朝から晴れているが、寒くなるらしい。
ビールから日本酒に替へしどろもどろ呟きはつひに歌声にならず
浅草の寺の梵鐘が聞こゆれば二〇二六年の年明けむとす
『孟子』離婁章句上74 孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の浜に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者まり』と。大公は紂を辟けて、東海の浜に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なり』と。二老者は天下の大老なり。而して之に帰す。是れ天下の父之に帰するなり。天下の父之に帰せば、其の子焉にか往かむ。諸侯にして文王の政を行ふ者有らば、七年の内必ず政を天下に為さん」
王政を行ふ文王の世になれば伯夷・太公文王に帰す
川本千栄『土屋文明の百首』
亡ぶとも湧く水清き国を信じ帰り来にしと静かに言いヘり 『山下水』
<戦争に敗れ亡んだけれど清い水が湧くこの国を信じて帰って来たのです。とその人は静かに言った。>
戦争中、多くの若い歌の仲間が出征して行った。その一人が帰国し川戸にいる文明を訪ねて来た。直前の歌、「遠き島に日本の水を恋ひにきと来りて直に頬ぬらし飲む」と共に味わいたい。彼は訪ねて来るなり湧き水を飲んだ。戦地の島で飢え渇きながら日本の水を恋しく思っていた、と。自然は確かにまだ美しいが、今のこの国は果たしてその思いに応えるものだろうか。迎える側は、互いの傷の深さの違いに、悲しむことしかできない。
評論はわけのわからぬを常として我がことあればそのめぐりだけ読む 『山下水』
<評論は訳の分からないものだというのを通常のこととして、私のことが書いてあればその辺りだけを読む。>
皮肉に満ちた歌。人を食ったふてぶてしい態度だが、自分のことだけは読むというところがちょっととぼけてもいる。敗戦の翌年、昭和二十一年には日本文化、特に短歌と俳句を攻撃する論が起こっており、文明はその論に強い憤りを感じていた。この前後には自分がいかに日本語と短歌を大切にしているかという歌が並ぶ。気に入らない論者を舌鋒鋭く攻撃する歌もある。文明の後半生の毒舌とユーモアはこの頃から顕在化してゆく。