10月4日(土)

朝、22℃。ちょっと寒い。一枚羽織る。

呉勝浩『爆弾』、ムチャクチャおもしろいが、ムチャクチャ時間がかかった。しかし、読み終えた。充実感はある。スズキタゴサクを訊問する三人の刑事、とりわけスズキと対峙した白いスニーカー姿の類家という刑事が魅力的であり、また野方警察署の面々にも魅力がある。警察の失態。こんな爆弾事件、本当にあっては困るが、小説にはあってもいい。おもしろかった。

  西の山、連山もこもこ夏の山ことしは猛暑にいつまでも夏

  大山のいただきあたりを隠したる黒き雲あり雨雲ならむ

  われが立つ、上空いまだ青きところ。曇り空なれど、陽が差してくる

『孟子』公孫丑章句25-7 「何をか言を知ると謂ふ」と。曰く、「は其の蔽はるる所を知る。淫辞は其の陥る所を知る。邪辞は其の離るる所を知る。遁辞は其の窮する所を知る。其の心に生ずれば、其の政に害あり。其の政に発すれば、其の事に害あり。聖人復た起るとも、必ず吾が言に従はん」と。

  昔の聖人が出現されたとしても必ずやわが言に従はん

林和清『塚本邦雄の百首』

劉生のあはれみにくき美少女はひるの氷室の火事見つつゐし 『閑雅空閒』

名歌「夢の沖に」のあとに数首「鶴」の歌が続くのは、やや興ざめの感がある。塚本は類歌の処理に関しての自己基準が、やや緩やかだったのではないか。

などと思いながら読み進めると度肝を抜かれるような歌に出会う。この歌の前後には岸田劉生はおろか、絵画をテーマにした歌もない。「麗子」が唐突に出現するのだ。四三点発表された「麗子像」のうち、これは毛糸のショールをまとった『麗子微笑』であろう。

あの微笑の先に氷室の昼火事があるのだという。独創なのに説得されるのは、文語定型の力業だろうか。

花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る 『閑雅空閒』

あまり注目されないが、塚本にはこのころ旧国名を詠んだ歌が多くなり、後の歌集ほど頻出する傾向が見られる。塚本自身の出身は滋賀県神崎郡だが、決して滋賀県とは言わず、近江と表現する。それは現実を基としながら、現実とはすこしちがう空間を詠む意識の表れだろう。陰暦や旧月名も同じ。塚本のフィルターを通し、現実に似て非なる時間を表現しているのだ。

ただこの後、塚本は政田岑生とともに能登をめぐる旅をする。それが名著『半島』(一九八一)や次の歌集『天變の書』の能登の地名を詠んだ歌が生まれる契機となる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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