曇りだが涼しいのだ。
綱淵謙錠『刑』を読む。古本の文庫本。短編七編を編集したものだが、綱淵らしい歴史小説である。いくつかは最後の首斬り山田浅右衛門吉亮を描いたもので、なかなか凄い。戦慄する。ただ私に興味深く思われたのは永岡久茂と妻・せんを描いた「研」である。永岡が作った歌、「泥棒、追剥、窃盗、掏摸の/中に引かるゝ新聞者/世のために、死ぬはかねての/覚悟ぢやないか/禁獄なんどは、へのふ、へのへ」。「へのふ、へのへ」が何とも言えぬ。
いつせいに朝焼けの空、雲がピンクに染まる束の間
束の間の全天ピンク地獄も極楽も人の工夫か
しかし、地獄・極楽思へばたのしだからこそ昔の人は思ひつきたり
『孟子』公孫丑章句25-10 曰く、「伯夷・は如何」と。曰く、「道を同じうせず。其の君に非ざれば事へず、其の民に非ざれば使はず、治まれば則ち進み、乱るれば則ち退くは、伯夷なり。何れに事ふるとして君に非ざらん、治まるも亦進み、乱るるも亦進むは、伊尹なり。以て仕ふ可くんば則ち仕へ、以て止む可くんば則ち止み、以て久しかる可くんば則ち速やかにするは、孔子なり。皆古の聖人なり。吾は未だ行ふこと有る能はず。乃ち願ふ所は則ち孔子を学ばん」と。
伯夷・伊尹それぞれに見どころはあるが、私ならば孔子に学ばん
林和清『塚本邦雄の百首』
こと志に添ひつつとまどへりある日つゆけき言葉「七騎落」 「歌人」(一九八二)
『歌人』とは含みある題名である。五〇歳代には小説、評論など年に一〇冊ほどのペースで精力的な出版を続けてきた塚本が、還暦の歳に原点へ還ったように自らを歌人だと改めて名のったのだ。芭蕉の「旅人と我名呼ばれん初時雨」を踏まえているのだろう。
この歌には岡井隆の精緻な分析がある。「初句から二句への渡り具合や、四句から結句へのつながり具合は(略)区切り意識をいやでもつよく意識させてくる。そのときに、結句の八音がとくに気になる」(『つゆけき言葉』注釈)と。私は能の題名の圧が効いていると思うのだがどうか。
朱の硯洗はむとしてまなことづわが墓建てらるる日も雪か 『歌人』
塚本はこのころ自らの墓を京都の古刹・妙蓮寺に建立している。生前の墓石には、その名が朱で刻まれることになる。塚本は毎月の京都での仕事のあと、自らの墓へ熱心に詣でていた。どんな心境だったのか。
実際には自ら建立したのだが、「建てらるる」というと、否応なく訪れる死を強く意識させる。添削の仕事をしていたのか、朱の硯を洗おうとして瞑目する。音もなく降る雪、そのように死もやがて生を覆う。
境涯詠であるとともに職業詠であり、身辺詠でもある。そこには斎藤茂吉の影響も濃く感じられる。