8月3日(日)

花火も昨夜無事に終え、今日また暑い。

マンションの中庭にみみずが干乾びて死んでいる。

  幾日も日にさらさるるみみずなり乾び干乾び一寸ほどに

  この暑さ夜間這ひ廻るみみずかな朝には干乾び死にゆくものを

  みみずに幸せなどいふものあるか日に照らされて死にゆくものに

『孟子』梁恵王章句上5-3 彼は其の民の時を奪ひ、して以て其の父母を養ふことを得ざらしむ。父母し、兄弟妻子離散す。彼は其の民をす。王往きて之を征せば、夫れ誰か王と敵せん。故に曰く、「仁者は敵無し」と。王請ふ疑ふこと勿れ」と。

「仁者は敵無し」梁の恵王よ孟子を疑ふことぞなからん 

前川佐美雄『秀歌十二月』九月 源実朝

萩の花くれぐれ迄もありつるが月出でて見るになきがはかなさ (同)

日の暮れるまで萩の花は美しかったが、月の光ではそれが見えなくなったというだけの歌である。何でもない歌のようだが、物をよく見ている。この時代としては新しい見方である。現代人に通じる詩情である。この歌を見て、なるほどそうだったと気づく人も多いのいいではないか。しかしこの歌ではそれをはかないと観じている。そこにその時代の無常感が出ているので、実朝といえども時代の子であるといわれたりする。(略)これは表にあらわれただけを美しとし、はかなしとしてその詩情に溶け込めばよい。この歌を好きだといったのは小林秀雄であった。(略)畢竟は実朝調といってよいのである。(略)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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