10月23日(木)

今日は曇りから晴れてくる。

  この夜にも幾万組のまぐあひがおこなはれけむ涙ぐましき

  幾人のおみなご懐妊したるものか産めよ増やせよは遠きものなり

  もう疾うに役に立たざるわれならむ然れども性欲消ゆることなく

『孟子』公孫丑章句32-3 孟子曰く、「伯夷は隘なり。柳下恵は不恭なり。隘と不恭とは、君子由らざるなり。」

  伯夷はかたくな、柳下恵は不謹慎。どちらも君子は従はざりき

林和清『塚本邦雄の百首』

定家三十「薄雪こほる寂しさの果て」と歌ひき「果て」はあらぬを 

『風雅黙示録』(一九九六)

本歌取りの技法を集大成した藤原定家。現代において最も多くの本歌取り作品を試みた塚本邦雄。この歌は本歌取りというより、定家に対して塚本が見解を示した歌であろう。「六百番歌合」に冬朝の題で出された定家の歌「一年をながめつくせる朝戸出にうす雪こほるさびしさの果て」を、判者の藤原俊成は「深雪ではないのか」と言って負とした。塚本はそれに対し、ガラス状に凍りつく薄雪だからこそ「寂しさの果て」なのだと意を唱えつづけた。そして定家の倍以上の歳になり、「果て」などはないという境地に至ったのだ。

暗殺されし帝は崇峻のみならずごりつと齒にこたへて酢牛蒡 『風雅黙示録』

崇峻天皇はかねてより政治的に対立していた蘇我馬子大臣が放った刺客・東漢駒により暗殺された。日本史の中で臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。それ以前に父の仇としてまだ七歳の眉輪王に殺された安康天皇の例があるので、塚本邦雄はそのことを指摘しているのかもしれない。ただこの詠いぶりから、崇峻・安康のみならず、と言っているような気がして、ではどの天皇の事なのだ、雄略か武烈か、あるいは称徳か文徳か、疑心暗鬼のようになってしまう。ああ牛蒡が固く歯に障る。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA