1月5日(月)

今日も晴れ。「ばけばけ」が再び始まった。

宮部みゆき『新しい花が咲く ぼんぼん俳句』を読む。宮部の短編十二編。BBK句会の作品、つまりそれぞれ俳句に小説を付けているということだ。おもしろい。怖い、嬉しいのだ。「枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる」「月隠るついさっきまで人だった」「薄闇や苔むす墓石に蜥蜴の子」、どれも面白いのだが、こんな章がいい。続編を期待する。

  従姉(いとこ)のお京のむすめなり。お(よね)に曳かれ、ぶらりふらりと

  とりあへず目指すはお京の墓ならむ盂蘭盆会には燈籠ともす

  雪国の冬にはあれど小春日和、石段に坐す。ああ提灯いやどっこい

『孟子』離婁章句上62-3 (ここ)を以て惟仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に或るは、是れ其の悪を衆に(は)するなり。(かみ)道揆(だうき)無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、国の存する所の者は幸ひなり。故に曰く、『城郭(まつた)からず、兵甲多からざるは、国の災ひに非ざるなり。田野(ひら)けず、貨財聚まらざるは、国の害に非ざるなり』と。上礼無く、下学無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に(くつがへ)さんとする、然く泄泄(えいえい)すること無かれ』と。泄泄とは猶ほ沓沓(たふたふ)のごときなり。君に事へて義無く、進退礼無く、言へば則ち先王の道を(そし)る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責むる、之を恭と謂ふ。善を陳べ邪を閉づる。是を敬と謂ふ。吾が君能はずとする、之を賊と謂ふ』と」

  ここにただ仁者のみが人君の高位にあらねば国滅ぶのみ

川本千栄『土屋文明の百首』

まをとめのただ素直にて行きにしを囚へられ獄に死にき五年がほどに 『六月風』

<純真な乙女で、ただ信条に素直に行動しただけなのに、警察に捕まり監獄で死んだ。五年ほどの間に。>

「ま」は「乙女」の協調。文明が諏訪高等女学校の校長だった時の卒業生に伊藤千代子という聡明な少女がいた。社会を良くしたいという理想に燃えて、当時非合法だった共産主義活動に従事。逮捕され二十四歳で獄死した。文明自身は共産・社会主義思想と慎重に距離を取りながらも、人がその思想によって犯罪者とされ、最悪の場合は殺されてしまう世に、強い憤りと悲しみを感じている。下句の言い募るような破調に悔しさがこもる。

土屋文明を採用せぬは専門なきためまた喧嘩ばやきためとも言ひ居るらし 『六月風』

<土屋文明を採用しないのは、専門がないためまた喧嘩っ早いためとも言っているらしい>

文明はこの歌の前後の時期、講師として勤めた学校を変えている。自分を採用しない学校側、つまり他人がこう言っているという歌だが、これは自画像そのもので、歌として手渡される自己紹介なのだ。音数は八・七・八・十・八と取ったが、緩急のつけ方で違う韻律でも読める。自分の氏名を詠み込んで、「私」をくっきり描き出す。短気さを平然と認め、大学の哲学科卒だが万葉研究と短歌に打ち込むことへの自尊心も滲ませる。

1月4日(日)

今日も晴れだ。

縷紅新草

  泉鏡花の最後の小説「(る)(こう)新草(しんさう)」こころして読む。幽愁はかなし  

辻野糸七

  おそらくは鏡花の悔いを負うたるか、辻野糸七どこかぎこちなし

お米

  妖艶なる三十路(みそじ)の女と連れ添ふて燈籠寺へと参り候

『孟子』離婁章句上62-2 聖人既に目の力を(つく)し、之に継ぐに規矩準縄以てす。以て方員(はううゑん)(へい)(ちよく)を為すこと、用ふるに(た)ふ可からず。既に耳の力を竭し、之に継ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用ふるに勝ふ可からず。既に心思を竭し、之に継ぐ人を忍びざる政を以てす。而して仁天下を覆ふ。故に曰く、『高きを為すには必ず丘陵に因り、(ひく)きを為すには必ず川沢(せんたく)に因る』と。政を為すに先王の道に因らずんば、智と謂ふ可けんや。

  政をするに先王の道によらざればそれでは智者とは言へず

川本千栄『土屋文明の百首』

庭石のかわきて荒るる園みれば物のほろぶる人よりもはやし 『六月風』

〈庭に置かれていた石も乾いて荒れている園を見ると、物が滅びるのは人間が滅びるより早いと分かる。〉 

ここで歌われる園、「(き)下川(ねがわ)梅園」は勝海舟の元別荘で、文明の師、伊藤佐千夫も歌にしている。荒れた梅園では、梅の木も松の木も枯れ果てている。石さえも乾いて元の梅園の情緒はどこにも無い。場所も物も、人の生よりも短い間に滅びてしまった。

実景を克明に写生しながら、索漠とした思いが滲む。一般的には、人より物の命の方が長いと考えられがちだが、この下句はその逆を断言して、どちらも空しく早く滅ぶと暗示する。

一瞬に移る戦機を或る者は見或る者は見ずしてこと定りぬ 『六月風』

<戦場において一瞬で移る勝つ機会を、ある者は見るが、ある者は見ないため、勝敗が定まった。(見た者が勝ったのだ。)>    

文明は時間がある時はよく戦史を読んでいたようだ。他の歌に秀吉、家康などとあるから戦国時代が舞台のものだろう。過去の時代の戦記を読みながら、その頃大陸で拡大している戦線にも考えが及んでいたはずだ。また、この歌の内容は、戦争だけでなく、読む者の人生におけるチャンスにも当てはまるだろう。どちらも戦機を見なければ、敗れるしかないのだ。

1月3日(土)

快晴。

  年をとれば我慢の限度が緩くなる日々のニュースに声出して怒る

  夜の内の譫言ふえて怒りたり。妻に揺すられ情けなきなり

  正月はもの申すべし。ぐずぐずと攻撃止めぬはをかしくないか

『孟子』離婁章句上62 孟子曰く、「離婁(りろう)の明、公輸子(こうゆし)の巧も、規矩を以てせざれば、方員(はうゑん)を成すこと能はず。師曠(しくわう)の聡も、(りく)(りつ)を以てせざれば、五音(ごいん)を正すこと能はず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治(へいち)すること能はず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の(たく)(かうむ)らず、後世に(のつと)る可からざる者は、先王の道を行はざればなり。故に曰く、『(と)(ぜん)は以て政を為すに足らず。徒法(とはふ)は以て自ら行はるること能はず』と。詩に云ふ、『(あやま)らず忘れず、旧章に(したが)ひ由る』と。先王の法に(したが)ひて(あやま)つ者は、未だ之れ有らざるなり。

  先王の道を知らねば平治せず誤まらず忘れず旧章にしたがへ

川本千栄『土屋文明の百首』

蘭会場いでつつ思ふ富むころには性慾衰へてゆく人々など 『山谷集』

<蘭展覧会の会場を出ながら、裕福になる頃には性欲が衰えてゆく人々のことなどを思う。>

草木好きの文明にとって、蘭は特別に好きな花だった。蘭会場に入り蘭を見ていると、ある裕福そうな老人も蘭を見ている。その老人の顔には蘭に対する物欲が見えた。尊会場を出ながら、裕福になる頃には性欲が衰えてゆく人々のことを考える。年を取ったからか、富に満足して動物としての活力が減退したからか。「性慾」というあまり短歌に使われなかった言葉を、美しい花に対する物欲と対比させて歌っている。

吾が一生悔ゆといはなくに子供のため或は思ふ異れる道を 『六月風』

<私のこれまでの人生を後悔するとは言わないが、子供を育てるためには、或いは違う道があったのではないかと思う。>

若い頃は教育に打ち込んだが、その意を遂げられず、職を捨てた。時間講師で生計を立てつつ、文学者として生きてきた。戦争の時代に生きて耐え忍ぶ生を選びながら、文学への思いは守り抜いた。そこに後悔は無い。けれども四人の子供のことを考えると、もっと経済的に安定した職に就くべきでなかったかとも思う。文学か生活か、多くの文学者を襲う迷いだ。

1月31日(土)

夜明けが遅い。ゴミ捨ても遅くなる。

  矢柄(やがら)魴鮄(ほうばう)を刺身にてそれぞれの味舌にころがす

  地の酒を一盃、二盃。酔ひ気味の妻とかはせばわれも嬉しき

  金目鯛の煮物をくづし身と汁をかけて食ふ(めし)ただただに美味

『孟子』離婁章句上84 孟子曰く、「人の(うれひ)は、好んで人の師と為るに在り」

  人がだめなのは好き好んで人の師になろうとすること

川本千栄『土屋文明の百首』

二人三人の友とありし日少しはしやぎ少女は声に我を呼びにき 『青南後集』

<二、三人の友と一緒にいた日、少しはしゃいで、少女は声に出して私の名を呼んだのだった。>

昭和五十年「少女と姫萩」より。八十四歳の文明は姫萩を見て、七十数年前、この花の咲く道で同級生の少女から名を呼ばれたことを思い出す。教室で隣に座る少女だった。二人は自分の気持ちが何なのか分かっていなかったが、「声に」によってそれを意識する。少女と一緒にいた女の子たちは、文明と少女の仲を噂し始めた。二人の淡い思いは、十四歳での少女の病死によって終わる。少女は、後に妻となるテル子の二歳下の妹だった。

思ひ出よ夏上弦の月の光病みあとの汝をかにかくつれて 『青南後集』

<思い出しておくれ、あの夏の上弦の月の光を。病み上がりのお前をともかく連れて行った日を。>

「汝」は「なれ」。昭和五十年「白雲一日」より。前年、長男の夏実が五十一歳で病没した。あの夏の日、午後の空に浮かんだ上弦の月を思い出しておくれ、と亡きわが子に呼びかけている。大病後の子を連れて遊びに出かけた時の記憶だ。貧しく、質素な食事しかさせてやれなかったから、幼少期の虚弱な体質が残ったのかという悔恨も、同じ連作で歌にしている。白く薄い昼の月が、ひ弱だった幼い頃の息子に重なって思われるのだ。

1月30日(金)

晴れているが、ひどく寒い。

  大島をはじめ利島(としま)新島(にひじま)も、晴るれば遠く三宅島まで

  油槽(タン)(カー)や貨物船も遠くゆつくりと右手に動く下田を越えて

  東に面する宿の七階の湯に沈む。昼の明るき伊豆の海なり

『孟子』離婁章句上83 孟子曰く、「人の其の言を易くするは、責め無きのみ」

  人がまた軽々しくもものをいふ責任感が乏しきゑなり

川本千栄『土屋文明の百首』

作るほど下手になるといふ理論自ら明かす如く作り来たりぬ 『続々青南集』

<歌は作るほど上手くなるのでなく、下手になるという理論を、自ら証明するように作ってきた。>

「来りぬ」は「きたりぬ」。昭和四十八年八十二歳の作。長く続けると、歌を作る知識や技術は増えても、新鮮な感覚や、素材に向かう熱量は失われてゆく。自己模倣に陥る危険性も増える。老歌人の卑下と取られかねない内容を臆さずに口にする。どんなに劣化しようが、それでも歌を作らずにはいられない業のような何かが、歌を作る人間にはある。その何かに駆られて歌って来た自覚が底にあり、卑下や謙遜とは違う歌になっている。

東西南北中高層ビルにかこまれてすぐに分るよぼろ屋文明 『青南後集』

<東西南北を中高層ビルに囲まれたぼろ家だから、すぐに分かるよ。ぼろ屋文明より。>

昭和四十九年「老の家居」より。一家が疎開先から帰った昭和二十六年、あたりはまだ戦後の荒廃が残っていたが、それから二十年以上経ち、東京青山の風景は一変した。この歌は、家への道案内を記したはがき歌風の文体で、「分るよ」と会話体で気さくに話しかけ、姓「土屋」を「ぼろ屋」に変えて署名のように付け加える。文明八十三歳、歌壇の重鎮の位置に安住せず、軽みとユーモアを武器に飄々と新しい試みを続けていた。

1月2日(金)

晴れ。

  (ま)多羅(たら)(じん)は不可思議の神。到来を喜ぶはわれ、いのちなりけり

  牛頭(ごづ)天王(てんわう)(ほこら)に祈るわれならむ。世界全土にいくさ無きこと

  バカどもに告ぐ。おのれらの自己中心主義さうさうに辞めよ

『孟子』縢文公章句61-2 曰く、「是れ何ぞ傷まんや。彼は身(くつ)を織り、妻は(ろ)(う)み、以て之に(か)ふるなり。」と。曰く、「仲子は斉の世家なり。兄の戴が(かふ)の禄万鐘あり。兄の禄を以て不義の禄と為して、(くら)はざるなり。兄の室を以て、不義の室と為して、居らざるなり、兄を(さ)け母を離れて、(を)(りよう)(を)る。他日、帰れば則ち其の兄に生鵝(せいが)(おく)る者有り。己頻顣(ひんしゆく)して曰く、『(いづく)んぞ是の鶃鶃(ぎつぎつ)の者を用ふるを為さんや』と他日、其の母是の(が)を殺すや、之を与へて之を食はしむ。其の兄外自より至りて曰く、『是れ鶃鶃(ぎつぎつ)の肉なり』と。出でて之を(は)く。母を以てすれば則ち食はず。妻を以てすれば則ち之を食ふ。兄の室を以てすれば則ち居らず、於陵を以てすれば則ち之に居る。是れ尚ほ能く其の類を充すと為さんや。仲子の若き者は、(いん)にして後、其の(さう)を充す者なり」と。

  仲子のやうな者は蚯蚓にならずば主義主張徹底せず

川本千栄『土屋文明の百首』

嵐の如く機械うなれる工場地帯入り来て人間の影だにも見ず 『山谷集』

<嵐のように機械のうなる音が響く工場地帯に入って来ると人間は影さえも見かけない>

昭和八年「鶴見臨港鉄道」より。急速に発展する京浜工業地帯の鶴見埋立地には、大資本による機械化された大工場が立ち並ぶ。「城東区」の歌よりさらに破調が顕著になり、音数は七、七・七・九・七と定型を大きくはみ出し限界まで広がりながら、上句下句の均整の取れた引き締まった韻律になっている。当時こうした破調の文体は「文明調」と呼ばれ、抒情を拝した冷徹な視線で対象物を把握する発想は「新即物主義」とも呼ばれた。

吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は 『山谷集』

<私が見ているのは鶴見埋立地のほんの一隅だが、思うようにふるまっている、機械力の専制は。>

「鶴見臨海鉄道」より。この片隅から見ている部分ですら機械力の専制が圧倒的なのだから、全体ではどれほど機械力に支配されているのか。物を端的に描くことから、近代的な機械力が人間存在を圧し疎外することへと考察は及ぶ。続く「横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ」「無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ」も圧倒的な機械力の前の個人の無力さを、破調により際立たせる。

2026年1月1日(木)

元旦です。まあ、晴れてます。

  よくしたもので(よはい)七十にならむとす今年こそよき年にてあれよ

と、もう一首。

  去年今年貫く棒のごときものあればこそ今年よき年であれ

譫言

  (うは)(ごと)に申すか石の神ありて祟りをなせり、しかし敬すと

  宿神は翁の神か。後ろ戸に隠りし三人(みたり)、をどりあそぶ

『孟子』縢文公章句下61 匡章曰く、「陳仲子は、豈誠の廉士ならずや。(を)(りよう)に居り、三日(くら)はず。耳聞ゆる無く、目見ゆる無きなり。井上(せいじよう)に李有り。(すくもむし)、実を食ふ者半ばに過ぎたり。匍匐して往き、(と)りて之を食ふ。三咽(さんえん)して、然る後に耳聞ゆる有り。目見ゆる有り」と。孟子曰く、「斉国の士に於て、吾必ず仲子(ちゆうし)を以て巨擘(きよはく)と為さん。然りと雖も、仲子悪んぞ能く廉ならん。仲子の操を充てば、則ち(いん)にして後可なる者なり。夫れ蚓は、(かみ)槁壌(かうじやう)を食ひ、(しも)黄泉(くわうせん)を飲む。仲子居る所の室は、伯夷築ける所か、抑々(そもそも)盗跖(たうせき)の築ける所か。食ふ所の(ぞく)は、伯夷の樹ゑし所か、(そもそも)亦盗跖の樹ゑし所か、是れ未だ知る可からざるなり」と。

川本千栄『土屋文明の百首』

小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす 『山谷集』

<小工場に金属を酸素溶接する青白い光がひらめき立ち、砂町四十町は夜になろうとしている。>

前歌と同じ「城東区」より。新しく大東京市に加わったこの区の砂町四十町と呼ばれた地域は、荒川放水路が東京湾に注ぐ近くで、中小工場の密集する地帯だった。近代的な工場地帯の風景は定型に収まり切らず、結句以外は全て字余りとなっている。「酸素溶接の(炎の光が)ひらめき立ち」と省略しても、夕暮れの町工場に間断無く火花が散る様子を活写する。無機質な工場群を乾いた筆致で描く手法は、短歌の新しい面を切り拓いた。

軍艦は出でたるあとの軍港に春の潮みちくらげ多く浮く 『山谷集』

<軍艦が出港した後の軍港には春の潮が満ち、くらげが多く浮いている。>

昭和八年「横須賀」より。横須賀港の軍艦三笠と、造船業で活気づく港の様子を描く。この時期「満州国」の建国を巡って日本は国際的に孤立していき、国は軍備の拡張急いでいた。軍港に立ち、戦争への複雑な思いを歌った連作だが、この歌は、「軍艦は」と「は」では巨艦が去った後の空間を描き、その海に満ちる春の潮と、透き通るくらげが揺れる様子を描く。軍需工場の風景ながら、柔かい雰囲気の歌となっている。