寒いけれど晴れがつづくらしい。
二十日ほど前
やうやくに金木犀の木の花の匂ひくるなり道筋の角
大きめの金木犀の木がありきやっとこの頃香りはじめる
金木犀の小さなオレンジ色の花むらにわが鼻寄せて香りに浸る
『孟子』公孫丑章句下40-2 斉人、燕を伐つ。或るひと問うて曰く、「斉を勧めて燕を伐たしむと。諸有りや」と。曰く、「未だし。沈同『燕伐つ可きか』と問ふ。吾之に応へて『可なり』と曰ふ。彼然り而して之を伐てるなり。彼如し『孰か以て之を伐可き』と曰はば、則ち将に之に応へて曰はんとす、『天吏為らば則ち以て之を伐可し』と。今、人を殺す者有らんに、或ひと之を問うて『人殺す可きか』と曰はば、則ち将に之に応へて『可なり』と曰はんとす。彼如し『孰か以て之を殺す可き』と曰はば、則ち将に之に応へて曰はんとす、『士師為らば、則ち以て之を殺す可し』と。今、燕を以て燕を伐つ。何為れぞ之を勧めんや」と。
斉と燕はどっちもどっち斉が燕討つは燕が燕を討つやうなり
藤島秀憲『山崎方代の百首』
男五十にして立たねばならぬめんめんと辞書をひきひき恋文を書く 『右左口』
論語ならば「三十にして立つ」。五十といえば天命を知る年齢だ。しかし方代は二十年遅れて立とうとしている。しかも恋文を書いている、それも辞書をひきひき書いている。これでは「而立」はままならない。「立たねばならぬ」は決意だけで終わったことだろう。
初句から結句までユーモアと思えば良いのだが、結婚することなく一生を通した生き方を考えれば、この歌には切実なる思いが潜んでいる。特に「めんめんと」の辺り。
「めんめんと」恋文を書いたことが本当にあった。それは三十代半ばのことである。
はぎしりして鑕を打つ靴を打つときの間もあり広中淳子 『右左口』
方代の恋の相手として知られる広中淳子。方代が三十代半ばに所属していた短歌誌
「工人」の仲間である。淳子は結核で自宅療養中。だから二人が会ったのは、たった一度きり。放浪の旅の最後に、和歌山に住む淳子を訪ねた。布団の上に淳子はいた。 要は「工人」に掲載される短歌を読み、短歌からイメージされる作者像に恋をしてしまったわけ。純粋で一途な片思い。片時も忘れられない、うぶな恋心を歌ったこの歌は、結句に「広中淳子」と置いたことで印象が一気に濃くなった。