晴れているが、午後は曇り。
シェイクスピアの『マクベス』を読んだ。福田恆在訳である。「きれいは穢ない、穢いはきれい」、この魔女の言葉の反語性。どこか人類学を思わせるバーナムの森の枝。マクベスの悲劇は最初から予期されていたのだ。どこか天皇制と似た、由緒なきものは、ただの殺害者・暗殺者なのだ。
われはといへばただの簒奪者マクベスならむ血脈はなし
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能登地震では羽咋も揺れしと運転手語れば遠くさくら咲くみゆ
斧入らぬ みやしろの森 めづらかに からたちばなの 生ふるを見たり 昭和天皇
蒼枯たる古木の杜には入らざるにどこか魂に熱もつごとし
邑知潟に朱鷺放鳥すると聞きしかばその内数羽でも入らずの杜へ
尊者が道や礼にかなふ交際をすれば辞退するなし
『孟子』万章章句下135 万章問うて曰く、「敢て問ふ、交際は何の心ぞや」と。孟子曰く、「恭なり」と。曰く、「之卻くべきに、之を卻くるを不恭と為すは、何ぞや」と。曰く、「尊者之を賜ふに、其の之を取る所の者、義か不義かと曰ひて、而る後に之を受く。是を以て不恭を為す。故に卻けざるなり」と。曰く、「請ふ辞を以て之を卻くること無く、心を以て之を卻け、其の諸を民に取るの不義なるを曰ひて、而して他辞を以て受くること無きは、不可ならんか」と。曰く、「其の交はるや道を以てし、其の接するや礼を以てせば、斯ち孔子も之を受けたり」と。
孔子でさへもすなほに贈り物を受けとられた
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
頭は白き翁ども 仏事を勤めよ千度は 頭白かる鶴だにも 沢には千歳年経なり
(四句神歌・雑・三五四)
【現代語訳】白髪頭のお爺さんたち、仏事をお勤めなさい、千度はね。頭の白い鶴でさえ、沢には千年も生きているんだから。
【評】鶴を引き合いに出して、翁に仏事を勧める歌。『梁塵秘抄』の中で「翁」は、揶揄や嘲笑の対象になることが多いが、当該今様では長寿のめでたさを響かせながら、翁を静かな仏道修行の世界へとつなげていく点、やや異色である。三八四番歌では、「娑婆にゆゆしく憎きもの」として「頭白かる翁ども若女好み」が取り上げられているが、そうした好色な翁像を軽やかに裏切っている。皮肉ととれないこともないが、めでたい鶴を持ち出している点からも、無邪気な励ましと見ておきたい。
翁の白髪頭は霜や雪に譬えられることが多いが、鶴に譬えた例として、承久二年(一一七二)三月一九日に行われた尚歯会(高齢者が集まり、詩歌を作るなどして風雅を楽しむ会)に詠まれた和歌がある。
鶴の髪かしづくことはいにしへのかせぎの園のふることぞこれ
(『古今著聞集』巻五)
(皆さんが鶴のような白髪の老人にかしずいておられることは、鹿野苑で釈迦が説法に立つところそのままです)
性阿上人は、八十四歳になる藤原敦頼に対し、周囲の者が、装束の裾を持ったり、沓をはかせたりする様子に感心して右の和歌を詠んだ。承安二年は、『梁塵秘抄』が完成した後ではあるが、時期的に近い用例で参考になる。この和歌に対する敦頼の返歌は、
つるの羽かきつくろひしうれしさはしかありけりな鹿の園にも
(年寄りの鶴の羽をかきつくろい皆さまにお世話していただいたうれしさは、まさに昔の鹿野苑での喜びもこうであったろうと思われました)
というものであった。返歌の表現は、藤原公任(九六六~一〇四一)撰『和漢朗詠集』巻下「僧」の、
鶴閑かにして翅千年の雪を刷ふ 僧老いては眉八字の霜を垂る (源為憲)
(千年も生きるという鶴が、静かに真っ白な翼をかいつくろっている。老僧は八の字の形をした霜のように白い眉を垂らしている)
を踏まえている。ここには千年と鶴、さらに老僧との連想関係が見出され、当該今様の表現にも影響を与えているだろう。このように当該今様は漢詩の発想を根底に置き、千歳と千度を対比させて、軽快な一首にし立てている。