11月18日(火)

朝から天気はいいが、寒い。

  弱き葉が先んじて落つるかももぢには早き楠木まだみどりなり

  一枚一枚踏まぬやうに歩く公園の内それでも葉を踏む

  枝から落ちて紅葉のやうな色なせど木にはみどりの濃き葉の繁り

『孟子』公孫丑章句下45 孟子 斉を去る。(じゆうぐ)(ぐ) (みち)に問うて曰く、「夫子 不予の色有るが(ごと)く然り。前日、虞(これ)を夫子に聞けり。曰く、『君子は天を怨みず。人を(とが)めず』と」曰く、「彼も一時(いちじ)なり、此も一時なり。五百年にして必ず王者の興る有り。その(かん)、必ず世に名ある者有り。周由り而来(このかた)、七百有余歳なり。其の数を以て以てすれば、則ち過ぎたり。其の時を以て之を考ふれば、則ち可なり。夫れ天未だ天下を平治するを欲せざるなり。如し天下を平治するを欲せば、今の世に当りて、我を(お)きて其れ誰ぞや。吾何為れぞ不予ならんや」と。

  充虞、孟子に問ふに王者を補佐するもの我をおいて誰があろうか

藤島秀憲『山崎方代の百首』

砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり 『右左口』

方代と土瓶はとことん仲がいい。

第三歌集の『こおろぎ』に<卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり>という歌がある。どちらも方代の代表歌を選べば必ず挙がって来る一首。体のどこかが痛いときは土瓶が手当てしてくれる。心のどこかが苦しいときは土瓶が話を聞いてくれる。

『青じその花』にはこのように書かれている。

たしかこの土瓶はある農家の竹藪の中に捨ててあったのを、見つけて拾ってきたものである。(中略)ひとり者の私にとっては、もう身内の一人である。

選ばれしこの運命にしたがいて今日は土瓶の垢を落せり 『右左口』

土瓶との二人(?)暮らしも選ばれた運命、切っても切れない縁である。だから逆らうこともなく、汚れが目立ってきた土瓶の垢を今日は落としている。

『青じその花』にこのようにある。

外から小屋の中を覗いてみると、暗がりに口のこぼれた土瓶と、ぬれた涙の方代の顔だけが消えのこっている。こみ上げてくるおかしさだ。私はこの土瓶が好きである。(中略)毎日の私になくてはならぬ代物である。まず朝起きて水を沸かしてお茶を飲む。酒のある時はあたためては話しかける。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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