8月2日(土)

台風の被害はほとんどなかった。朝から暑いのだ。

  反転し腹をさらして乾涸ぶるヤモリの子なり街上に死す

  乾きたるヤモリの子死ぬとき何思ふ絶望の声あげざるものか

  乾涸ぶる蚯蚓の隣に死したるかヤモリの子ああ何ともせんなき

『孟子』梁恵王章句上5-2 孟子対へて曰く、「地、方百里ならば以て王たる可し。王如し仁政を民に施し、刑罰を省き、を薄くし、深く耕しめらしめ、壮者は暇日を以て其の孝悌忠信を修め、入りては以て其の父兄に事へ、出でては以て其の長上み事へば、を制して以てのをたしむ可し。

  孟子曰く地、方千里ならば王たるべしされど大国なれば仁政を敷け

前川佐美雄『秀歌十二月』九月 源 実朝

時によりすぐれば民のなげきなり八代竜王雨やめたまへ (金槐集)

「建暦元年七月洪水漫天、土民愁嘆せむことを思ひて一人奉向本尊、聊致祈念」との詞書がある。それは相模の大山の阿夫利神社に祈念した(略)八代竜王は仏教では天象風雨を支配する神で、難蛇、跋難蛇、沙迦羅、和修吉、徳叉迦、阿那婆達多、摩那斯、優鉢羅の八王をいう。建暦元年七月とあるだけで何日であったかはわかりかねるが、新暦では八月中旬ごろから九月中旬ごろまでということだから、台風期である。洪水漫天は豪雨の降りつづいているさまであり、土民愁嘆は、百姓のなげきをいっているので、その生活をうれえている。その秋の稔りを心配しているようだ。実朝は将軍である。鎌倉幕府の征夷大将軍なのだから、その立場からすると民衆ははすべて民であり、また土民であったのだろうが、(略)歌の中ではそれを民といっている。

この歌は三句切れになっている。この「なげきなり」の「なり」が心深く感じられる。ひたすらに祈願している心の声である。(略)こういう口つきはやはり将軍である。一心をこめて神に祈りながら、しかも神にむかって命令しているかのような口吻である。(略)歌を見ただけでわかる。どうして大した傑物である。この歌はむろん実朝の代表作の一つだが、将軍としての貫禄は十分である。同時にそういう条件を抜きにしても、やはり希有の傑作である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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