8月24日(月)

今日も暑い。

恩田陸『鈍色幻視行』下・読了。二週間の東アジアへの高級旅客船上でのインタビューが中心になる。どこか陳腐な風が吹くものの、「懐かしい死者たち」、「よっぽど生命力に溢れ、鮮やかに見え」て、「円環を閉じるその瞬間を、呆けたような顔で見届ける。」なんだか妙な展開だが、私はあまり得意ではないミステリながら、楽しめたことはたしかだ。

人参も二時間かけて素揚げするかくやはらかく甘きものなり

隠れ家のごとき森の中の蕎麦屋なり野菜の素揚も蕎麦もうまし

蕎麦すする妻もそしてこのわれもうましと笑ふ満足げなり

    *

『孟子』尽心章句下231 孟子曰く、「身、道を行はざれば、妻子にも行はれず。人を使ふに道を以てせざれば、妻子にも行はるること能はず」

己が道を行はなければ身近な妻子にも行はれず

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

のきも庭もふりうづめける雪のうちにいやめづらしき人のおとづれ

【語義】「いやめづらしき」、「いやが上にも珍しい」または「一層めずらしい」。

【評言】深い雪にうずもれた冬籠りのわびしさのうちへ思いがけなく人の訪ねて来た歓びをさながらに歌ったのであろう。「いやめづらしき人のおとづれ」にはいかにもよくその刹那の歓びが現れているが、「ふりうづめける雪のうちに」が力のぬけた憾みがある。

8月23日(日)

曇り空だけど、暑くなるようだ。

鳴く声にほけきょうの声の雑じりをり。あゝこの地にも鶯は鳴く

この宿も法華経のにつつまれて日の暮れ時は手を合せをり

  ・

朝の茶を妻と喫する時の間に八ヶ岳連峰たちまち霧中

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『孟子』尽心章句下230 孟子曰く、「古のをるや、将に以て暴をがんとす。今の関を為るや、将に以て暴をさんとす。

古の関は乱暴を防ぐもの今の関は出入りに税金、暴政をせむ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

このゆふべいはまに滝つ音せぬはたかねのみゆきつもるなるらし

【語義】「滝つ音」は「滝の音」。〇「みゆき」の「み」は美むる意味の発語で「みゆき」は単に「雪」というに同じ。

【評言】良寛はよく「このゆふべ」とか「このあさけ」とかいう風な云い方をしているがそれがいずれもよく利いている。良寛の遺墨の中に「さよふけてたかねのみゆきつもるらしいはまにたきつ音だにもなし」と書いたものがあるが、やはり「このゆうふべ~」の方が遥かにいい。おそらく「さよふけて……」の方がさきに出来て、それをあとで「このゆうふべ……」に詠みなおしたのであろう。この歌も静寂な心持のよく現れたいい歌である。

8月22日(土)

今日も暑いのだ。

山の鳥、野の鳥のこゑ聴こゆるに鳥の名分かず朝明けてゆく

八ヶ岳は突兀とした山つらぬ。宿りの窓に遠望したり

編笠山・西岳・権現岳に赤岳高く・阿弥陀岳・横岳・硫黄岳に天狗岳なり

    *

『孟子』尽心章句下229 孟子曰く、「吾今にしてる後、人のを殺すの重きを知るなり。人の父を殺せば、人も亦其の父を殺し、人の兄を殺せば、人も亦其の兄を殺す。然らば、則ち自ら之を殺すに非ざるや、のみ」

孟子がいふ今更ながら人の近親を殺すことが重大事であることを知る

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

ふと里にもいでずなりにけり昨日も今日も雪のふれゝば

【評言】ここもで来ると前の歌の静寂にこもっている心持が一段のつつましさを加えている。現身の命の糧をすらも求めに出ずに、独りつつましく遠離の境界に安住し生の寂味に浸っているこの心持は尊い。「飯乞ふと」という第一句は良寛の歌にはかなり多くあるが、それが少しも鼻につかぬのは、この人なればこそである。孤独静寂の境地を歌っていながら、所謂枯木寒巌流な冷たさのないのも良寛の歌の最もなつかしい特色の一つである。

8月21日(金)

今日も暑い。

とち狂ひたるか冷静か輾転反側して干涸ぶ蚯蚓

相つぎてみみず路上に乾び死す肉色の屍を避けて歩まむ

なにゆゑに討ち死にしたるか自づから干涸びてなにもなさず死にたり

    *

『孟子』尽心章句下228 孟子曰く、「舜のをひをふや、に身を終へんとするがし。其の天子とるに及びてや、をり、をし、る。之を固有するがし」

舜は貧乏であったが天子と為ると画衣を着、琴を弾じ、二人の娘をはべらせ平気なり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

白雪の日毎にふればわがいほはたづぬる人のあとさへぞなき

【大意】毎日毎日雪が降りつづいているので自分の庵にはたずねて来る人の足迹さえもない。

【評言】一見前の歌と同じようであるが、しかしこの歌の方はもうすっかり冬になりきって雪の中にうずもれてからの作で、その気持ちが一首の上にいみじくも現わされている。「いまよりは」と「日毎にふれば」、「みちふみわけて誰かとふべき」と「たづぬる人のあとさへぞなき」との表現の相違を味って見ると、そこに微妙な心持の相違が味われる。孤独感が前の歌よりも一層深められていると同時に、そこには何となくつつましくその静寂裡にこもろうとする心のおちつきさえも加わっている。

8月20日(木)

暑かった。上野の博物館へ「空海と真言宗の名宝」を観に。

平日ならば少しは人のすくなくてララポート商ふも店に見やすく

無印もモンベルも楽しく店まはる平日のララポート歩きやすし

ララポートの駐車場に自動車入れララポート楽し少しはしゃぎて

    *

『孟子』尽心章句227 孟子曰く、「・・・は、能く人に規矩を与ふるも、人をして巧みならしむること能はず」

建具屋・大工・車大工などの職人は規矩は教えられるに巧にすることは無理だ

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いまよりはつぎて白ゆきつもらましみちふみわけて誰かとふべき

【語義】「つぎて」は「引きつづき」。〇「みちふみわけて」は野も山も谷も道も悉く埋めつくした白雪を踏みわけ道をつけての意である。〇「誰かとふべき」は「誰か訪ねて来よう、誰も来はすまい」の意。

【評言】孤独の静寂味のこもった歌である。しかもその静寂孤独の境地にあってなおかつ人間に心をよせている。「いまよりは」は力のこもった句である。

8月19日(水)

今日も晴れ。

ひっくり返った姿に触れば反転し生きていることを蟬は主張す

とはいへどもう蟬鳴も無く裏返りわずかに手足動かしてゐる

ベランダのはしっこまでを遅々として歩いて最期の蟬の力

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『孟子』尽心章句下226 孟子曰く、「人有り曰く、『我善くを為し、我善く戦ひを為す』と。なり。国君仁を好めば、天下敵する無し。南面して征すれば、怨み、東面して征すれば、怨む。曰く、『れぞ我をにする』と。武王の殷を伐つや、三百両、三千人。王曰く、『畏るること無かれ、をんずるなり。を敵とするに非ざるなり』と。崩るるがくす。のる、正なり。己を正しくせんと欲せば、んぞ戦ひを用ひん」

恐れることはないおまへたちを安んずるのだといふや民平伏す

     *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

草のいほにねざめてきけばあしびきの岩根におつる滝つせの音

【評言】山中の夜半に滝の音を聴くというような歌は古来いくつもあるが、この歌は「草のいほにねざめてきけば」という上句が作者自身の生活に即した表現である為めに、一首全体が切実にひびくのである。総じて良寛の歌は悉く彼自身の生活に即した実感から流れ出ている点に古来の多くの名手の中にまじって異彩を放っている所以が存するのである。

8月18日(火)

朝は涼しいが、後は暑くなってくる。

熊本を襲ふ地震に爆発するイオン・モールに死者いくたりも

日本製紙の工場の煙突倒れここも死者・不明者

わたしにはどうしようもなきことなれど死者の数増ゆ熊本をおもふ

    *

『孟子』尽心章句下225 孟子曰く、「く書を信ぜば、則ち書無きにかず。吾 に於て、二三策を取るのみ。は天下に敵無し。を以てをつ。而るに何ぞ其の血にして杵を流さんや」

孟子がいふ書経に書いてあることを信ずるならばかえつて道をそこなふ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

うづみ火もやゝしたしくぞなりにけりをちの山べに雪やふるらむ

【語義】「うづみ火」は炉などの灰に埋めてある火。

【大意】炉の灰にいけた火もいくらか慕わしいようになって来た、遠い山々に雪でも降るのだろうか。

【評言】平淡過ぎるほど平淡な歌である。しかし忘れがたい歌である。殊に私達のように雪国に住む者にとりて「遠山にもう雪が来たと見える」という嘆声は、毎年のことではあるがたまらなくしみじみと感じられる。上句の「やゝ」がいかにもよく利いている。「そろそろ火が恋しうなって来たわい」――こうした言葉は先ず以て老人の口から洩れる。その頃のしみじみとした感じがよくこの歌に出ている。「うづみ火もやゝしたしくぞなりにけり」とこう感じて、さて「をちの山べに雪やふるらむ」と応じているのも極めて自然である。