1月20日(火)

朝から晴れているが、寒くなるらしい。

  ビールから日本酒に替へしどろもどろ呟きはつひに歌声にならず

  浅草の寺の梵鐘が聞こゆれば二〇二六年の年明けむとす

『孟子』離婁章句上74 孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の(ほとり)に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者まり』と。大公は紂を辟けて、東海の浜に居る。文王作興すと聞き、曰く、『蓋ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なり』と。二老者は天下の大老なり。而して之に帰す。是れ天下の父之に帰するなり。天下の父之に帰せば、其の子焉にか往かむ。諸侯にして文王の政を行ふ者有らば、七年の内必ず政を天下に為さん」

  王政を行ふ文王の世になれば伯夷・太公文王に帰す

川本千栄『土屋文明の百首』

亡ぶとも湧く水清き国を信じ帰り来にしと静かに言いヘり 『山下水』

<戦争に敗れ亡んだけれど清い水が湧くこの国を信じて帰って来たのです。とその人は静かに言った。>

戦争中、多くの若い歌の仲間が出征して行った。その一人が帰国し川戸にいる文明を訪ねて来た。直前の歌、「遠き島に日本の水を恋ひにきと来りて直に頬ぬらし飲む」と共に味わいたい。彼は訪ねて来るなり湧き水を飲んだ。戦地の島で飢え渇きながら日本の水を恋しく思っていた、と。自然は確かにまだ美しいが、今のこの国は果たしてその思いに応えるものだろうか。迎える側は、互いの傷の深さの違いに、悲しむことしかできない。

評論はわけのわからぬを常として我がことあればそのめぐりだけ読む 『山下水』

<評論は訳の分からないものだというのを通常のこととして、私のことが書いてあればその辺りだけを読む。>

皮肉に満ちた歌。人を食ったふてぶてしい態度だが、自分のことだけは読むというところがちょっととぼけてもいる。敗戦の翌年、昭和二十一年には日本文化、特に短歌と俳句を攻撃する論が起こっており、文明はその論に強い憤りを感じていた。この前後には自分がいかに日本語と短歌を大切にしているかという歌が並ぶ。気に入らない論者を舌鋒鋭く攻撃する歌もある。文明の後半生の毒舌とユーモアはこの頃から顕在化してゆく。

1月19日(月)

朝曇り、すぐに晴れ。

  紅白の四分の三は分からねどその熱気あればか少しは愉し

  ミーシャと郷ひろみを紅白の華と思ふ。二〇二五年十二月三十一日

  新しき歌は分からず古株がよろし矢沢永吉、石川さゆり

『孟子』離婁章句上73 孟子曰く、「下位に居て、上を獲られずんば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事へえ悦ばれずんば、友に信ぜられず。親に悦ばるるに道有り。

身に反して誠ならずんば、親に悦ばれず。身を誠にするに道有り。善を明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠に思ふは、人の道なり。至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。

  何事も誠こそ大事。至誠にして、また誠ならずして人動かざる

川本千栄『土屋文明の百首』

にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華の花も閉ざしぬ 『山下水』

<にんじんの種は明日蒔けばいい、帰ることにするよ、夕方になって東一華の花も閉ざしてしまった。>

厳しい冬を越えた春、文明は色々な野菜を育てようとしていた。多くの農の歌の中で「にんじん」の語の響きが柔らかい。作業は終わらなかったが、まだ明日がある。という明るい口調。野の花が閉ざすことで時を知る、山村の生活。東一華は花びらに見える長い萼が真っ白で、裏がほのかに紫がかっている。閉じてうつむいた姿も愛らしい。定型にぴったりと収まった、愛誦性に満ちた歌だ。

ツチヤクンクフクフと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し 『山下水』

<「ツチヤクンクウクウ」と鳴いた山鳩は去年のこと、今はその声は遠い。>

疎開してから一年近くが経った。去年豆を蒔いた時は山鳩に掘り返され、双葉もすっかり食われてしまった。その時の山鳩は「土屋君、空腹」と鳴いていた、と鳩にもからかわれた。去年の飢えた自分を大らかに笑っている。山鳩の目を通して自分を客観的に見、声を借りて「ツチヤクン」と戯画化する。その声が遠いということは、今年はいくらか気持ちに余裕があるのだろう。同じ山に生きるものとして、鳩に親しみも感じている。

1月18日(日)

晴れてます。雨は降らない。

  「あれ、蜻蛉が」お米膝つき手を合す裏の山には風が通る

  提灯は墓石に寄せ糸枠の柄にかけ下山する男女二人に

  裏山の風一通り赤蜻蛉(そつ)と動いて女の影‥…二人

『孟子』離婁章句上72 孟子曰く、「道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り。而るに諸を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とせば、天下平らかなり」

  親は親、長者は長者と尊べば天下平らかに治まるべし

川本千栄『土屋文明の百首』

春の日に白鬚光る流氓一人柳の花を前にしやがんでゐる 『山下水』

<春の日に、白い鬚が光る老いた流民が一人、楊の花を前にしゃがんでいる。>

「流氓」は居場所を失って他郷をさすらう民、ここでは文明自身を指す。まだ五十五歳であったが当時は老人と考えられる年齢だ。「白鬚」に自身の老いが痛感されている。春の日と柳の花が暖かく柔あらかいために、流浪者の孤独が一層際立つ。多くの明るい農の歌の中に、ふと見せる違う一面だ。漢語調の上句、十音の四句の次に、結句は「~している」という口語体の六音で、つぶやくように終える。硬軟の取り混ぜ方が絶妙な文体だ。

鳥籠に寄り立つ人の父を見る万の戦死者の親かくありや 『山下水』

<(戦死した息子が生前飼い馴らしていた野鳥斑鳩の)鳥籠の傍らに寄って立つ父親を見かける。何万もの戦死者の親もこのように死者を思っているのではないか。>

「斑鳩」五首は短編小説の趣だ。次の歌で、父親は鳥を野に放つ。天にいる息子の所へ飛んで行って欲しいと思ったのだろう。しかしそれは人間の空想であって、現実の鳥は慣れた鳥籠に戻って来た。鳥は息子のところへ行かないし、息子は二度と帰って来ないなだ。今日も父親が歩いているのを見かける。文明や村人たちは再び響き通る斑鳩の声を、静かに聞くしかないのだった。

1月17日(土)

今日また晴れ。湿度が低いらしく各地で火災。

  金沢城下は目の下にあり町の燈は柳にともり川に流るる

  (いしだん)を下へ下へ。谷底のやうなる暗がり五(しよく)まだ来ず

  あきなひ帰りの豆腐屋。ぶつかるやうにハタと留まる

『孟子』離婁章句上71 孟子曰く、「自暴者は、与に言ふ有る可からざるなり。自棄者は、与に為す有る可からざるなり。言、礼儀を非る、之を自暴と謂ふ。吾が身仁に居り義に由ること能はざる、之を自棄と謂ふ。仁は人の安宅なり。義は人の正路なり。安宅を曠しうして居らず。正路を舎てて由らず。哀しいかな」

  仁と義の安宅、正路をむなしうしてものかなはざる哀しいものよ

川本千栄『土屋文明の百首』

垣山にたなびく冬の霞あり我にことばあり何か嘆かむ 『山下水』

<幾重にも重なり合う垣根のような山には冬の霞がたなびいている。私には日本語と言う言葉が、短歌がある。何か嘆くことがあろうか。>

季節は冬だが、春のように霞がたなびいている。「垣山」の垣は、大和の褒め言葉「たたなづく青垣」に基づく。大和(奈良)で詠まれた歌だが、歌の背後にある「大和」は、「日本」全体を指す。私の国日本は戦争に敗れた。しかしまだ自然があり、言葉がある。何も嘆くことなどない。杜甫の「国破レテ山河在リ」に通じながらも、その空しさを超え、深く静かに希望を表わしている。

吾が言葉にはあらはし難く動く世になほしたづさはる此の小詩形 『山下水』

<私の言葉には表せないほど激しく動くこの世の中で、それでもなお関わっているこの小さな詩形、短歌。>

「なほし」の「し」は強調。前年、敗戦直後の九月、文明は川戸から東京青山に出向き、「アララギ」を復刊するために、発行所の焼け跡で編集を始めていた。国の体制は民主主義へと大きく変わり、漢字全廃・ローマ字化の議論が起こるなど日本語も揺れていた。迷っている暇も嘆いている暇もない。この歌が表わすのは、どんな時代になろうとも短歌の関わっていくという意志だ。彼はひたすら現実を見つめる人、意志と実行の人であった。

1月16日(金)

晴れ。気温も上昇するらしい。

  大きなる蟹が竜宮の女房を胸に抱きしめて頓生菩提

  糸塚の青苔に汚れし羽織りをばお米に着せかけてやる色も欲もなく

  (ふ)(と)鴉も嘴細(ほそ)鴉も夕べ暗くなれば千ヶ淵の森へ帰りぬ

『孟子』離婁章句上70-2 民の仁に帰するや、猶ほ水の(ひく)きに就き、獣の(くわう)に走るがごときなり。故に淵の為に魚を(か)る者は、(だつ)なり。(くさむら)の為に(すずめ)を敺る者は、(せん)なり。湯・武の為に民を驅る者は桀と紂となり。今、天下の君、仁を好む者有れば、則ち諸侯皆之が為に敺らん。王たること無からんと欲すと雖も、(う)(べ)からざるのみ。今の王たらんと欲する者は、猶ほ七年の病に三年の(もぐさ)を求むるがごときなり。苟も畜へざるを為さば、終身得ず。苟も仁に志さずんば、終身憂辱して、以て死亡に陥らん。詩に云ふ、『其れ何ぞ能く(よ)からん。(すなは)胥及(あひとも)に溺る』と。此の謂なり。

  今の行ひだうしてよいと言へやうか相ともどもに溺れんとする

川本千栄『土屋文明の百首』

朝々に霜にうたるる水芥子となりの兎と土屋とが食ふ 『山下水』

<毎朝霜にうたれる水芥子を、となりの家の兎と土屋家の者が食う。>

敗戦後の歌。水芥子はクレソンのことで、葶藶の名でも文明短歌によく登場する。泉に自生し、村では兎などの餌にしていたようだ。文明と家族は、付け合わせとして少量食べるのではなく、野菜の一つとして兎のようにもりもり食べていた。隣は兎の餌でもうちは食べますよ、とでも言いたげだ。食べるに厳しい生活でありながら、それを楽しむ余裕さえ感じさせる。兎と文明が一首の中で並んで見えて、ユーモラスな印象だ。

この谷や幾代の飢に痩せ痩せて道に小さなる嫗行かしむ 『山下水』

<ああ、この谷は。何代もの飢えに痩せてしまい、道に小柄な老いた女性を歩かせている。>

谷の道を老いた女性が歩いていることを、谷が道に女性を歩かせている、と表現している。谷に沿って棚田が作られており、女性も農作業の往き来のために歩いているのだろう。山間の田は耕作面積が狭く、天候に恵まれないとたちまち飢えに苦しめられたか。土地も人も痩せている。これは文明の疎開した吾妻川渓谷だけでなく、同時代の同様の地形のどこででも起こっていたことなのだ。

1月15日(木)

快晴。しかし朝は寒い。

糸塚

  散々に甚振(いたぶ)られ倒され無惨なる碑を雁字搦めに緊縛したり

  (ふん)と薫った石の肌。おもはず「あ」と声立ててゐる

  担ぎだすために直肌ではまずからう藁・筵くくり下へとおろす

『孟子』離婁章句上70 孟子曰く、「桀紂の天下を失ふや、其の民を失へばなり。其の民を失ふ者は、其の心を失へばなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば斯に天下を得。其の民を得るに道有り。其の心を得れば斯に民を得。其の心を得るに道有り。欲する所は之を与へ之を聚め、悪む所は施す勿きのみ。

  天下を治むるには大事なことがある民の心を欲するままに悪まずに

川本千栄『土屋文明の百首』

朝よひに真清水に採み山に採み養ふ命は来む時のため 『山下水』

<朝に夕に。泉の澄んだ水に育つ草を摘み、山に山菜を摘み、食べて養う命はやがて来る時のためだ。>

昭和二十年六月、文明と妻、三人の娘は群馬県川戸に疎開してきた。この歌は、大学の寮で一人離れて住む長男夏実への、家族からの寄せ書きに書かれたものだ。故郷に近く、同様に山深い村に住み、草を食べてでも生きるという決意の表明だ。「に」音や「採み」の語の繰り返し、「真清水」と「山」との対比で、韻律の整った歌となっている。「来む時」は戦争が終わる時だろう。それが来ること、また近いことも予感しているのだ。

山の上に吾に十坪の新墾あり蕪まきて食はむ餓ゑ死ぬる前に 『山下水』

<私には山の上に十坪の新しく開墾した土地がある。そこに蕪を蒔いて食べよう、飢え死にをする前に。>

その出身から文明には、農に対する心得も執着もあった。そのためか、これからは自分で農作物を作る決意を宣言したこの歌は、明るく前向きな精神に満ちている。昭和二十年七月、人々は空襲に焼かれ、配給の食べ物も不足し、餓死の一歩手前にあった時期だ。私は自分の手で自分を食わせて生き延びる、飢え死になどしない、そんな気概が伝わる。こうした明るい農の歌は、短歌に依る人々の戦後に生きる指針となってゆく。 

1月14日(水)

今日も晴れ。稲取への旅も昨日終えた。一泊二日。ああ、惜しまれる。

  盂蘭盆の夜が更け初路の墓の前あはれ陰々と鬼気迫るもの

  わあ、わっ、わっ、おう、ふうと四人の男とすれ違ふ

  「出ただええ、幽霊だあ」「おッさん、蛇、蝮?」「そんげいなもんじゃねえだア」

『孟子』離婁章句上69 孟子曰く、「不仁者は与に言ふ可けんや。其の危ふきを安しとし、その(わざはい)を利とし、其の亡ぶる所以の者を楽しむ。不仁にして与に言ふ可くんば、則ち何の国を亡ぼし家を敗ることか之れ有らん。孺子(じゆし)あり、歌うて曰く、『滄浪の水清まば、以て我が(えい)を濯ふ可し。滄浪の水濁らば、以て我が足を濯ふ可し』と。孔子曰く『小子之を聴け。清まば斯に纓を濯ひ、濁らば斯に足を濯ふ。自ら之を取るなり』と。夫れ人必ず自ら侮りて、然る後人之を侮る。家必ず自ら(やぶ)りて、而る後人之を毀る。国必ず自ら伐ちて、而る後人之を伐つ。太甲に曰く、『天の(な)せる(わざはひ)は猶ほ(さ)く可し。自ら作せる孼は(い)く可からず』と。此れの謂なり。

  『書経』の太甲篇に「天の災ひは避けられる、しかし自らの招くは逃れざるべし

川本千栄『土屋文明の百首』

ただの野も列車止まれば人間あり人間あれば必ず食ふ物を売る 『韮靑集』

<ただの野原も列車が止まると、そこに人間が存在する。人間が存在すれば必ず食べる物を売る。>

列車が野原に停車した。休憩のためだろう。列車が止まると、それに合わせたかのように、どこからか売り子がやって来て食べる物を売る。下句は破調で散文的に何でも無いことのように言うが、本質を捉えている。人間は必ず食べる。食は人間が生きる力の根源なのだ。他にも蓮の実、饅頭、麵、餅など様々な中国の食べ物を売る場面、人々がそれを食べる場面の歌がある。食の歌を通して、中国民衆の活力に満ちた姿が描かれる。

箱舟に袋も豚も投げ入れて落ちたる豚は黄河を泳ぐ 『韮靑集』

<渡し舟である箱舟に、人々は荷物の袋も豚も投げ入れている。舟から落ちてしまった豚は、しばらく黄河の水に浮かんで泳いでいる。>

一行は黄河のほとりにやって来た。水は黄色く濁り、夏の日が輝いている。渡しでは駱駝が船を待っている。水に落ちた豚はすぐに引き上げられるのだろうが、見た通りに「黄河を泳ぐ」と表現されると、そのまま大黄河を泳ぎ渡って行きそうで、何ともユーモラスだ。景も大きく、人も大らかだ。中国大陸の自然の広大さと民衆の持つ力に触れた文明の現実(リア)主義(リズム)の筆致は明るい。