今日も晴れています。でも、寒い。
梨木香歩さんの『家守綺譚』に継ぐ『冬虫夏草』を読む。前作に増して心地よいものでした。愛知川をさかのぼり鈴鹿山系深く入り込む綿貫征四郎の旅がおもしろい。そこに出て来る地名の数々、相谷、佐目、九居瀬、萱尾、蛭谷、政所、君ヶ畑、などなど。そしてイワナや河童の化身。どうもあの世とこの世は通じているらしい。滝を隔てた犬ゴローとの再会。なんとも言えずおもしろい。終わりたくないという気持が昂じて読む速度を遅くしたが、とうとう読み終えてしまった。近藤よう子さんに是非ともマンガ版を作ってほしい。『家守綺譚』と合わせて読んでみたい。
中庭のあけぼの杉も裸木に冬の一日枝のみ踊る
朝の陽と夕べの光に照らされてあけぼの杉は荘厳されたり
椋鳥が拠るにももはや頼りなく裸の樹となるあけぼの杉は
『孟子』離婁章句上78 淳于髠曰く、「男女授受するに親しくせざるは礼か」と。孟子曰く、「礼なり」と。曰く、「嫂溺るれば、則ち之を援くるに手を以てするか」と。曰く、「嫂溺るるに援けざるは、是れ豺狼なり。男女授受するに親しくせざるは、礼なり。嫂溺れ、之を援くるに手を以てする者は権なり」と。曰く、「天下溺る。夫子の援けざるは、何ぞや」と。曰く、「天下溺るれば、之を援くるに道を以てす。嫂溺るれば、之を援くるに手を以てす。子 手にて天下を援けんと欲するか」と。
万が一の場合には手を以て援け、天下を救ふには正しい道こそ
川本千栄『土屋文明の百首』
白き人間まづ自らが滅びなば蝸牛幾億這ひゆくらむか 『青南集』
<人間という白く脆弱な存在が原水爆で自滅したならば、その後は幾億もの蝸牛が這いゆくのだろうか。>
「蝸牛」はかたつむり。昭和二十九年三月アメリカによるビキニ環礁での水爆実験により、漁船第五福竜丸が被爆、乗組員一名が死亡。人々を放射線雨の恐怖が襲った。
「人間の恐るる雨の中にして見る見る殖えゆく蝸牛幾百」と事実に沿って歌い、次にこの歌で戦慄的な幻想に飛ぶ。数年後、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、農薬汚染により他生物が死滅した地に、蝸牛だけが這い回る様子を記した。この二つの地獄絵は相似形だ。
ああ楽し老の見世物のごとくにて若き君等の写真器の前 『青南集』
<ああ楽しいなあ。私は老いの見世物のようであり、若い君たちの写真機の前にいる。>
昭和三十一年「彦山アララギ歌会」より。文明は東京に帰住した翌二十七年、「アララギ」の編集発行人を後進に引き継いだが選者は続け、各地の歌会に積極的に出席していた。歌会の休憩時間、人々はこの高名な老歌人を撮ろうと、当時まだあまり普及していなかったカメラを構える。文明は愛想良く記念撮影に応じながら、内心では、見世物じゃないぞ、写真より歌に真剣になれ、と舌打ちしている。「ああ楽し」はもちろん皮肉だ。