ずっと曇り。だが夕刻に雨になるようだ。
道路上を人間が行く、そして帰るその上を翔ぶ白鷺のすがた
白鷺は一羽のみ道路の上をゆくその純白の無垢なるすがた
見上げて確認する人ひとりもあらずただ白鷺の視界のうちに
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『孟子』尽心章句上203 孟子曰く、「飢ゑたる者は食を甘しとし、したる者はを甘しとす。是れ未だの正しきを得ざるなり。飢渇之を害すればなり。のみ飢渇の害有らんや。人心も亦皆害有り。人能く飢渇の害を以て心の害と為すこと無くんば、則ち人に及ばざる憂ひと為さず」
飢渇の障害で心までも害することがなき人ならば憂ひ感ぜず
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
かぜはきよはさやけしいざともにをどり明さむ老のなごりに
いざうたへわれたち舞はむぬば玉の今宵の月にいねらるべしや
【語義】「さやけし」は「あきらけし」。〇「なごりに」は「心残りに」若くは「残り惜しさに」。〇「ぬば玉の」は夜の枕詞で「今宵」にかかるもの。〇「いねらるべしや」は「ねられようか」。
【評言】誰か心の合った友人と酒でも飲みながら折から聞えて来る盆踊の太鼓の音や唄の声にそそられて感興のあまり相手の友人に詠み与えたのであろう。この二種の調子には珍しく溌溂たる生気が動いている。「かぜはきよし月はさやけし」の如き、「いざうたへわれたち舞はむ」如き、「いねらるべしや」の如き、いかにいきいきとした気持の溢れ出た句法である。良寛のたましいは静寂の境に安住していたが、良寛その人はあらゆる人、なべてものと共に遊んだ。子どもらと共に戯れ、村人と共に踊り、時にはうかれ女を相手にはじきを遊びすらもした。彼はいかなる豪族の旦那様とも膝を交えて語ったと共に、いかなる悪党やならず者とも打ちとけて酒を飲むことが出来た。そしていたるところ、いかなる種類の人々の間にも常に春風の如きやわらぎをもたらした。しかも彼みずからは何人のよつても傷つけられず、何人によつても汚されず、何人によつてもゆがめられず、常に幼な児の如く純真で、岩間の清水の如く澄んでいた。