朝から天気はいいが、寒い。
弱き葉が先んじて落つるかももぢには早き楠木まだみどりなり
一枚一枚踏まぬやうに歩く公園の内それでも葉を踏む
枝から落ちて紅葉のやうな色なせど木にはみどりの濃き葉の繁り
『孟子』公孫丑章句下45 孟子 斉を去る。充虞 路に問うて曰く、「夫子 不予の色有るが若く然り。前日、虞諸を夫子に聞けり。曰く、『君子は天を怨みず。人を尤めず』と」曰く、「彼も一時なり、此も一時なり。五百年にして必ず王者の興る有り。その間、必ず世に名ある者有り。周由り而来、七百有余歳なり。其の数を以て以てすれば、則ち過ぎたり。其の時を以て之を考ふれば、則ち可なり。夫れ天未だ天下を平治するを欲せざるなり。如し天下を平治するを欲せば、今の世に当りて、我を舎きて其れ誰ぞや。吾何為れぞ不予ならんや」と。
充虞、孟子に問ふに王者を補佐するもの我をおいて誰があろうか
藤島秀憲『山崎方代の百首』
砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり 『右左口』
方代と土瓶はとことん仲がいい。
第三歌集の『こおろぎ』に<卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり>という歌がある。どちらも方代の代表歌を選べば必ず挙がって来る一首。体のどこかが痛いときは土瓶が手当てしてくれる。心のどこかが苦しいときは土瓶が話を聞いてくれる。
『青じその花』にはこのように書かれている。
たしかこの土瓶はある農家の竹藪の中に捨ててあったのを、見つけて拾ってきたものである。(中略)ひとり者の私にとっては、もう身内の一人である。
選ばれしこの運命にしたがいて今日は土瓶の垢を落せり 『右左口』
土瓶との二人(?)暮らしも選ばれた運命、切っても切れない縁である。だから逆らうこともなく、汚れが目立ってきた土瓶の垢を今日は落としている。
『青じその花』にこのようにある。
外から小屋の中を覗いてみると、暗がりに口のこぼれた土瓶と、ぬれた涙の方代の顔だけが消えのこっている。こみ上げてくるおかしさだ。私はこの土瓶が好きである。(中略)毎日の私になくてはならぬ代物である。まず朝起きて水を沸かしてお茶を飲む。酒のある時はあたためては話しかける。