寒いのだが快晴。雲一つない。
路の上に落ちたる黒き手袋が冬の激しき風に立ちあがる
まるで淑女のごとくに揺れる黒手袋少しづつ風に容を変へて
手袋が落ちてゐるだけで楽しきよ人それぞれに夢を紡ぐ
『孟子』離婁章句上77 孟子曰く、「恭者は人を侮らず。倹者は人より奪はず。人を侮り奪ふの君は、惟順はざらんことを恐る。悪んぞ恭倹と為すを得ん。恭倹は、豈声音笑貌を以て為す可けや」
恭倹と心の問題にてうわべのことばつきや笑顔では決められず
川本千栄『土屋文明の百首』
戦ひて敗れて飢ゑて苦しみて凌ぎて待ちし日と言はむかも 『自流泉』
<戦って敗れて飢えて苦しんでそれでも何とか凌いで待った日と言うだろうか。>
昭和二十六年「講和を迎へて」より。同年九月八日に締結されたサンフランシスコ平和条約によって、日本は独立国家として主権を認められた。歴史の大きな転換点であり、喜ぶ声も多かった。この歌は、「……て」をリズム良く五度繰り返しながらも、人々はこう言うのだろうか、言うのだろうな、と醒めている。この条約の不備や同時に結ばれた日米安保条約などを考え、もたらされる未来が明るくないことを見通していたのだ。
なほ一人の土屋が山に残り居て落葉の坂を行くかともまどふ 『青南集』
<今もなおもう一人の土屋文明が川戸の山に残っていて、落葉の坂を歩いて行くのではないかとも惑う。>
昭和二十六年末、六十一歳の文明は疎開先の川戸を去って、東京の青山南町に帰住した。約六年間の疎開生活は他の疎開者に比べてもかなり長いもので、渓谷の風景や、開墾した畑とそこへ行き来した山道などは、それなりに愛着のあるものだっただろう。もう一人の自分がまだ前の場所に居るかのような錯覚は、引っ越しや職場を変わった時に体感されるものだが、「土屋」という客観化により、平行世界を見ているかに表現される。