寒い、寒い。けど晴れ。
朝がらす一声二声鳴き過ぐるいつものところに鳩むれ見えず
朝がらす一羽が鳴けば二羽、三羽続けば拠らず鳩どもならむ
鳩どもがいたずらものと思ひたりところかまはず糞を落とす
『孟子』離婁章句上81 孟子曰く、「人は与に適むるに足らざるなり。政は関するに足らざるなり。惟大人のみ能く君の心の非を格すことを為す。君仁なれば仁ならざること莫く、君義なれば義ならざること莫く、君正しければ正からざること莫し。一たび君を正しくして、而して国定まる」
いったん君を正しうすれば而して国は定まるものぞ
川本千栄『土屋文明の百首』
仄かなる三日月立ちて夕紅九十九里の方をまたかへりみる 『続青南集』
<ほのかな三日月が立って空は一面夕焼けている、その九十九里浜をまたふり返って見る。>
昭和四十年「上総安房」より。文明の師、伊藤佐千夫は千葉出身で生家近くの九十九里浜を愛し何度も歌にしている。文明にとって左千夫は単に歌の師にとどまらず人生の恩人でもあった。生涯を通じて数多くの左千夫を偲ぶ歌を作り、特に九十九里浜は何度も訪れ、太平洋をのぞむその雄大な風景を歌っている。自身が年を重ねるのちれて益々、左千夫に対する恩義の情は深くなった。この歌の鮮やかな色彩に左千夫への思慕がにじむ。
老い朽ちし桜はしだれ匂はむも此の淋しさは永久のさびしさ 『続々青南集』
<老い朽ちた桜はしだれ桜で、今咲こうとしている。この淋しさは永久のさびしさだ。>
昭和四十四年七十八歳、昔の恩人の疎開跡を訪ねての歌。その人が逝去してから既に二十年ほど経っている。そこでは老いて朽ちかけた桜がそれでもなお枝を伸ばし咲こうとしていた。いつか枯れ切るまで、わずかな生きる力を振り絞って、来る春ごとに花を咲かすのだろう。恩人も友人も多くは既に亡く、永久に続くようなさびしさの中に一人立っている。老いた桜に自らを重ねるかのように、抒情豊かに歌い上げている。