晴れている。
けやき樹に隠りて泣くはすずめらし愛しき声に鳴きつつ移る
けやき樹より飛びだすセキレイ航跡の後追ふ一羽も去りゆきにけり
鶺鴒の航跡上下に美しく飛びゆかむとす遠くの木々に
『孟子』公孫丑章句下34-3 景子曰く、「内は則ち父子、外は則ち君臣は、人の大輪なり。父子は恩を主とし、君臣は敬を主とす。丑は王の子を敬するを見る。未だ王を敬する所以を見ざるなり」と。曰く、「、是れ何の言ぞや。斉の人は仁義を以て王と言ふ者無し。豈仁義を以て美ならずと為さんや。其の心に曰く、『是れ何ぞに仁義を言ふに足らんや』と。へば、則ち不敬是より大なるは莫し。我は堯舜の道に非ざれば、敢て以て王の前にせず。故に斉の人は我の王を敬するに如くもの莫きなり」と。
孟子は堯舜の道以外王の前では申し上げずかくなれば王を敬する者無し
林和清『塚本邦雄の百首』
波は神の手魚の流露いつの日も水晶の光濃き香の何か 歌集未収録最晩年作
平成一二年(二〇〇〇)七月、塚本は胆管結石と急性肝炎を併発し、胆嚢摘出手術のために入院する。入院中の八月七日に八〇歳の誕生日を迎えている。入院の直前に出版社へ『約翰傳偽書』の原稿を送付したと伝えられる。
高齢者の全身麻酔は脳への影響が大きく、塚本も例外ではなかった。退院後は子息の塚本靑史が同居することになり、歌の製作発表も管理することとなった。
それ以後の歌に不思議な変化が見られた。強固な意志で制御されてきたはずの言葉が、奔放に流れ始めたのだ。この歌も意味を超えた光を放っているようだ。
馬屋には食を貪る白馬の音来月はこの馬を料理に 歌集未収録最晩年作
塚本は最終歌集の名を『神變』とかねてから決めていた。その意を汲み塚本靑史を中心に病後の歌を編集したのだが、校閲校訂が難航を極め、やむなく出版は断念されることとなった。それでも作歌は続けられたが、「たちばなの香を聴く時ぞわが夢に異その香を知れり心澄みつつ」など、塚本が否定したはずの安易な抒情性が見られた。短歌を志した出発点にあった抒情性が、意志の制御が消えると同時に流出して来たのだ。
しかし時には、この歌のような悪魔性を見せる歌もある。短歌も塚本邦雄も不可解で、それ故に面白い。