曇り空だったのが晴れてくる。
公園の砂地に自転車の轍あり凸凹として歩きにくし
砂地をいろどるあまたの轍、自転車がつけしものなり歩きにくし
けやき樹の下通るとき轍を踏みし老いがつまづく
『孟子』公孫丑章句下34-2 、出でてを弔せんとす。公孫丑曰、「は辞するに病を以てし、今日は弔す。或ひは不可ならんか」と。曰く、「昔者は疾みしも、今日は癒えたり。之を如何ぞ弔せざらんや」と。王、人をして疾を問ひ医をしてらしむ。孟仲子対へて曰く、「昔者、王命有りしも、の憂有りて、朝にること能はざりき。今は病小く癒えたり。りて朝に造れり。我識らず。能く至れりや否やを」と。数人をして路にせしめて曰く、「請ふ必ず帰ること無くして朝に造れ」と。已むを得ずして景丑氏に之きて宿せり。
孟子の行方しかたなしにこの夜には大夫の景丑の宿りに泊る
林和清『塚本邦雄の百首』
われの孤りの最期のために一頭の馬飼はむその名こそ橘花驒 『約翰傳偽書』
この歌集には「戀」という字が頻出する。なんと二四回も使用されているのだ。パソコンのキーボードで簡単に打つのではなく、塚本は毎回二三画を手書きで記すのである。一つ前の『詩魂玲瓏』では一三回の使用だったので、あきらかに八〇歳目前の大家に、この字をこれだけ書かせる何かがあったのだと思う。
この歌の「橘花驒」は戦国の武将・立花宗成所有の馬らしいが、塚本はその名の響きに魅せられたのであろう。ただ「戀」の字の頻出に華やいだあと、「孤りの最期」と詠まれると、やはり目頭が熱くなって来る。
おそらくはつひに視ざらむみづからの骨ありて「『約翰傳偽書』
塚本邦雄晩年を代表する一首。誰にせよ自らの死を確実に把握できないこと、骨=肉体に代表される生でさえ、確かに正目にはとらえられないということ。その悲しみは「涙骨」という名が表している。「骨」という一連だが、あと五首とはまるで次元が違う名歌。
塚本自身の火葬は東大阪の斎場で行われた。遺族とわれわれ弟子が骨上げをしたのだが、私は職員にさりげなく涙骨について尋ねてみた。あまりよくはわからなかったのだが、もしかしたら、その場にいた者たちは涙骨を見た可能性があるのかもしれない。