今日も晴れ。「ばけばけ」が再び始まった。
宮部みゆき『新しい花が咲く ぼんぼん俳句』を読む。宮部の短編十二編。BBK句会の作品、つまりそれぞれ俳句に小説を付けているということだ。おもしろい。怖い、嬉しいのだ。「枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる」「月隠るついさっきまで人だった」「薄闇や苔むす墓石に蜥蜴の子」、どれも面白いのだが、こんな章がいい。続編を期待する。
従姉のお京のむすめなり。お米に曳かれ、ぶらりふらりと
とりあへず目指すはお京の墓ならむ盂蘭盆会には燈籠ともす
雪国の冬にはあれど小春日和、石段に坐す。ああ提灯いやどっこい
『孟子』離婁章句上62-3 是を以て惟仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に或るは、是れ其の悪を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、国の存する所の者は幸ひなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、国の災ひに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、国の害に非ざるなり』と。上礼無く、下学無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶さんとする、然く泄泄すること無かれ』と。泄泄とは猶ほ沓沓のごときなり。君に事へて義無く、進退礼無く、言へば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責むる、之を恭と謂ふ。善を陳べ邪を閉づる。是を敬と謂ふ。吾が君能はずとする、之を賊と謂ふ』と」
ここにただ仁者のみが人君の高位にあらねば国滅ぶのみ
川本千栄『土屋文明の百首』
まをとめのただ素直にて行きにしを囚へられ獄に死にき五年がほどに 『六月風』
<純真な乙女で、ただ信条に素直に行動しただけなのに、警察に捕まり監獄で死んだ。五年ほどの間に。>
「ま」は「乙女」の協調。文明が諏訪高等女学校の校長だった時の卒業生に伊藤千代子という聡明な少女がいた。社会を良くしたいという理想に燃えて、当時非合法だった共産主義活動に従事。逮捕され二十四歳で獄死した。文明自身は共産・社会主義思想と慎重に距離を取りながらも、人がその思想によって犯罪者とされ、最悪の場合は殺されてしまう世に、強い憤りと悲しみを感じている。下句の言い募るような破調に悔しさがこもる。
土屋文明を採用せぬは専門なきためまた喧嘩ばやきためとも言ひ居るらし 『六月風』
<土屋文明を採用しないのは、専門がないためまた喧嘩っ早いためとも言っているらしい>
文明はこの歌の前後の時期、講師として勤めた学校を変えている。自分を採用しない学校側、つまり他人がこう言っているという歌だが、これは自画像そのもので、歌として手渡される自己紹介なのだ。音数は八・七・八・十・八と取ったが、緩急のつけ方で違う韻律でも読める。自分の氏名を詠み込んで、「私」をくっきり描き出す。短気さを平然と認め、大学の哲学科卒だが万葉研究と短歌に打ち込むことへの自尊心も滲ませる。