1月25日(日)

寒い。北国では盛んな雪らしいが、こちらは快晴。

  妻の体液とわが体液がまじり合ふ湯舟に浸かり淫蕩ならむ

  陶然と湯舟に浸かり陶然ともの考ふる女身について

  浸かりし湯を湯舟にこぼしわれが入る全裸のわれの体積分を

『孟子』離婁章句上79 公孫丑曰く、「君子の子を教へざるは何ぞや」と。孟子曰く、

「勢ひ行はれざればなり。教ふる者は必ず正を以てす。正を以てして行はれざれば、之に継ぐに怒りを以てすれば、則ち反って(そこな)ふ。『夫子我に教ふるに正を以てするも、夫子未だ正に出でざるなり』と。則ち是れ父子相夷ふなり。父子相夷へば、則ち悪し。古は子を易へて之を教ふ。父子の間は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥(これ)より大なるは莫し」と。

  父と子の善をそこなふを良しとせずされば子供を取り替へて教ふ

川本千栄『土屋文明の百首』

月にゆく船の来らば君等乗れ我は地上に年をかぞへむ 『青南集』

<もし月に行く船が来たら君等が乗れ。私は地上で老いていく自分の年齢を数えいこう。>

「来らば」は「きたらば」。昭和三十三年「新年の歌」より。第二次世界大戦後の冷戦中、米ソは宇宙開発競争を繰り広げた。この歌の前年十月、ソビエト連邦(現ロシア)による人類初の人工衛星スプートニク一号が打ち上げられた。文明は早速それを素材にしている。アメリカのアポロ十一号月面着陸より十年以上前のことだ。「君等」に比べて老いた「我」だが、まだまだ好奇心に満ちている。会話体を模した軽みの歌だ。

旗を立て愚かに道に伏すといふ若くあらば我も或は行かむ 『青南集』

<旗を立て愚かに道に伏せるのだと言う。もし若かったら私も或いは行くかもしれない。>    昭和三十五年「時のうつり」より。背景に六十年安保闘争がある。この年の一月、日米安全保障条約改定に向かう首相らの渡米を、反対を叫ぶ学生たちは、旗を立て道に身を横たえて阻止しようとした。結局は警察隊に排除されるそれらの行為を、文明は「愚かに」と言う。権力に逆らうことの困難さを経験して来た、理性の人の判断だ。しかし、同時に彼の中には、そうした行動へ駆り立てられるような情熱もあったのだ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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