朝は寒いし曇っている。晴れるらしいが。
絲山秋子『細長い場所』を読む。最初は分からなかったが、細長い場所は、この世とあの世の境界に当るらしい。登場人物のいづれもが透明で、平ったく中有に迷っている死者のごときだ。だから面白い。中有からなかなか昇天しない。だから小説になる。堪能した。
墓所は直に近いものをお米も座る。柘榴の葉散る
もともとは千五百石のお邸の女臈の初路刺繍に才あり
はんけち
細かなかやつり草に縁どられその片端に赤蜻蛉二つ
『孟子』離婁章句上68 孟子曰く、「天下に道有れば、小徳は大徳に役せされ、小賢は大賢に役せらる。天下に道無ければ、小は大に役せられ、弱は強に役せらる。斯の二つの者は天なり。天に順ふ者は存し、天に逆らふ物は亡ぶ。斉の景公曰く、『既に令すること能はず、又命を受けざるは、是れ物を絶つ為り』と。涕出でて呉に女はせり、今や小国、大国を師として、命を受くることを恥づ。是れ猶ほ弟子にして命を先師に受くるを恥づるがごときなり。如し之を恥ぢなば、文王を師とするに若くは莫し。
文王を師とせば、大国は五年、小国は七年にして、必ず政を天下に為さん。
周の文王を師として仁義の道を学ぶべしさすれば政を行ふ王者にならむ
川本千栄『土屋文明の百首』
いで行くに思ひ思ひのまどゐせり雨には妻と傘に入りたまへ 『山の間の霧』
<出で行く(出征して行く)のに際して思い思いに集まって語り合っていた。雨には妻と傘に入りたまえ。>
昭和十八年「送別二人」より。「まどゐ」は「円居、団居」、車座に座ることや、団欒を指す。練兵場に送別に行くと人々はあちこちで芝に座って語り合っている。雨が降って来た。見送りに来た妻と傘に入りなさい、と優しく語りかけている。この時期、若い知人が出征した、戦死した、という歌が非常に多い。文明は彼らをひとまとめにして歌うのではなく、彼らの名前を入れたり、誰か分かるようにして、一人一人を歌にしている。
とりよろふ常なる山並の間にして一朝の霧過ぎにきと言へ 『山の間の霧』
<立派な姿で常に変わらない山並みの間に、一朝の霧が過ぎて行ったと言いなさい。>
「とりよろふ」は万葉集、舒明天皇の一節「とりよろふ天の香久山」を踏まえる。「霧」は文明自身の比喩で、「霧が消えてしまうように文明が死んだ」と人には言ってくれ、と親しい人に言い残している。昭和十九年「遠く行かむとして」より。同年七月より文明は陸軍省報道部臨時嘱託として中国大陸の旅に出る。敗色濃い時期に戦地へ行くのだから死も覚悟しており、自分の一生は霧に似て儚かった、と遺言のように振り返っている。