雨、雨、雨……
けやきの木に秋の空。日の明けて雲ぞ自由に動きたりけむ
雲の動きゆつくりとして明けがたの公園はあやしき色に変はる
歩きゆくに雨の跡どころまた自転車の通り道でこぼことして
『孟子』公孫丑章句下33-2 三里の城、七里の郭、りて之を攻むれども勝たず。夫れ環りて之を攻むれば、必ず天の時を得る者有らん。然り而して勝たざる者は、是れ天の時 地の利に如かざればなり。城高からざるに非ざるなり。池深からざるに非ざるなり。ならざるばなり。多からざるに非ざるなり。して之を去るは、是れ地の利 人の和に如かざればなり。
天の時、地の利にも人の和にこそ及ばざりけり
林和清『塚本邦雄の百首』
プレヴェール忌忘るるころに「おゝバルバラ、戦争とは何とおいしいものだ」 『汨羅變』
かつて『日本人靈歌』の「死せるバルバラ」の章で「冬苺積みたる貨車は遠ざかり<Oh!Barbara quell connerie guerre>と詠んだ塚本が、この時は「戰争とは何とおいしいものだ」と詠む。
反語の意もあろうが、むしろ本質をついた表現だとも言える。もし人類すべてがそう思っていなければ、すでに戦争などは無くなっていよう。この歌集にも戦争を題材にした歌は数多あるが、この歌が最も恐ろしい。ブレヴェールの詩、モンタンの歌に涙した時期は過ぎた。そして戦争を求める者たちが台頭するのみ。
咳を殺してあゆむ靖國神社前あなたにはもう殺すもの無し 『汨羅變』
八月十五日に首相として靖国神社へ参拝する、などと公言する者が国の長になろうとするこの時代。塚本邦雄は必ずそういう者たちが、もう一度愚かな過ちを起こすことをずっと歌で予言していたのだ。
「あなた」とは誰か。かつて戦争を主導、あるいは扇動し、多くの民を死に追いやった者たち。塚本には生涯の仮想敵として、その顔貌がはっきりと見えていたのだろう。歌が発表された時点では、戦中派の杞憂のように思われていたのかもしれないが、現在は違う。あたり一面、きな臭さに満ちているではないか