11月2日(日)

晴れてる。

  セキレイの呼ぶ声聴く声二羽がゐて欅の周囲(めぐり)鳴き移りつつ

  すずめごの声かしましく公園の囲りの木々に鳴きやまざりき

  金木犀の甘き香りに包まれてすずめらが鳴くたのしきものよ

『孟子』公孫丑章句下35-2 孟子曰く、「皆(ぜ)なり。宋に在るに当りてや、(われ)将に遠行有らんとす。行く者には必ず(はなむけ)を以てす。辞に曰く、『(はなむけ)(おく)る』と。予(なん)(す)れぞ受けざらん。(せつ)に在るに当りてや、予戒心有り。辞に曰く、『戒めを聞く。故に兵の為に之を(おく)る』と。予何為れぞ受けざらん。斉に於ける(ごと)きは、則ち未だ処する有らざるなり。処する無くして之を(おく)るは、(こ)(これ)(くわ)にするなり。焉んぞ君子にして貨を以て取らる可き有らんや」と。

  宋・薛に在るときは餞別、軍資金を受けとるものの斉では違ふ

藤島秀憲『山崎方代の百首』

一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる 『方代』

方代の軍隊生活は約五年。シンガポール、ジャカルタ、チモールなどを転戦。眼を負傷して野戦病院に入院するものの少し治療すれば、すぐにまた戦場へ送られた。

「大きな足」から上等兵の足をイメージする。「下りて来たる」に暴力的な圧力を感じる。その足で踏みつけられるように幾度となく暴言・暴力を受けたことだろう。

クローズアップする方法に、北原白秋『雲母集』の〈大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも〉を思う。

不貞不貞と畳の上に投げ出せし足といえどもせつなかりけん 『方代』

「不貞不貞」は当て字なのだが、この文字を使ったことで自堕落な雰囲気が濃くなった。だが、第二歌集『右左口』に再録するにあたり「ふてぶてと」に直されてしまった。私としては残念な推敲。

「けん」は「……だっただろう」と過去を推量するときに使う。が、方代の場合は文法通りに読まなくても良いこともある。それは文法を知らなかったからではなく、文法を超えて、音を大切にしたからだ。

右左口は「うばぐち」と読む。山梨県に存在した村で、現在は甲府市の一部。方代が生まれた村だ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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