4月13日(月)

今日も割合いい天気らしい。

砂原浩太朗『藩邸差配役日日控』を読む。好きな作家の本なので、よろこんで読む。案の定、おもしろかった。だいたい「藩邸差配役」などに目を着けるところが、著者らしい。差配役の里村五郎兵衛が主人公だが、はじまりの「拐し」と最後の「秋江賦」が秀抜である。藩主、世継ぎ、家老などが絡まり、おそらく続編が出されるのであろう。楽しみである。

  さくらの花の開花をよろこぶ妻と(あ)と並びて仰ぐ古木の桜

  わが(まなこ)にその花の(なり)焼き付けむ。低き処の枝引き寄せて

  (あさ)よりも(よひ)には(こと)に美しく妖艶として花咲かせをり

『孟子』万章章句下133-2 天子一位(いちゐ)、公一位、侯一位、伯一位、子・男同じく一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等なり。

  天子・公・侯・伯・子・男の五等に君・卿・大夫・上士・中士・下士六等なり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

冠者(くわざ)(め)(まう)けに(き)んけるは 構へて二夜(ふたよ)は寝にけるは 三夜(みよ)といふ夜の夜半(よなか)ばかりの暁に 袴取りして逃げけるは  (四句神歌・雑・三四〇)

【現代語訳】若い男は妻探しにきたことだよ。だまして二晩寝たことだよ。いよいよ三日目という夜の明け方に、股立ちつかんで逃げ出したのさ。

【評】露顕(ところあらわし)の儀式を前に逃げ出す男の様子を滑稽に歌った一首。露顕は婚儀の三日目の夜に行われる結婚披露の祝宴。新婦の家で新郎とその従者をもてなし、婿が新婦の親や親族とはじめて対面するもので、正式な結婚の成立を表す。

「冠者」は元服をして冠を着けた少年の意で、ここではまだ若い男を指すのであろう。「妻設け」は妻を定めること。

「三夜といふ夜の夜半ばかりの暁」とは、夜半と暁(夜明け前、まだ空が暗い頃)との時間帯にずれがあるため、やや不審であるが、夜半を過ぎ、暁になったそのギリギリの時間に、という時間的推移と、もう一刻も猶予がない、という男のあわてぶりを強調した表現であろうか。「夜半ばかりの」がない方が意味は通りやすいが、原本は「夜の」の二文字の脇に点を討ち、「無之」(これ無し)としているだけで、「夜半ばかり」は消されていない。

「袴取」は、「取袴」とも言い、袴の股立ち(左右の縫い合わせていない部分)をつかむことで、走りやすいよいにするための行為である。藤原明衡(九八七?~一〇六六)の『新猿楽記』には「氷上専(ひかみのせん)(だう)が取袴」(「専当」は寺院で事務を司る僧侶)という演目があり、「(やま)(しろ)大御(おほいご)(さし)(あふぎ)」(大御は年長の女性を表す語。指扇は扇で顔をさし隠すこと)という演目と並べられているところを見ると、大御のもとから、取袴で急いで逃げ出す様子を滑稽に演じたものかと想像される。取袴をして逃げていく男の様子は、こうした滑稽な猿楽芸の一つともなっていたらしい。    当該今様に登場する冠者は、正式な結婚の成立直前に逃げ出す、ずるい男であるが、袴の左右をつかみあげ、脛も露わに不格好に逃げていく姿は、「けるは」の繰り返しで作り出される律調とあいまって、憎めない小悪党といった風情である。

4月12日(日)

昨日ほどではないが、暖かくなるらしい。朝から晴れている。

  沙羅の木は未だ花着けず中庭に清浄可憐の若みどり色

  公園の一木のさくら。この花は染井吉野ならず。山桜花

  縁葉を共にし咲くは山ざくら少し白くて豊かなる花

『孟子』万章章句下133 北宮錡(ほくきゆうき)問うて曰く、「周室(しゆうしつ)(しやく)(ろく)(はん)するや、之を如何」と。孟子曰く、「其の(しやう)は聞くを(う)(べ)からざるなり。諸侯其の己を害するを(にう)みて、皆其の籍を去れり。然り而うして(か)や、(かつ)て其の(りやく)を聞けり。

  周の記録は破棄されたるに孟子言ふかつてその大略聞きしことあり

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

われを頼めて(こ)ぬ男 (つの)(み)つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれよ 霜雪(しもゆき)(あられ)降る水田の鳥となれ さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし と揺りかう揺り揺られ(あり)

【現代語訳】私を頼みに思わせておきながら訪ねて来ない男よ。角の三本生えた醜い鬼になれ。そして人に嫌われよ。霜や雪や霰の降る水田を歩き回る鳥になれ。そして足が冷たく凍えてしまえ。池の浮草になってしまえよ。あちらへ揺られこちらへ揺られして、定めなく漂い歩け。

【評】あてにさせておきながら通ってこない、薄情な男に投げかけた女の呪詛。

「角三つ生ひたる鬼」について、『梁塵秘抄』の注釈史においては、長く、鬼の角は通常一本か二本であり、三本角の鬼の例が知られないことを前提に醜さの協調であろうとされてきた。しかし、早くに、追儺(大晦日の夜、一年の災厄を払うため、それを象徴する鬼を追い払う年中行事。後世の「豆まき」に繋がるもの)の鬼の面や絵巻の中に見出されるという重要な指摘がなされていた。恐ろしく醜く、嫌われる存在であり、時には罵られて排除され、嘲笑される対象である。また、この三本角の鬼は、女の「胸に住む嫉妬の鬼」と考える説の流れに、頭に三本の蠟燭を立てて火をともす、丑の刻参りの女の醜く恐ろしい姿を重ねて見る説もある。

続く「水田の鳥」「池の浮草」では、足が冷たく凍え、寄る辺なくさまよわなければならないという、鳥あるいは浮草それ自体のつらさ、苦しみに焦点が当てられて、最初の「鬼」が、人に嫌われるという外側からの視点で捉えられているのとはやや異なる。

当該今様の主体が、水辺を漂泊する遊女であったとすると、寒い冬の足の冷たさや定めなく漂わざるを得ない浮草のような境遇のつらさは、十分すぎるほどに知っているであろう。そのように身をもって知っている苦しみを相手に味わわせようとして「水田の鳥」や「池の浮草」といった素材が選ばれたと考えられるが、自らの境遇のつらさと重なるだけに、これらの素材列挙からは女の悲しみが強く伝わってくる。能面のうち、女の鬼を表す般若の面は、口元には激しい怒りが現れている一方で、目元は深い悲しみを示すが、あたかもそうした般若の面のように、この今様の激しい怒りと呪いの底には、深い悲しみと絶望が沈潜しているように感じられる。

さて、当該今様の歌われた場として、『紫式部日記』寛弘五年(一〇〇八)五月二二日(推定)の条が指摘されている。土御門殿での法華三十講の法会が終わって、貴族たちは舟に乗り、音楽を楽しんでいる。月がおぼろに照らす中で、若い貴公子たちが今様歌を歌っている。「池の浮草」と歌って笛などを吹き合わせているのは、暁方の風の気配まで格別の風情があるとの記述が見えるが、原文に「「池の浮草」と歌ひて、笛など吹きあはせたる」とある「池の浮草」が、当該今様ではないかという詩的である。

さらに、『徒然草』五三段に見える、鼎(三本足の金属の器)をかぶって舞っているうちに、それが抜けなくなる仁和寺の僧の失敗談において、その舞の折に、当該今様に類する歌謡を一座で合唱したのではないかとの指摘もある。

いずれも推測の域を出ないが、庭園の池に浮かべた舟の上で歌う歌として、「池の浮草」の語はふさわしいし、鼎をかぶった姿を「角三つ生ひたる鬼」になぞらえるのも面白い。これらの推測に従うとするならば、本来の歌詞の深刻な意味を離れて、今様を楽しむ場の様子というものが垣間見えて、興味深い。

4月11日(土)

今日は晴れで暖かくなるらしい。

  懸命に生きねばならぬ、と思へども調子整はずうろたへてゐる

  椿の花、木のめぐり放埓に散らばりぬ。怒りあれば踏む、その紅き花

  白木蓮の花ばらけつつ春真昼しづかなりけり。脱衣してゆく

『孟子』万章章句下132-6 『集めて大成す』とは、金声して玉之を振するなり。金声すとは、条理を始むなり。玉之を振すとは、条理を終ふるなり。条理を始むるは、智の事なり。条理を終ふるは、聖の事なり。智は譬へば則ち巧なり。聖は譬へば則ち力なり。由ほ百歩の外に射るがごとし。其の至るは爾の力なり。其の中るは爾の力に非ざるなり」と。

  智は技巧であり、聖は力量。その聖と智を備へなければならず

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

厳粧(けしやう)狩場(かりば)の小屋並び しばしは立てれ(ねや)(と)に (こ)ろしめよ 宵のほど 昨夜(よべ)昨夜(ようべ)

夜離(よがれ)れしき悔過(けくわ)はしたりとんとしたり 目に見せそ  (四句神歌・雑・三三八)

【現代語訳】美しく飾った狩場の小屋の並び。しばらくは立たせて置いてやれ、寝所の外に。懲らしめてやるんだよ、宵のほどはね。昨夜もその前もやって来なかったのだから、あやまったって、どんなにあやまったて、逢ってやってはいけないよ。

【評】足が遠のいて夜離れが続く男を怒る遊女の歌。立腹する遊女を朋輩がけしかけている歌と見る説、当人が召使に指図していると見る説、当人の独白と見る説、相手の男に向けた言葉と見る説がある。気弱になっては、強い言葉を重ねる口ぶりは、ひとまず自分に向けているものであろうが、相手を強く意識している言葉と考えたい。

「厳粧」は美しく飾った、の意。薄情な男を懲らしめよ、と言っておきながら、「宵のほど」は、と譲歩し、気弱な自分を励ますように、「昨夜も昨夜も」来なかったんだから、罰を受けて当然だとする。「ようべ」は「よべ」と同じことであるが、昨晩以前もずっと来なかったと強調したものであろうか。「悔過」はもともと仏教語で、仏・法・僧に罪を懺悔する意であるが、ここでは、女のもとに足しげく通わなかったことを悔いわびること。「したりとん」の「とん」は「とも」と同じ意味の接続助詞であるが、院政期に現れ「とも」よりも俗語的響きを持っていた。「見せそ」の「そ」は禁止を表す終助詞。「したりとん」を繰り返し、どんなにあやまってきても、逢ってやってはいけない、と自戒する。しかしそれは、相手の言い訳や口先だけの謝罪の言葉に、もろくも崩れて、部屋に入れてしまうであろう自分を予想しているからこその言葉ではなかったか。すねた口ぶりが、相手に届くことを十分意識した甘えを感じさせる。

4月10日(金)

金沢最終日、雨。室生犀星記念館、鈴木大拙館、近江町市場、そして帰宅。疲れた。

  地の底の沼の鯰が動きだす地表は長き長き地震(なゐ)あり

  一度っきりの人生ならば少しばかり巫山(ふ)(ざ)けるもありそれもよからふ

  否、否、否、だめだといふはむすこなり。対座し飲むも久々にして

『孟子』万章章句132-5 孟子曰く、「伯夷は、聖の清なる者なり。伊尹は、聖の任なる者なり。柳下恵は、聖の和なる者なり。孔子は、聖の時なる者なり。孔子は之を集めて大成すと謂ふ。

  伯夷・伊尹・柳下恵そして孔子それぞれに聖人なれど孔子格別

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

百日百夜はひとり(ぬ)と 人の夜夫(よづま)(なじ)せうに 欲しからず 宵より夜中まではよけれども (あかつき)(とり)鳴けば(とこ)寂し   (四句神歌・雑・三三六)

【現代語訳】百日百夜は一人寝をしようとも、他人の夫など何としよう、欲しくはない。宵から夜中まではなんとか過ごしたけれど、暁、鶏が鳴くころには、さすがに一人寝の床の寂しさが身にしみることだ。

【評】孤独な夜を過ごす女の、強がりから、やるせなさの表出へ、揺れ動く心を歌った一首。この一首の解釈の上で最も問題になるのは「よづま」という言葉であり、従来、「夜妻」と読んで男の立場の歌と見るか、「夜夫」と読んで女の立場の歌と見るかの二説が提出されてきた。「つま」は夫のことも妻のことも表し得る言葉で、『伊勢物語』には、女の詠んだ和歌として、著名な一首、

武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり(武蔵野は今日は焼いてくださるな。私の夫も隠れているし、私も隠れています)があるが、この「つま」は明らかに夫(男性)を表す。ただし「よづま」となると、その用例が示す性別はほとんど女で、「夜夫」ではなく「夜妻」をあてるべきものが圧倒的に多いため、用例からすると前者の説が有力に思える。しかし、男は女のもとに通うことができるが、女は待っているのが基本であった当時の恋のあり方を考える、と、「床寂し」の切実さは女の方がずっと強かったであろう。したがって一首は女の立場の歌と見て、「よづま」は「夜夫」と考えておきたい。なお、「夜」の語は、夜の共寝を意識して添えられた語であって、時には、本妻に対して愛人(隠し妻)といったニュアンスを持つこともある(『蜻蛉日記』など)が、ほとんどの場合、「夜」が付かない「つま」と同義と考えてよい。

時代が遡るが、『万葉集』には、
わが(かど)に千鳥しば鳴く起きよ起きよわが一夜妻(ひとよづま)人に知らゆな (巻一六)
(わが家の表で多くの鳥がしきりに鳴いています。起きてよ起きてよ、私の一夜夫。人に知られないでくださいな)

という歌が見える。「一夜夫」となると、特定の関係でもないのに、偶然の事情で一夜を共にした相手の男といったニュアンスが強くなるが、人目につかないうちに男を追い返そうとする女の強さが窺われる。神前に奏せられる歌謡として上代から宮廷に伝承されてきた神楽歌にも同想の一首が見える。

(にはとり)は かけろと鳴きぬなり 起きよ起きよ わが門に (よ)(つま) 人もこそ見れ
(鶏はもう「かけろ」と鳴いてしまったようです。起きてよ起きてよ。私の家の門口で、夜を共にした夫よ、人が見たら大変です)

当該今様で「人の夫なんか欲しくない」と歌う女の強い口吻は、「人に知られないうちに早く帰って」と男を追い出すような『万葉集』や神楽歌の女の口吻と通い合うものではないか。そして、その強さがやがて、「床寂し」という切実な哀感に収斂してゆく点が、この今様の面白さであり、精一杯の強がりから、はからずも心細さを吐露していくところに、女の生な感情があふれている一首と言えよう。

4月9日(木)

羽咋・金沢行。泉鏡花記念館、徳田秋聲記念館……

妻・俊子作

  木の枠の中に収まる絵はがき、靴……。コラージュ重きたましひの箱

  ノグチ・イサム〈こけし〉を中に安瑆と俊子並びし寫眞ありにき

  妻と(あ)と石像を挟み写したる内間夫妻の真似ごとをして

  葉山の海にも由比ガ浜にもサーファーの黒ずくめの頭あまたが浮かぶ

『孟子』万章章句下132-4 孔子の斉を去るや、(せき)を接して行く。魯を去るや、曰く、『遅遅として吾行く』と。父母の国を去るの道なり。以て速やかなる可くんば速やかに、以て久しかる可くんば久しうし、以て処る可くんば処り、以て仕ふ可くんば仕ふるは、孔子なり」

  斉を去るには速やかに魯は父母の国なれば時かけて去る

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

思ひは陸奥に 恋は駿河に通ふなり 見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし
      (四句神歌・雑・三三五)

【現代語訳】思いは満ちて陸奥まで、恋する気持ちは駿河にまで通うことだ。あの人を見初めなかったなら、かえつてぼんやりしたまま中途で忘れて、苦しむこともなく終わっただろうに。

【評】「陸奥」の「みち」に「(思いは)満ち」を掛け、「駿河」の「する」に「(恋は)する」を掛ける。和歌の伝統にのっとった恋の歌であるが、一首の中に、陸奥と駿河、二か所の地名を出し、都から遠い陸奥国(現在の福島・宮城・岩手・青森の四県)、駿河国(現在の静岡県中央部)の地まで自分の思いが広がっていくことを暗示して、孤独な切なさが強調されている。相手への恨みよりも恋の苦しみをわが身に引き受ける、静かな諦めを感じさせる一首であり、特に「見初めざりせばなかなかに 空に忘れて止みなまし」という一節は、その調べの美しさのためか、佐藤春夫や芥川龍之介の詩に引用されている。

後の日に

つれなかりせばなかなかに
そらにわすれて過ぎなまし
そもいくそたびしぼりけむ
たもとせつなしかのたもと
(後聯略)  (佐藤春夫『殉情詩集』大将一〇年刊) 

相聞一

あひ見ざりせばなかなかに
そらに忘れてやまとんや
野べのけむりも一筋すぢに
立ちて後はかなしとよ    
(芥川龍之介 大正一四年) 

さて、当該今様の主体としては、女を考えるのが一般的であり、それを積極的に否定すべき根拠はないが、「通ふ」「見初む」の語から、この今様の主体に男を考えてもよいのではないだろうか。ここでは恋の「思い」が通うのであって、人が通うわけではないから、女が主体でも問題はないが、当時の恋のあり方を考えると、「通う」の語からは、男が想起されやすい。また、恋の場で「見初む」というと、男が女を、という場合が圧倒的に多い。男が女を「見初む」といっている例は、『源氏物語』『狭衣物語』『うつほ物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚め』などにあわせて三十例ほど見られるのに対し、女が男を「見え初む」といっているのは、管見では『蜻蛉日記』の一例のみであった。女が主体の場合は「見え初む」となるのが一般的である。

このように考えると、当該今様からは、まさに春夫や芥川の詩に見えるような、恋に悩める優しい青年の姿が浮かび上がってくる。

4月8日(水)

羽咋・金沢行一日目。晴れ。

県立近代美術館葉山

  内間(うちま)安瑆(あんせい)・俊子の色彩豊かなる版画見むとす。その美しさ

  色を織り、記憶を紡ぐ安瑆(あんせい)の浮世絵のやうなる版画の大、小

  青や紫、黄色や橙、細やかにそして大胆な安瑆(あんせい)の色

『孟子』万章章句下132-3 柳下(りうか)(けい)は、(を)(くん)を羞ぢず。小官(せうくわん)を辞せず。進んで賢を隠さず。必ず其の道を以てす。遺佚(ゐいつ)せられて怨みず、阨窮(やくきゆう)して(うれ)へず、郷人(きやうじん)(を)り、(いう)(いう)(ぜん)として去るに忍びざるなり。『(なんぢ)は爾(た)り、我は我為り。我が(かたはら)袒裼(たんせき)(ら)(てい)すと雖も、爾(いづく)んぞ(よ)く我を(けが)さんや』と。故に柳下恵の(ふう)を聞く者は、鄙夫(ひふ)も寛に、薄夫(はくふ)も敦し。

  柳下恵は大した人にて心卑しく度量狭くとも寛大・親切なものとなしたり

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

よくよくめでたく舞ふものは (かうなぎ)小楢葉(こならは)(くるま)(どう)とかや やちくま侏儒(ひき)舞手(まいて)傀儡(くぐつ) 花の(その)には(てふ)小鳥   
(四句神歌・雑・三三〇)

をかしく舞ふものは 巫小楢葉車の筒とかや 平等院なる水車 (はや)せば舞ひ(い)づる蟷螂(いぼじり)蝸牛(かたつぶり)       
(四句神歌・雑・三三一)

【現代語訳】とりわけすばらしく舞うものは、巫女、小楢の葉、車の筒とかいうことだよ。やちくま、侏儒舞、手傀儡も。花園では蝶と小鳥だよ。

おもしろく舞うものは、巫女、小楢の葉、車の筒とかいうことだよ。平等院の水車、囃すと舞い出す蟷螂や蝸牛よ。

【評】舞うもの尽くしの二首。第二句を共通にする。「巫女」「小楢葉」「車の筒」はいずれもカ行音ではじまり、人間、植物、人工的な器物、と、さまざまな範疇のものを取り上げている。「小楢」はブナ科の落葉高木であるが、「舞ふ」とは、落ち葉についていったとする説と、風に裏葉が翻るさまをいったとする説がある。後者は、『梁塵秘抄』に「楢葉は風の吹くにぞ ちうとろ揺るぎて裏返る」(→三五三)とあるのを念頭に置いたと思われるが、「まふ」とは、「まは(回)る」と同根で、「をど(踊)る」が上下に動く跳躍を原義とするのに対し、基本的には円形に回る旋回運動を中心に言うから、落ち葉が風に吹き寄せられクルクルと円を描いて動いてゆく様子を捉えたものと考えたい。「車の筒」は、車輪の中心部で、車軸が貫いている箇所。

三三〇番歌は、第三句に三種の芸能を並べている。「やちくま」は、よくわからないが、「八千独楽」とみて、多くの独楽をいっせいに回す芸かとしる説や、「八玉」の誤写で、多くの玉を扱う曲芸であろうとする説もある。「八玉」は、藤原明衡(九八九?~一〇六六)の記した『新猿楽記』に見え、平安時代後期の芸能の一つであった。いずれにしても、「侏儒舞」(こびとが面白おかしく演じる舞。『新猿楽記』にもその名が見える)、「手傀儡」(手であやつる人形劇)と並べられているところからすると、「やちくま」も何らかの曲芸的なものであったと考えられる。

三三一番歌の「平等院なる水車」は平等院(一〇五二年、藤原頼通によって創建)の傍をながれる宇治川の水車のことであろう。現在の平等院の後ろには、高い堤防が連なっており、庭園は閉ざされた空間になっているが、この堤防は秀吉が宇治川治水のために築いた堤の一部をなすものと考えられ、それ以前は、境内は宇治川の川岸まで続いていた。藤原定頼(九九五~一〇四五)の和歌に「世のなかをうぢ川辺の水車かへるをにるに袖の濡れつつ」とあり、平等院創建以前から宇治川の水車が存在していたことがわかる。兼好法師(一二八三?~一三五二?)の五一段には、水車を造る達人として「宇治の里人」取り上げられている。水車は宇治川の名物と言ってもよいものであった。

両今様とも、最終句には、鳥や虫が取り上げられている。蝶や小鳥がひらひらと飛ぶ様子、蟷螂が鎌を振り上げてゆらゆらと前後に揺れ、他者を攻撃しようとする様子、蝸牛が殻から身を出し入れしたり、触覚を動かしたりする様子をそれぞれ「舞ふ」と表現したものであろう。全体として、大きくゆるやかな円環運動を構成するものから、より微細で複雑な(予想しにくい)動きをするものへ、緩やかにその対象が移っているように思われる。「いぼうじり」は「いぼむしり」が変化したもので、かまきりの異称。かまきりの鎌で疣を刈らせるようにさせると、疣がきれいにとれるという俗信からの名らしい。

蟷螂については、『新猿楽記』に「蟷螂舞」という芸が見えるほか、室町時代にいたっても「蟷螂の能」「蟷螂の真似」といった芸能があったことが知られる。太極拳にも「蟷螂拳」という型があり、蟷螂の動きを模倣することの、時間空閑を越えた普遍性が窺われる。

蝸牛については「舞へ舞へ」と囃し立てる今様(→四〇八)もある。

4月7日(火)

雨が降りそうで、曇っている。雨が降るらしい。

  葉山

  波頭高く荒れたる葉山の海の色、雲を映してどんみりとする

  白き花こぶしが惚け散りはじむ。葉山の町を通り抜けたり

  (こん)(もり)した葉山の森に隠れしが御用邸には門番が立つ

『孟子』万章章句下132-2 伊尹(いゐん)は曰く、『(いづ)れに(つか)ふるとして君に非ざらん。何れを使ふとして民に非ざらん』と。治まるも亦進み、乱るるも亦進む。曰く、『天の(こ)の民を生ずるや、先知(せんち)をして(こう)(ち)を覚さしめ、先覚(せんかく)をして(こう)(かく)を覚さしむ。(われ)は天民の先覚者なり。予将に此の道を以て此の民を覚まさんとす』と。天下の民、匹夫匹婦も堯舜の(たく)与被(よひ)せざる者有るを思ふこと、己推(おのれお)して之を溝中(こうちゆう)(い)るるが(ごと)し。其の自ら任ずるに天下の重きを以てすればなり。

  伊尹のは天下の重大事を自ら背負つて立つ気にあらむ

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

黄金(こがね)の中山に 鶴と亀とはもの語り 仙人(わらは)(みそ)かに聞けば 殿(との)受領(ずりやう)になりたまふ
            (四句神歌・雑・三二〇)

【現代語訳】黄金に輝く山の中で、鶴と亀とが何か語り合っている。仙人に仕える童子がこっそり立ち聞きしてみれば、殿様が受領におなりになるというめでたいお話だったよ。

【評】神仙世界と現実世界を結ぶような祝い歌。屋敷の主人が受領になった(あるいはこれからなるであろう)ことを寿ぐ歌で、貴族の邸宅に出入りする芸能者が歌ったものであろう。「中山」は、仙境の中心の山といった意味にも受け取れるが、『梁塵秘抄』には、修行時代の釈迦が「檀德山(だんとくせん)の中山に 六年行ひたまひしか」(檀特山の山中で六年間も仏道修行をなさった(二一九)と歌う一首があって、「中山」が山中の意味で使われているので、第一句は「黄金に輝く山の中で」と解しておきたい。黄金でできた山とはいかにもめでたく、富の象徴としてふさわしい。受領になれば、そうした山のような黄金を手にすることができるということも暗示されているだろう。

鶴も亀も不老長寿を表すめでたいもので、『梁塵秘抄』の祝い歌にもしばしば登場する。ただし、海に亀が「遊ぶ」(三一八・三二一) 、松の梢に鶴が「遊ぶ」(三一六)のように、「遊ぶ」と表現されることが多いのに対し、当該今様は、鶴と亀とが「もの語り」と、積極的な擬人化によって両者の対話の様子を取り上げている。さらに、仙人に仕える童が立ち聞きをするという、世俗のいたずらっ子のような姿を描き、童話風に微笑ましい情景を作り上げている。

「受領」は、中央から派遣され、国の支配にあたった地方官(国司)の最高者であり、任国内の支配は受領に大きくゆだねられたので、微税を強化するなどして、莫大な財産を得た者も多かった。平安時代の漢詩文集『本朝文粋』六には国司の楽しみとして「金帛蔵に満ち、酒肉案に推す」(金銭や絹などの財宝が蔵に満ち、酒や贅沢な料理が食卓にあふれる)ことをあげている(「案」は机の意)。豊かさを体現する存在として、受領は人々の憧れであった。(→三七六)