寒いが、晴れている。
死者のこと思へるわれは生者にて死すればすべてが曖昧になる
死者のこと思はねば死者はまた死にす死者は迷ひて成仏できず
生きてゐるうちに死者たちを思はんか思へば死者も死者としてある
『孟子』公孫丑章句下41-2 孟子を見て問うて曰く、「周公は何人ぞや」と。曰く、「古の聖人なり」と。曰く、「管叔をして殷に監せしめしに、管叔殷を以て畔くと。諸有りや」と。曰く、「周公は其の将に畔かんとするを知つて、而して之を使めしか」と。曰く、「知らざるなり」と。「然らば則ち聖人すら且つ誤つこと有るか」と。曰く、
「周公は弟なり。菅淑は兄なり。周公の誤つも、亦宜ならずや。且つ古の君子は過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に順ふ。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の更むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈徒に之に順ふのみならんや。又従つて之が辞を為す」と。
今の君主は過ちを押し通し理屈すらつける過ち重ぬ
藤島秀憲『山崎方代の百首』
青桐の垂れる夕べの靄のなか花より白き君にしたがう 『右左口』
ただ一度出会った広中淳子は思い描いたとおりの美しい人だった。『青じその花』で方代は書く。
結核ということは聞いていたが、そうやつれてはおらず、白いうなじと黒いつぶらな瞳の清らかな娘である。あまりの美しさに茫然として(以下略)
方代は思わず「おしたい申しております」と口走る。その言葉は「おかしいわ(中略)お会いしたのは今日が初めてよ」と一蹴した淳子は、「しっかりしてください。どうかそんなに放浪の生活をつづけないで、定職について」と続ける。かくして七年の放浪生活が終った。
亡き父もかく呼んでいた道ばたに小僧泣かせの花が咲いている 『右左口』
地方によって、人によって異なるのだが、スズメノカタビラやコニシキソウといった抜いても抜いても生えて来る手強い草を小僧泣かせと言う。草むしりが小僧の仕事だったころのエピソードから名づけられた。
父は物知りであった。自然の中で生きる術を幅広く知っていた。後年、方代は鎌倉に住むが、山に入っては野草を採って食べた。父から教わった知恵が役に立ったのだ。
草の花は可憐で美しい。立ちどまり、屈み込み、花を観察しながら、父の言葉を思い、恋しい人を思う。