10月8日(水)

涼しいが、27℃まで上がるらしい。

  少し濡れたる砂地を歩く。わづかな足跡まっすぐに行く

  曇天の朝の公園しづかにてけやきを透す太陽見えず

  いつもならば公園のけやきの木を透し朝のひかりのまぶしきばかり

『孟子』公孫丑章句25-11 「伯夷・の孔子に於ける、是の若くしきか」と。曰く、「否。生民有りてり以来、未だ孔子有らざるなり」と。「然らば則ち同じき有るか」と。曰く、「有り。百里の地を得て之に君たらば、皆能く以て諸侯を朝せしめ、天下を有たん。一不義を行ひ、一不を殺し、而して天下を得るは、皆為さざるなり。是は則ち同じ」と。

  伯夷も伊尹も孔子も一事でも不義、殺しあれば天下を取らず

林和清『塚本邦雄の百首』

踏み出す夢の内外きさらぎの花の西行と刺しちがへむ 『歌人』

塚本の西行への愛憎半ばする複雑な思いはそれだけで一冊の本が書けそうである。自ら修辞派・定家になぞらえ、仮想敵としての西行を射程にとらえる。

塚本は西行の何と刺し違えようとしたのだろうか。源頼朝に語った「歌など思いついたことを詠むだけ」という軽口への憎しみか。「心なき身にも」と詠むわざとらしさか。歌で予言した通りに、如月望月に死んで伝説を作って見せた芝居気なのか。

おそらく塚本が嫌悪したのは、西行は誠の歌人だと崇拝する俗っぽい風潮そのものだったのではないか。

日向灘いまだ知らねど柑橘の花の底なる一抹の金 『豹變』(一九八四)

約六千首に上る『底本塚本邦雄湊合歌集』(一九八二)が刊行され、『歌人』を上梓、一九八四年に「国文学解釈と鑑賞」が「塚本邦雄の世界」を特集した。まだ師事せず手に入る限りの塚本の著書をむさぼり読んでいた二〇代初めの私は狂喜乱舞。以後今にいたるまでのバイブルとなっている。その中に未刊歌集として『豹變』三〇首が掲載されていた。その渋い世界に嵌ってしまった。

日向灘ではなく、橘の花を見ているのだが、言葉のマジックにより、「一抹の金」はまるで海に沈む金塊のようだ。日向灘を望む地にこの歌碑が建てられた。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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