朝、22℃。ちょっと寒い。一枚羽織る。
呉勝浩『爆弾』、ムチャクチャおもしろいが、ムチャクチャ時間がかかった。しかし、読み終えた。充実感はある。スズキタゴサクを訊問する三人の刑事、とりわけスズキと対峙した白いスニーカー姿の類家という刑事が魅力的であり、また野方警察署の面々にも魅力がある。警察の失態。こんな爆弾事件、本当にあっては困るが、小説にはあってもいい。おもしろかった。
西の山、連山もこもこ夏の山ことしは猛暑にいつまでも夏
大山のいただきあたりを隠したる黒き雲あり雨雲ならむ
われが立つ、上空いまだ青きところ。曇り空なれど、陽が差してくる
『孟子』公孫丑章句25-7 「何をか言を知ると謂ふ」と。曰く、「は其の蔽はるる所を知る。淫辞は其の陥る所を知る。邪辞は其の離るる所を知る。遁辞は其の窮する所を知る。其の心に生ずれば、其の政に害あり。其の政に発すれば、其の事に害あり。聖人復た起るとも、必ず吾が言に従はん」と。
昔の聖人が出現されたとしても必ずやわが言に従はん
林和清『塚本邦雄の百首』
劉生のあはれみにくき美少女はひるの氷室の火事見つつゐし 『閑雅空閒』
名歌「夢の沖に」のあとに数首「鶴」の歌が続くのは、やや興ざめの感がある。塚本は類歌の処理に関しての自己基準が、やや緩やかだったのではないか。
などと思いながら読み進めると度肝を抜かれるような歌に出会う。この歌の前後には岸田劉生はおろか、絵画をテーマにした歌もない。「麗子」が唐突に出現するのだ。四三点発表された「麗子像」のうち、これは毛糸のショールをまとった『麗子微笑』であろう。
あの微笑の先に氷室の昼火事があるのだという。独創なのに説得されるのは、文語定型の力業だろうか。
花の若狭知らず靑葉の加賀も見ずわれに愕然として老い來る 『閑雅空閒』
あまり注目されないが、塚本にはこのころ旧国名を詠んだ歌が多くなり、後の歌集ほど頻出する傾向が見られる。塚本自身の出身は滋賀県神崎郡だが、決して滋賀県とは言わず、近江と表現する。それは現実を基としながら、現実とはすこしちがう空間を詠む意識の表れだろう。陰暦や旧月名も同じ。塚本のフィルターを通し、現実に似て非なる時間を表現しているのだ。
ただこの後、塚本は政田岑生とともに能登をめぐる旅をする。それが名著『半島』(一九八一)や次の歌集『天變の書』の能登の地名を詠んだ歌が生まれる契機となる。