10月31日(金)

ぐずぐずと雨。

  公園の砂地の轍に足取られふらつく老いを誰も見てゐず

  けやき樹の上に広がるマンションの誰一人としわれを知らず

  公園の木より飛びたつカワラヒワ海老名の鳥なりもっと顔出せ

『孟子』公孫丑章句下34-5 故に将に大いに為す有らんとするの君は、必ず召さざる所の臣有り。謀ること有らんと欲すれば、則ち之に就く。其の徳を尊び道を楽しむこと、の如くならざれば、以て為す有るに足らざるなり。故にのに於ける、学んで而る後に之を臣とす。故に労せずして覇たり。今、天下 地し徳しく、能く相ふる莫きは、他無し。其の教ふる所を臣とするに好んで、其の教へを受くる所を臣とするを好まざればなり。湯の伊尹に於ける、桓公の管仲に於けるは、則ち敢て召さず。管仲すら且つ猶ほ召す可からず。而るに況んや管仲を為さざる者をや」と。

  湯王が伊尹に対し、桓公が管仲に対し召すべからずされば況やわれならなくに

さて今日から藤島秀憲『山崎方代の百首』にしようと思う。ふらんす堂の出したもので、林和清『塚本邦雄の百首』に継ぐものである。

わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒きのれんを分けて出てゆく 『方代』

第一歌集『方代』の巻頭歌。発行は昭和三十年、四十一歳の秋。歌人に送っただけでなく、中村光夫、高見順、小林秀雄の自宅を訪れて手渡した(追い返されたこともあった)。さらに残ったものは横浜駅と東京駅で行く人々に配られたという。

この歌が発表されたのは昭和二十三年。目を負傷して戦地より帰った方代の今後の生き方にイメージが重なる。不透明な先には不透明が続く。わからなさは「黒きのれん」の先でも続いている。「のれん」で酒場を表わし、デカダンな雰囲気を作り上げている。

じめじめと父と母とがあらそひしあのあらそひは今もわからず 『方代』

方代が生まれた時、父龍吉は六十五歳、母けさのは四十四歳だった。龍吉は馬を引いて運送業を営むが、山っ気のある人で、開墾した山に桑畑を作るなどさまざまな事業に手を出し、そして失敗する。結局、運送業も立ちゆかなくなり家を売ることに。

確かに争いが多そう。父と母が争う理由が、子供の時には分からなくても、大人になった今なら分かるはず。

だが、「今もわからず」と知らぬふりをする。肩透かしを食わせるように読者を突き放す。方代短歌の特徴の一つだ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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