1月4日(日)

今日も晴れだ。

縷紅新草

  泉鏡花の最後の小説「(る)(こう)新草(しんさう)」こころして読む。幽愁はかなし  

辻野糸七

  おそらくは鏡花の悔いを負うたるか、辻野糸七どこかぎこちなし

お米

  妖艶なる三十路(みそじ)の女と連れ添ふて燈籠寺へと参り候

『孟子』離婁章句上62-2 聖人既に目の力を(つく)し、之に継ぐに規矩準縄以てす。以て方員(はううゑん)(へい)(ちよく)を為すこと、用ふるに(た)ふ可からず。既に耳の力を竭し、之に継ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用ふるに勝ふ可からず。既に心思を竭し、之に継ぐ人を忍びざる政を以てす。而して仁天下を覆ふ。故に曰く、『高きを為すには必ず丘陵に因り、(ひく)きを為すには必ず川沢(せんたく)に因る』と。政を為すに先王の道に因らずんば、智と謂ふ可けんや。

  政をするに先王の道によらざればそれでは智者とは言へず

川本千栄『土屋文明の百首』

庭石のかわきて荒るる園みれば物のほろぶる人よりもはやし 『六月風』

〈庭に置かれていた石も乾いて荒れている園を見ると、物が滅びるのは人間が滅びるより早いと分かる。〉 

ここで歌われる園、「(き)下川(ねがわ)梅園」は勝海舟の元別荘で、文明の師、伊藤佐千夫も歌にしている。荒れた梅園では、梅の木も松の木も枯れ果てている。石さえも乾いて元の梅園の情緒はどこにも無い。場所も物も、人の生よりも短い間に滅びてしまった。

実景を克明に写生しながら、索漠とした思いが滲む。一般的には、人より物の命の方が長いと考えられがちだが、この下句はその逆を断言して、どちらも空しく早く滅ぶと暗示する。

一瞬に移る戦機を或る者は見或る者は見ずしてこと定りぬ 『六月風』

<戦場において一瞬で移る勝つ機会を、ある者は見るが、ある者は見ないため、勝敗が定まった。(見た者が勝ったのだ。)>    

文明は時間がある時はよく戦史を読んでいたようだ。他の歌に秀吉、家康などとあるから戦国時代が舞台のものだろう。過去の時代の戦記を読みながら、その頃大陸で拡大している戦線にも考えが及んでいたはずだ。また、この歌の内容は、戦争だけでなく、読む者の人生におけるチャンスにも当てはまるだろう。どちらも戦機を見なければ、敗れるしかないのだ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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