昨夜雨が降ったようだが、妙に暖かい。
雪の降りし翌日の朝、水のしたれば雪白くして未だに残る
雪残る垣根の低き植木なり。なかなか溶けず、さはれば零る
雪人形いくつか残る朝ならむ微笑めば人形も笑ひ反す
『孟子』離婁章句下106 孟子曰く、「言に実の不祥無し。不祥の実は、賢を蔽ふ者之に当る」
実際には不祥不吉の言などなしあるとすれば賢者道を妨ぐるもの
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
幼き子どもはいとけなし 三つの車を請ふなれば 長者はわが子の愛しさに 白牛の 車ぞ与ふなる
(法文歌・法華経二十八品歌・譬喩歌・七二)
【現代語訳】幼い子どもたちはあどけないものだ。三つの車を欲しがるので、長者はわが子が愛しくて、白牛の車をこそ与えるのだ。
【評】『法華経』譬喩品で説かれる火宅三車の譬えを歌った一首。釈迦の聞かせた譬え話は次のようなものであった。一人の大富豪がいて、古い邸宅に住んでいたが、その屋敷はには出口が一つしかない。ある日、突然火事が起こった。子どもたちは遊びに夢中になっていて、出てくるように言われても聞き入れない。そこで富豪は、「門の外には、お前たちの好きな羊の引く車、鹿の引く車、牛の引く車があるよ。早く出てきてこれで遊びなさい」と呼びかけた。つられて出てきた子どもたちに、富豪は宝物で飾り立て、大きな白い牛に引かせた車を一つずつ与えた。燃える家はこの世の譬え、羊車は声聞乗(自己の悟りのみを得ることに専念する者の乗り物)、鹿車は縁覚乗(師なくして独自に悟りを開いた者の乗り物)、牛車は菩薩乗(自己一人の悟りを求めるのではなく、悟りの真理を携えて他者のために実践しようとする者の乗り物)、大伯牛車は仏乗(菩薩をも超えた超越的存在である仏の乗り物)の譬えである。声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗を説くのは一時の方便であり、究極の目的は一仏乗である、と釈迦は説いた。
火宅三車の譬えは絵画化されることも多く、人々に広く知られていたものと考えられるが、当該今様では、経典にはない「わが子の愛しさに」という表現を用いて、親の情愛を強調している。がんぜない子どもの可愛らしさや親の思いといった身近な家族愛に訴えかける表現に、今様の特徴が窺われよう。