今日も割合いい天気らしい。
砂原浩太朗『藩邸差配役日日控』を読む。好きな作家の本なので、よろこんで読む。案の定、おもしろかった。だいたい「藩邸差配役」などに目を着けるところが、著者らしい。差配役の里村五郎兵衛が主人公だが、はじまりの「拐し」と最後の「秋江賦」が秀抜である。藩主、世継ぎ、家老などが絡まり、おそらく続編が出されるのであろう。楽しみである。
さくらの花の開花をよろこぶ妻と吾と並びて仰ぐ古木の桜
わが眼にその花の形焼き付けむ。低き処の枝引き寄せて
朝よりも宵には殊に美しく妖艶として花咲かせをり
『孟子』万章章句下133-2 天子一位、公一位、侯一位、伯一位、子・男同じく一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等なり。
天子・公・侯・伯・子・男の五等に君・卿・大夫・上士・中士・下士六等なり
*
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
冠者は妻設けに来んけるは 構へて二夜は寝にけるは 三夜といふ夜の夜半ばかりの暁に 袴取りして逃げけるは (四句神歌・雑・三四〇)
【現代語訳】若い男は妻探しにきたことだよ。だまして二晩寝たことだよ。いよいよ三日目という夜の明け方に、股立ちつかんで逃げ出したのさ。
【評】露顕の儀式を前に逃げ出す男の様子を滑稽に歌った一首。露顕は婚儀の三日目の夜に行われる結婚披露の祝宴。新婦の家で新郎とその従者をもてなし、婿が新婦の親や親族とはじめて対面するもので、正式な結婚の成立を表す。
「冠者」は元服をして冠を着けた少年の意で、ここではまだ若い男を指すのであろう。「妻設け」は妻を定めること。
「三夜といふ夜の夜半ばかりの暁」とは、夜半と暁(夜明け前、まだ空が暗い頃)との時間帯にずれがあるため、やや不審であるが、夜半を過ぎ、暁になったそのギリギリの時間に、という時間的推移と、もう一刻も猶予がない、という男のあわてぶりを強調した表現であろうか。「夜半ばかりの」がない方が意味は通りやすいが、原本は「夜の」の二文字の脇に点を討ち、「無之」(これ無し)としているだけで、「夜半ばかり」は消されていない。
「袴取」は、「取袴」とも言い、袴の股立ち(左右の縫い合わせていない部分)をつかむことで、走りやすいよいにするための行為である。藤原明衡(九八七?~一〇六六)の『新猿楽記』には「氷上専当が取袴」(「専当」は寺院で事務を司る僧侶)という演目があり、「山背大御が指扇」(大御は年長の女性を表す語。指扇は扇で顔をさし隠すこと)という演目と並べられているところを見ると、大御のもとから、取袴で急いで逃げ出す様子を滑稽に演じたものかと想像される。取袴をして逃げていく男の様子は、こうした滑稽な猿楽芸の一つともなっていたらしい。 当該今様に登場する冠者は、正式な結婚の成立直前に逃げ出す、ずるい男であるが、袴の左右をつかみあげ、脛も露わに不格好に逃げていく姿は、「けるは」の繰り返しで作り出される律調とあいまって、憎めない小悪党といった風情である。