3月3日(火)

昨日の雨は止んで晴れ。しかし、いささか寒い。

  京の町に運命のごとくに出会ひたる陶製雛の独特な貌

  釉薬が輝くばかりの男雛・女雛ともに愛らし京都の雛は

  女雛も男雛もおちょぼ口紅く愛らし小さな人形

『孟子』離婁章句下114 孟子曰く、「西子も不潔を蒙らば、則ち人皆鼻を掩ひて之を過ぎん。悪人有りと雖も、斎戒沐浴すれば、則ち以て上帝を祀る可し」

  醜悪なる人も斎戒沐浴身を正せば天帝の祭にも奉仕せむ

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

釈迦の御法のそのかみは さまざま見知らぬ人ぞある 地より涌きつる菩薩たち みこれ金の色なりき
   (法文歌・法華経二十八品歌・涌出品・一二五)

【現代語訳】釈迦が『法華経』を説いたその時、さまざまの見知らぬ人たちがいたことだ。それは地から涌き出た菩薩たちで、みな金色に輝いていたのだったよ。

【評】『法華経』従地涌出品で説かれる地涌の菩薩の出現場面を描いた一首。経本文に「仏、是を説く時、娑婆世界の三千大千の国土は、地、皆、震裂して、その中より、無量千万憶の菩薩・魔訶薩ありて、同時に涌出せり。是の諸の菩薩は、身、皆、金色にして、三十二相と無量の光明とあり」とあって、地涌の菩薩の身が金色に輝いていたことがわかる。「見知らぬ人」は、弥勒菩薩以下が、地から出現した菩薩たちを不審に思って釈迦に尋ねる偈の一節「無量千万憶の大衆の諸の菩薩は 昔より未だ曾て見ざる所なり」によるが、突然現れたさまざまな「見知らぬ人」をまず提示し、謎解きをする構成は、耳から聞く歌として効果的である。

従地涌出品をテーマにした和歌は、地涌の菩薩の様子を詠むよりもむしろ、釈迦が成道してからわずか四十年ほどの間に、このように多くの求法者たちを教化し得たことに対する驚きを比喩的に詠む例の方が多い。それは、釈迦が多くの求法者たちを短期間で教化し得たというのは、とても信じられないことで、百歳の老人が二十五歳の若者を父と呼ぶようなものだという譬えである。この比喩に依拠した例として、

たらちねの親よりこそは老いにけれ年あらがひを人もしつべし (『公任集』)
(年若い者が、親より年をとって老いたなどということは、人々も信用せず疑いを持つに違いない)

いかでかは子よりも親の若からん老いては若くなるにやあらん(『赤染衛門集』)
(どうして子より親の方が若くあることがあろうか。老いては若くなるということがあるのだろうか)

のようなものがある。また、地から涌き出た菩薩たちを詠む場合も、和歌においては、次のように、菩薩の内面のけがれのなさ焦点を当てており、出現の姿の鮮やかさを描く今様とは異なっている。

いさぎよき人の道にも入りぬれば六つの塵もけがれざりけり (『発心和歌集』)
(地涌の菩薩たちは、清らかな境地に入っているので、煩悩と迷いの世界にも汚されることがないのであった。)

世の中のにごりになにかけがるべき御法の水にすすぐ心は (『法門百首』)
(地涌の菩薩たちは、どうして世の中の濁りにけがされることがあろうか。御法の水にすすがれた清らかな心は)

一方、涌出品の経旨絵においては、多くの菩薩が地から涌きだす場面が繰り返し描かれている。半身はまだ土に埋まったままの菩薩たちの姿は、きわめて視覚的印象の強いものであり、絵画化されるのにふさわしいが、当該今様もそうした劇的な場面を鮮やかに切り取っている。

3月2日(月)

朝から雨、雨。

  わが歩みの先行く小爺。懸命に追い抜かんとすれど距離縮まらず

  わが前に歳たけ歩む子爺の後ゆくはわれ許さざるべし

  追へど追へども届かざる子爺の背ただ見るばかり

『孟子』離婁章句下113-2 「鄭人(ていひと)子濯孺子(したくじゆし)をして衛を侵さしむ。衛、庾公子(ゆこうし)(し)をして之を追はしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が(やまひ)(おこ)る。以て弓を執る可からず。吾死なんかな』と。其の僕に問うて曰く、『我を追ふ者は誰ぞや』と。其の僕曰く、『庾公之斯なり』と。曰く、『我生きん』と。其の僕曰く、『庾公之斯は、射を尹公之(ゐんこうし)他に学ぶ。尹公子他は、射を我に学ぶ。夫の尹公子他は、端人(たんじん)なり。其の友を取ること、必ず端ならん』と。庾公子斯至る。曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる』と。曰く、『今日、我が疾作る。以て弓を執る可からず』と。曰く、『小人は射を尹公子他に学ぶ。尹公子他は、射を夫子に学ぶ。我夫子の道を以て、反つて夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廃せず』と。矢を(ぬ)き輪に叩き、其の金を去り、乗矢を発して而る後に反れり」と。

  射の道もあれこれあれど逢蒙を弟子にとるのも羿のあやまち

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(りん)王頭(わおかしら)に光あり 久しく隠して人知らず 法華経一度も聞く人は (かうべ)の珠をぞ手に得たるる
             (法文歌・法華経二十八品・安楽行品・一二二)

【現代語訳】転輪聖王の髻の中には光り輝く珠がある。長く秘して人は知らないが、『法華経』を一度でも聞いた人は、その髻の中の珠を手に入れるようなものだ。

【評】『法華経』安楽行品で説かれる髻中明珠の譬えを歌った一首。仏が文殊に対して述べた譬え話は次のようなものであった。転輪聖王(正義をもって世界を支配する理想の王)が諸国を討伐する際、戦功を立てた部下にはさまざまの恩賞を与えるが、髻(頭上に束ねた髪)の中の明珠(輝く宝石)だけは、みだりに与えることはない。このように、仏も人々に諸経を説いて聞かせたが、今まで『法華経』だけは説かなかった。しかし、王が特別に大きな戦功のあるものに明珠を与えるように、今、この最上の宝石のような『法華経』を与えるのだ。

安楽行品の偈(詩の形で表現された部分)「末後に乃ち為に 是の法華を説くこと

王が髻の明珠を解きて之に与えんが如し」に依っているが、当該今様は、経本文のような明珠を与える王(法華経を与える仏)の立場からではなく、明珠の存在を知らなかった人、『法華経』を聞き得た人と、教えを受ける人の立場から歌われている。救われるべき人々に寄り添った表現になっていると言えよう。同様の表現は、今様と同時代の釈教歌の中にも散見する。

元結の中なる法のたまさかにとかぬ限りは知る人ぞなき
(『続後選和歌集』・釈教・京極前関白家肥後)
(元結の中にある法の玉はたまたま髪を解かない限りは知る人もないことだよ)

その玉を結びこめたる元結もとくべきほどのありけるものを (『平忠度集』)
(明珠を結びこめた元結もとくべき時はあったものを)

3月1日(日)

曇り。

  マンションの間を通るカラスの眼その視界にわれも捉えられたり

  まだ暗きに二羽のカラスが通りゆくその黒き眼もわれを捉ふ

  声たてず飛ぶ明烏二羽がゆくわれは視てをりその行末を

『孟子』離婁章句下113 (ほう)(もう)、射を羿(げい)に学ぶ。羿の道を尽して、思へらく、天下惟羿のみ己に(まさ)れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦羿も罪有り」と。公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し」と。曰く、「薄しと云ふのみ。悪んぞ罪無きを得ん」と。

羿には落度がないやうな。孟子言ふ「軽いかなというだけで罪もあるかな」

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

達多五逆の悪人と 名には負へども実には 釈迦の法華経習ひける 阿私仙人これぞかし
           (法文歌・法華経二十八品歌・提婆品・一一一)

【現代語訳】提婆撻多は五逆の大罪を犯した悪人として知られているが、本当のところは、釈迦が前世で『法華経』を習った阿私仙人こそが、この達多なのであるよ。

【評】『法華経』提婆達多品前半の内容をまとめた一首。釈迦が過去の世に、王位を捨てて法を求めていた時、阿私仙という仙人がやってきて、「自分の言いつけどりにしたならば『妙法蓮華経』という素晴らしい法を教えよう」と言う。釈迦は喜んで千年の間仙人に仕え、やっと法を得ることができた。その時の仙人が今の提婆達多である。「提婆達多は遠い未来に天王如来という名の仏になるであろう」と釈迦は説いた。

「五逆」は、仏教倫理に背く五つの大罪で、⑴母を殺す(殺母)、⑵父を殺す(殺父)、⑶阿羅漢(修行者)を殺す(殺阿羅漢)、⑷教団を分裂させる(破和合僧)、⑸仏に危害を加えて仏の身体から血を流させる(出仏身血)という五種の行為を指す。『法華経』注釈書『法華文句』によると、提婆達多が犯したのは、①五百人の比丘を誘拐したこと、②大石を投げつけて仏身より血を出させたこと、③阿闍世王をそそのかして酔象を放ち、仏を害そうとしたこと、④華色比丘尼を撲殺したこと、⑤手の指に毒を塗り、仏足を礼することによって仏を害そうとしたこと、の五つである(『今昔物語集』巻一‐一〇話「提婆達多、奉諍仏語」にも同様の五つの行為が記される)が、これは、一般的な五逆罪にあてはめると、殺阿羅漢(④)、破和合僧(①)、出仏身血(②③⑤)の三つの罪に対応しよう。提婆達多は殺母、殺父の罪は犯していないが、ここでは、提婆達多の悪の面を強調するために「五逆」の語を用いたものと考えられる。

提婆達多が極悪人であることは、『法華経』提婆達多品には記されないが、説話や経の注釈書にしばしば見られる。当該今様は、経本文にはない悪の面をあわせ表現することによって、大罪を犯した提婆達多こそ、実は釈迦の師であったのだ、と、一首に劇的な反転をもたらしている。救済から最も遠いところにいるはずの極悪人提婆達多が、釈迦の師であったという輝かしい過去を持ち、釈迦に成仏を保証されたことは、この今様を聞く人々を大いに勇気づけたことであろう。

2月28日(土)

今日も晴れ。昨日よりは少しばかり冷たい。

  裏の布地の絵模様をいいだろうと言ひ妻コートを纏ふ

  わが冬のコートは妻と違ひ貧相なり。まあこんなところがわれのものなり

  なかなかにおしゃれな冬の装ひに家出てゆかむ友との会食

『孟子』離婁章句下112 孟子曰く、「以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば(れん)を傷つく。以て与ふ可く、以て与ふる無かる可し。与ふれば(けい)を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく」

  取れば廉潔の徳そこね与えれば恵の徳そこね死すれば勇の徳をそこなふ

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

宝塔(ほうたふ)出でし時 遥かに瑠璃地のとなして 瑪瑙(めなう)(とぼそ)を押し開き 分身(ふんじん)仏ぞ集まりし
            (法文歌・法華経二十八品歌・宝塔品・一〇六)

【現代語訳】宝塔が出現した時、釈迦は見渡す限りを瑠璃の地に変え、宝塔の瑪瑙の扉を押し開いた。その時はすでに、世界中の釈迦の分身仏が集まっていたのだった。

【評】『法華経』見宝塔品に説く宝塔出現の場面を描いた一首。地から湧き出た七宝の宝塔は、虚空に静止した。塔の中から釈迦をほめる声が聞こえる。人々がわけを聞くと、釈迦は次のような話をする。過去に多宝という名の仏があった。その仏は、自分の滅後、法華経の説かれる場所には自分の遺体を収めた宝塔が出現し、『法華経』をほめたたえるだろうと言った。今ここにその多宝仏の宝塔が現れたのである――。一同は多宝塔を見たいと願ったが、そのためには十万世界に散在している釈迦の分身を集めなければならない。釈迦が白毫から光を放つと国土は瑠璃で輝き、分身の諸仏が集合した。釈迦が右の指で宝塔の扉を開くと中には多宝仏が座していた。釈迦は塔の中に入り、多宝仏と並んで座した。

経本文によると、宝塔の扉は、分身仏が集まってから開かれるため、第三句と第四句の順番は逆の方が解しやすいが、一首は、時間の流れより、宝塔の出現と分身仏の終結という動きのある表現を第一句と第四句に置き、瑠璃の地と瑪瑙の扉という華麗な情景描写を中に挟むという構成を重視したのであろう。第二句が「娑婆世界は即ち変じて清浄となり、瑠璃の地と為し」という経の表現を踏まえているのに対し、第三句の「瑪瑙の扉」は経本文には見えない。見宝塔品に言う七宝(金・銀・瑠璃・硨磲(しやこ)・真珠・玫瑰(まいえ))の中に瑪瑙は含まれるものの、宝塔の扉が特に瑪瑙で作られていたという記述はない。ここでは、青色系統の瑠璃と赤色系統の瑪瑙を対比的にならべ、より具体的な色彩対比の効果を狙ったものとおもわれる。『梁塵秘抄』極楽歌には、

極楽浄土の宮殿は 瑠璃の瓦を青く葺き 真珠の垂木を造り並め 瑪瑙の扉を押し開き  (一七六)(極楽浄土の宮殿は瓦を青く葺き、真珠の垂木を造り並べ、瑪瑙の扉を押し開いている)

とあって、「瑪瑙の扉」の表現が見え、瑠璃の青、真珠の白と並べられている。

宝塔出現の場面はしばしば経旨絵にも描かれるが、多くの場合、赤や緑で美しく彩色された大宝塔が雲の上に乗っており、分身仏が取り囲む中、開いた扉から二仏並座の様子が窺われるといった図様である。

2月28日(土)

今日も晴れ。

篠田一士『傳統と文學』(筑摩叢書)を読んだ。1986年12月20日に出たもので、おそらく古本屋で買ったものと思われる。もともと篠田の文章は好きなのだが、「傳統」の捉え方とともに、この旧漢字によって書かれた文学論は、今読んでも刺激あるものであった。漢字は旧字なのだが、平仮名は新仮名。奇妙な取り合わせが、いかにも篠田らしい。四〇年を経た批評だが、その内容はおもしろいものであった。

横光利一『旅愁』、正宗白鳥、斎藤緑雨、森鴎外の史伝もの、特に『北條霞亭』、幸田露伴『運命』、島崎藤村『夜明け前』、萩原朔太郎『氷島』、本居宣長らを取り上げ、これは示唆的なものを感じた。改めて読み直したい本がいくつもある。

尾道をテーマにしたドキュメントを観た。

  尾道はかくもかくもの坂の町。いまのわれには階をのぼれず

  アーケード街に蝦蛄(しやこ)売る屋台あちらこちら、蝦蛄旨さうなり。しかし蝦蛄食はず

  尾道に石田比呂志が来るさうな誘われたるに、われはゆかず

『孟子』離婁章句下111 孟子曰く、「君子の(たく)は、五世にして(た)え、小人の沢も、五世にして斬ゆ。(われ)未だ孔子の徒(た)るを得ざるなり。予(ひそ)かに(これ)を人に(よ)くするなり」

孟子が言ふ「生まれるのが遅く孔子の徒たりえず。しかし遺沢を継ぎてよくする」

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

静かに音せぬ道場に 仏は(はな)(かう)奉り 心を鎮めてしばらくも 読めばぞ仏は見えたまふ
                  (法文歌・法華経二十八品歌・法師品・一〇二)

【現代語訳】静かで物音のしない道場で、仏に花や香をお供えし、心を落ち着けてしばらくの間でも『法華経』を読めば、きっと仏はお姿をお見せになるのだ。

【評】『法華経』法師品が説く内容をまとめたものだが、典拠の知識がなくてもすんなりと理解できる法悦の世界を歌う。法師品の偈(詩の形で表現された部分)で「若し説法の人にして独り(しず)(か)なる処に在りて、寂寞(ひつそり)として人の声なきとき、この経典を読誦せば、われは、その時のために、清浄なる光明の身を現わさん」とする部分にほぼ対応するが、仏をさまざまに供養することについては経本文に「種々に(け)(こう)瓔珞(ようらく)抹香(まっつう)(ず)(こう)・焼香・(ぞう)(がい)(絹製の傘)・(どう)(ばん)(旗とのぼり)・衣服(えぶく)・伎楽を供養し、乃至、合掌し(く)(ぎよう)せば」と見える。ここに示されている華以下の十種のものを仏に供養する儀式を十種供養と呼び、院政期には盛んに行われた。文治四年(一一八八)、後白河院の行った如法(によほう)経会(きようえ)(厳格な作法に従って『法華経』を書写供養する法会)は後世の如法経会のモデルの一つになったが、この折にも十種供養が行われている。

厳島神社蔵の国宝『平家納経』法師品見返し絵には、幡や天蓋のほか、鞨鼓、笛、磬などの楽器が色鮮やかに描かれている。華麗な法会を想起させる図柄である。このように、法師品本文から連想される華やかな儀式の有様や、十種供養の流行といった背景を持ちながら、一首はむしろ、壮麗な儀式とは隔たって、たった一人で仏に向き合う静かな空間を描いている。『梁塵秘抄』には、同様の趣を持つ歌は多く、法師品の第一首目は、

寂寞音せぬ山寺に 法華経誦して僧ゐたり 普賢(かうべ)を撫でたまひ 釈迦は常に身を護る (九八)
(ひっそりと音もしない山寺に、『法華経』を読誦しつつ、僧は座っている。普賢菩薩は僧の頭をお撫でになり、釈迦如来は常に僧の身を護って下さるのだ)

というもので、『法華経』を読誦する山寺の僧とその身に寄り添っている普賢菩薩釈迦如来の姿を物語的に描いている。また普賢品の一首には、草の庵の静けきに 持経法師の前にこそ 生々世々にも値ひがたき 普賢薩埵は見えたまへ (一六八)
(静かな草庵で、『法華経』を信じ保つ僧の前にこそ、現世でも来世でもなかなかお会いできない普賢菩薩がお姿をお現わしになることだ。

とあって、草庵の僧と普賢菩薩の邂逅を歌う。これらの歌が、主人公として、人里離れた場所で修行する僧を置くのに対し、当該今様は、誰にでも起こり得る奇跡として、仏との出会いを歌っている。仏の姿を目の当たりにすることに対する期待と高揚感に満ちていると言えよう。

2月27日(金)

曇りというが、晴れている。

  妻のピンクのセーターとわが濃紺のセーターがからみあふ。あゝのどかなり

  なんとなく泣きさうにならむ。セーターがからみあひつつ絨毯の上

  妻のピンクのセーターの魅力的なる今妻が着れば似合ふ

『孟子』離婁章句下110 孟子曰く、「王者の(あと)(や)んで詩亡ぶ。詩亡んで、然る後春秋作る。晋の乗、楚の(たう) 、魯の春秋は一なり。其の事は則ち斉桓(せいくわん)(しん)(ぶん)。其の文は則ち史。孔子曰く、『其の義は則ち丘窃かに之を取れり』と」

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

一乗実相(じつさう)(たま)清し 衣の裏にぞ(か)けてける 酔ひの後にぞ悟りぬる 昔の親のうれしさに
               (法文歌・法華経二十八品歌・五百弟子品・九一)

【現代語訳】『法華経』の説く真実の教えは宝珠のように清らかだ。親友は宝殊を衣の裏に縫い込めたことだ。酔いからさめて、長い時を経た後にそれを知ったのだ。かつての親友の行いのうれしさ、ありがたさよ。

【評】『法華経』五百弟子品で説かれる(え)(しゆ)の譬えを歌った一首。親友の家で酔いつぶれた男の衣の裏に、友は高価な宝珠を縫い込んでおいたが、男は気づかないままに貧窮した。後日、親友に再会してやっと宝珠のことを知った。このように、愚かな衆生は、仏の教えを受けても悟ることができないのである。

「一乗実相」の語は経本文にはないが、『法華経』の注釈書『法華文句』には、五百弟子品の中の「無価宝珠」(これ以上ないという貴重な宝珠)を注釈して「一乗実相真如如智宝也」としている。親友が衣の裏に縫い込めた高価な珠を「一乗実相」(すべてのものを悟りに導く真実の教え。「一乗」で『法華経』の教えを指すことも多い)と捉えるのは、『法華経』の注釈、解説の中に出てくる認識であり、当該今様も経本文だけから作られたのではなく、広い『法華経』受容の中ではぐくまれた認識の上に成立していることがわかる。

最終句の「親」は、衣珠の譬え話には登場しないため、「親友」の「友」が脱落したものと考えておく。

2月26日(木)

曇りで寒い。風もある。

  デスゲーム蟲毒に果てし男らの魂といふものありしと思ふ

  天・地・人と京から東京へ殺し合ふ二百九十二人次々に滅ぶ

  イクサガミ、勝ち抜くものは誰ならむわくわくどきどき終らんとする

『孟子』離婁章句下109 孟子曰く、「禹は(し)(しゆ)(にく)んで善言を好む。(たう)は中を執り、賢を立つること方無し。文王は民を視ること傷つけるが如く、道を望むこと未だ之を見ざるが(ごと)し。武王は(ちか)きに(な)れず、遠きを忘れず。周公は三王を兼ね、以て四事を施さんことを思ふ。其の(がつ)せざる者有れば、仰いで之を思ひ、夜以て日に継ぐ。幸ひにして之を得れば、坐して以て(たん)を待つ」

  禹・湯・文王・武王・周公それぞれに秀でたるものをもつ

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

われらが疲れし所にて 休むる心しなかりせば 宝の所に近くとも 途中(みちなか)にてぞ帰らまし
(法文歌・法華経二十八品歌・化城喩品・八八)

【現代語訳】われらが長旅に疲れ果てた場所で、休息させようという心が導師になかったとするならば、いくら宝の在り処に近くても、途中で引き返していたことだろう。

【評】『法華経』化城喩品で説かれる化城の譬えを歌った一首。宝を求めて荒野を旅する人々が疲れ切って進めなくなり、引き返そうと言いだした時、引率者が神通力で仮に城を作り出し、そこで一行を休ませてから再び進み、目的を達した。仏が衆生の意志の弱さを知り、方便によって彼らの回復を待つことの譬えである。

一首は、この譬え話がよく知られていることを前提にした反実仮想(事実に反することを仮定して想像すること)から成っており、化城喩の中心である、幻術によって城を仮に作り出したことには一切ふれない。「休むる」は「休息させる」意の他動詞、「心し」の「し」は協調の副助詞。導き手の、人々を休息させようという心に注目しており、疲れ果てて引き返そうとした衆生の行動と、導師の優しい配慮が対置される。仏の慈悲の心に対する深い感謝の気持ちがにじむ。