朝曇り、すぐに晴れ。
紅白の四分の三は分からねどその熱気あればか少しは愉し
ミーシャと郷ひろみを紅白の華と思ふ。二〇二五年十二月三十一日
新しき歌は分からず古株がよろし矢沢永吉、石川さゆり
『孟子』離婁章句上73 孟子曰く、「下位に居て、上を獲られずんば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事へえ悦ばれずんば、友に信ぜられず。親に悦ばるるに道有り。
身に反して誠ならずんば、親に悦ばれず。身を誠にするに道有り。善を明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠に思ふは、人の道なり。至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。
何事も誠こそ大事。至誠にして、また誠ならずして人動かざる
川本千栄『土屋文明の百首』
にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華の花も閉ざしぬ 『山下水』
<にんじんの種は明日蒔けばいい、帰ることにするよ、夕方になって東一華の花も閉ざしてしまった。>
厳しい冬を越えた春、文明は色々な野菜を育てようとしていた。多くの農の歌の中で「にんじん」の語の響きが柔らかい。作業は終わらなかったが、まだ明日がある。という明るい口調。野の花が閉ざすことで時を知る、山村の生活。東一華は花びらに見える長い萼が真っ白で、裏がほのかに紫がかっている。閉じてうつむいた姿も愛らしい。定型にぴったりと収まった、愛誦性に満ちた歌だ。
ツチヤクンクフクフと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し 『山下水』
<「ツチヤクンクウクウ」と鳴いた山鳩は去年のこと、今はその声は遠い。>
疎開してから一年近くが経った。去年豆を蒔いた時は山鳩に掘り返され、双葉もすっかり食われてしまった。その時の山鳩は「土屋君、空腹」と鳴いていた、と鳩にもからかわれた。去年の飢えた自分を大らかに笑っている。山鳩の目を通して自分を客観的に見、声を借りて「ツチヤクン」と戯画化する。その声が遠いということは、今年はいくらか気持ちに余裕があるのだろう。同じ山に生きるものとして、鳩に親しみも感じている。