晴れてる。
セキレイの呼ぶ声聴く声二羽がゐて欅の周囲鳴き移りつつ
すずめごの声かしましく公園の囲りの木々に鳴きやまざりき
金木犀の甘き香りに包まれてすずめらが鳴くたのしきものよ
『孟子』公孫丑章句下35-2 孟子曰く、「皆是なり。宋に在るに当りてや、予将に遠行有らんとす。行く者には必ず贐を以てす。辞に曰く、『贐を餽る』と。予何為れぞ受けざらん。薛に在るに当りてや、予戒心有り。辞に曰く、『戒めを聞く。故に兵の為に之を餽る』と。予何為れぞ受けざらん。斉に於ける若きは、則ち未だ処する有らざるなり。処する無くして之を餽るは、是れ之を貨にするなり。焉んぞ君子にして貨を以て取らる可き有らんや」と。
宋・薛に在るときは餞別、軍資金を受けとるものの斉では違ふ
藤島秀憲『山崎方代の百首』
一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる 『方代』
方代の軍隊生活は約五年。シンガポール、ジャカルタ、チモールなどを転戦。眼を負傷して野戦病院に入院するものの少し治療すれば、すぐにまた戦場へ送られた。
「大きな足」から上等兵の足をイメージする。「下りて来たる」に暴力的な圧力を感じる。その足で踏みつけられるように幾度となく暴言・暴力を受けたことだろう。
クローズアップする方法に、北原白秋『雲母集』の〈大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも〉を思う。
不貞不貞と畳の上に投げ出せし足といえどもせつなかりけん 『方代』
「不貞不貞」は当て字なのだが、この文字を使ったことで自堕落な雰囲気が濃くなった。だが、第二歌集『右左口』に再録するにあたり「ふてぶてと」に直されてしまった。私としては残念な推敲。
「けん」は「……だっただろう」と過去を推量するときに使う。が、方代の場合は文法通りに読まなくても良いこともある。それは文法を知らなかったからではなく、文法を超えて、音を大切にしたからだ。
右左口は「うばぐち」と読む。山梨県に存在した村で、現在は甲府市の一部。方代が生まれた村だ。