晴れてます。雨は降らない。
「あれ、蜻蛉が」お米膝つき手を合す裏の山には風が通る
提灯は墓石に寄せ糸枠の柄にかけ下山する男女二人に
裏山の風一通り赤蜻蛉静と動いて女の影‥…二人
『孟子』離婁章句上72 孟子曰く、「道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。事は易きに在り。而るに諸を難きに求む。人人其の親を親とし、其の長を長とせば、天下平らかなり」
親は親、長者は長者と尊べば天下平らかに治まるべし
川本千栄『土屋文明の百首』
春の日に白鬚光る流氓一人柳の花を前にしやがんでゐる 『山下水』
<春の日に、白い鬚が光る老いた流民が一人、楊の花を前にしゃがんでいる。>
「流氓」は居場所を失って他郷をさすらう民、ここでは文明自身を指す。まだ五十五歳であったが当時は老人と考えられる年齢だ。「白鬚」に自身の老いが痛感されている。春の日と柳の花が暖かく柔あらかいために、流浪者の孤独が一層際立つ。多くの明るい農の歌の中に、ふと見せる違う一面だ。漢語調の上句、十音の四句の次に、結句は「~している」という口語体の六音で、つぶやくように終える。硬軟の取り混ぜ方が絶妙な文体だ。
鳥籠に寄り立つ人の父を見る万の戦死者の親かくありや 『山下水』
<(戦死した息子が生前飼い馴らしていた野鳥斑鳩の)鳥籠の傍らに寄って立つ父親を見かける。何万もの戦死者の親もこのように死者を思っているのではないか。>
「斑鳩」五首は短編小説の趣だ。次の歌で、父親は鳥を野に放つ。天にいる息子の所へ飛んで行って欲しいと思ったのだろう。しかしそれは人間の空想であって、現実の鳥は慣れた鳥籠に戻って来た。鳥は息子のところへ行かないし、息子は二度と帰って来ないなだ。今日も父親が歩いているのを見かける。文明や村人たちは再び響き通る斑鳩の声を、静かに聞くしかないのだった。