今日も晴れだ。
縷紅新草
泉鏡花の最後の小説「縷紅新草」こころして読む。幽愁はかなし
辻野糸七
おそらくは鏡花の悔いを負うたるか、辻野糸七どこかぎこちなし
お米
妖艶なる三十路の女と連れ添ふて燈籠寺へと参り候
『孟子』離婁章句上62-2 聖人既に目の力を竭し、之に継ぐに規矩準縄以てす。以て方員平直を為すこと、用ふるに勝ふ可からず。既に耳の力を竭し、之に継ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用ふるに勝ふ可からず。既に心思を竭し、之に継ぐ人を忍びざる政を以てす。而して仁天下を覆ふ。故に曰く、『高きを為すには必ず丘陵に因り、下きを為すには必ず川沢に因る』と。政を為すに先王の道に因らずんば、智と謂ふ可けんや。
政をするに先王の道によらざればそれでは智者とは言へず
川本千栄『土屋文明の百首』
庭石のかわきて荒るる園みれば物のほろぶる人よりもはやし 『六月風』
〈庭に置かれていた石も乾いて荒れている園を見ると、物が滅びるのは人間が滅びるより早いと分かる。〉
ここで歌われる園、「木下川梅園」は勝海舟の元別荘で、文明の師、伊藤佐千夫も歌にしている。荒れた梅園では、梅の木も松の木も枯れ果てている。石さえも乾いて元の梅園の情緒はどこにも無い。場所も物も、人の生よりも短い間に滅びてしまった。
実景を克明に写生しながら、索漠とした思いが滲む。一般的には、人より物の命の方が長いと考えられがちだが、この下句はその逆を断言して、どちらも空しく早く滅ぶと暗示する。
一瞬に移る戦機を或る者は見或る者は見ずしてこと定りぬ 『六月風』
<戦場において一瞬で移る勝つ機会を、ある者は見るが、ある者は見ないため、勝敗が定まった。(見た者が勝ったのだ。)>
文明は時間がある時はよく戦史を読んでいたようだ。他の歌に秀吉、家康などとあるから戦国時代が舞台のものだろう。過去の時代の戦記を読みながら、その頃大陸で拡大している戦線にも考えが及んでいたはずだ。また、この歌の内容は、戦争だけでなく、読む者の人生におけるチャンスにも当てはまるだろう。どちらも戦機を見なければ、敗れるしかないのだ。