今日も晴れ。
身投げせる別嬪さんはいぢめられ死にしといふも同じ日なりき
見た処三百ばかりの墓また墓。燈籠のもとには九十九の精霊
年月が余りに遠く隔たれば秋の菊日和も夢も朧
『孟子』離婁章句上67 孟子曰く、「政を為すは難からず。罪を巨室に得ざれ。巨室の慕ふ所は、一国之を慕ふ。一国の慕ふ所は、天下之を慕ふ。故に沛然として徳教四海に溢る」
孟子のことば、政はなべて徳を以て行へば沛然として四海に溢る
川本千栄『土屋文明の百首』
この母を母として来るところを疑ひき自然主義渡来の日の少年にして 『少安集』
<この母を本当には母として生れて来たのかを私は疑っていた。自然主義文学が外国から日本に来た頃の少年であったので。>
母の挽歌の一連から。文明の中学時代、自然主義文学が全盛で、物事を美化せず、現実のまま正確に写し取る態度に、文明も影響を受けた。そういう自分だから、人として優れていない母は、自分の母とは考えにくかった、と言う。同連作の歌でも「意地悪と卑下」が母から遺伝したとうたっている。ただ後に愛情に満ちた歌も作っており、文明の母への愛憎は、父への愛憎同様、複雑だ。
恙みなく帰るを待つと送る吾に否まず肯はず行きし君はも 『山の間の霧』
<無事に帰って来るのを待つと言って送りだす私に、否定も肯定もせず出征して行った君なのであった。>
太平洋戦争が始まっていた。戦争に行くのだから死ぬかもしれない。「はい、無事に帰って来ます」とは言えない。だが「いいえ、私はお国のために命を捧げます」と言うほど、この戦争の理念を信じているわけでもない。自分の任務を果たすために、その人は戦地へ戻って行った。知的で冷静な人物なのだ。結句の「はも」は古語で「~だったなあ」と回想し、惜しむ表現。この詠嘆からその人がもうこの世にいないのでは、と感じられる。