寒い、寒い。遅くなって雨らしい。
焼津へはヤマトタケルも東征に訪れしもの。われも焼かれむ
ともすれば長く立ちどまる吾れならむいつか焼かれむ日も遠からず
階段を降りるのが人より遅くして一段一段踏むやうにして
『孟子』縢文公章句上51-2 徐子以て夷子に告ぐ。夷子曰く、「儒者の道は、古の人赤子を休んずるが若しと。此の言何の謂ひぞや。之は則ち以為へらく、愛に差等無し、施すこと親由り始む」と。徐子以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「夫の夷子は信に人の其の兄の子を親しむこと、其の鄰の赤子を親しむが若しと為すと以為へるか。彼は取ること有りて爾るなり。赤子の匍匐して将に井に入らんとするは、赤子の罪に非ざるなり。且つ天の物を生ずるや、之をして本を一にせしむ。而るに夷子は本を二とする故なり。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
机の上に風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ 『迦葉』
風呂敷包はしょせん風呂敷包み、何を包んであったとしても風呂敷包みである。人間も同じこと、どんなに難しい学問を身に付けたところで自分は自分に過ぎないよと、かなり投げやりな人生訓でもある。
『青じその花』には、机に向かい虫眼鏡を使って鉛筆で原稿を書いている方代を写した写真が掲載されている。下着姿で胡坐をかいている。机は文机。机の上には薩摩焼酎「かごしま」のボトルとコップ。背後には書棚。壁には十朱幸代のポスター。<十朱幸代君が唱えば浅草の酸漿市の夜は闌けてゆくなり>が『こおろぎ』にある。
母の名は山崎けさのと申します日の暮れ方の今日の思いよ 『迦葉』
歌やエッセイを読んでいると、父に比べて母が出てくることが少ない。ざっと見たところ母の登場回数は父の三分の一程度。更に父は主役級の重大な役割なのに母の扱いは軽い。この差はどこから来るのだろう。
総じて父の歌はドライである。対して母の歌はウェット、哀愁を帯びている。この歌のように母の名前が詠まれただけでも、じっとりと悲しみを湛えてしまう。きっと方代はそれが嫌だった。ウェット一返倒れの歌は避けたかったのだ。
父は九十四歳まで生きた。母は六十九歳までしか生きられず、右左口を出ることがなかった。