
サンスクリット語Maitreya(友愛の教師の意)の音写が「弥勒」であり、慈氏はその漢訳。弥勒菩薩は兜率天の内院にあって修行中であるが、釈迦入滅後、五十六億七千万年を経てこの世に出現し、衆生を救済すると考えられていた。当該今様では仏のいない混乱と苦悩の時代を「長夜の闇」と表現している。一方、釈迦の入滅後二千年で末法の世(仏法が衰退し、人がいかに修行しても。悟りを得ることが不可能な時代)になるという考え方により、日本では、永承七年(一〇五二)が、末法に入った年とされた(堀河天皇〈一〇八六~一一〇七在位〉の時代に成立した歴史書『扶桑略記』永承七年一月二十六日条に「今年始めて末法に入る」と見える)。こうした末法思想の高まりを背景に置くと、当該今様の「長夜の闇」の切実さと、唯一の救いである『法華経』への篤い信仰がより一層強く伝わってこよう。『空也和讃』と呼ばれる和讃に「釈迦の入日は西に光り 弥勒の出世はまだ遥か これほど長夜の闇き世を
照らし給ふは弥陀仏」と見える。この和讃は空也上人(九〇三~九七二)の作ではなく、平安時代末から鎌倉時代にかけて成立したものと考えられており、当該今様との先後関係ははっきりしないが、この和讃では闇夜の救いとなるものが阿弥陀仏になっている。