朝、雨。曇りのようです。
知念実希人『硝子の塔の殺人』読了。やっと読み終わった。どうも私は本格ミステリというものが、苦手なのかもしれない。五百ページを越す作品に、いったい何日かかったものか。要は絵空事なのだ。嘘っぽい名前を持つ登場人物にまず馴染めない。最初の方は苦労した。最後の遊馬が謎ときを始めたくらいから、結末まではスピード感をもって読めたが、私には社会性がないものは物足りないのだろう。というか本格ミステリを読むのが苦手なのだ。
公園の木々にスズメら遊びたり鶺鴒二羽も混じりて遊ぶ
すずめらのたちまち木々を抜けだして電車が通る柵に集まる
鶺鴒も雀の後を追ひかける二羽のうち一羽がす早く糞垂る
『孟子』公孫丑章句31 孟子曰く、「子路は人 之に告ぐるにち有るを以てすれば、則ち喜ぶ。禹は善言を聞けば、則ち拝す。大舜はより大なる有り。善、人と同じうし、己を舎てて人に従ひ、人に取りて以て善を為すを楽しむ。より、以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し。を人に取りて以て善を為すは、是れ人と善を為す者なり。故に君子は人と善を為すより大なるは莫し」
有徳の君子としては人とともに善をなすより偉大なことなし
林和清『塚本邦雄の百首』
迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后 『黄金律』
塚本邦雄が天皇や皇帝と詠う時には、昭和天皇のイメージが揺曳する。「還暦の皇子」とかつて詠んだのは平成の天皇の皇太子時代のことか。そしてこの皇后のイメージ描写はすさまじい。「迦陵頻伽」は仏教における想像上の鳥。上半身は美女、下半身は鳥の姿で描かれることが多い。比喩としては美しいが、それよりも「ほそりて」へ注目が集まるのは否めない。「あれは」にも驚きが込められている。そして道にかかる枕詞「たまぼこの」。言葉の仕掛けがすべて、年を重ねた痩身の人の影をやや辛辣に描ききっている。
山茱萸泡立ちゐたりきわれも死を懸けて徴兵忌避すればできたらう 『黄金律』
塚本邦雄は、ズバリ言いたい真実を叫びのように歌うこともある。この下の句は、太平洋戦争開戦以来ずっと脳裏に繰り返し再生され続けてきたフレーズだっただろう。実際の塚本は、昭和一七年に呉の海軍工廠に徴用されたのだが、そこから同僚が戦地へ駆り出される日々がつづき、徴兵は身に迫る現実そのものだったのだ。郷里や家族を人質に取り、若き生命を指し出させるのは、まさに国による洗脳そのものである。
戦後どれほど時を経ても、その絶対悪に対する恐怖と嫌悪は消えない。春を告げる黄の花を見てさえも。