朝は曇り。しかし東の空は赤かった。そして雨が降るらしい。
スーパームーンの翌日の夜の東の空に明るく月ありにけり
その翌朝に西空高く残り月スーパームーンのなれの果てなり
然れどされどこの十六夜の月こそが愛しきものぞ西空に浮く
『孟子』縢文公章句上49 縢の文公国を為むるを問ふ。孟子曰く、「民事は緩うす可からざるなり。詩に云ふ、『昼は爾于きて茅かれ、宵は爾索を綯へ。亟かに其れ屋に乗れ。其れ始めて百穀を播せん』と。民の道為る、恒産有る者は、恒心有り。恒産無き者は、恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥るに及んで、然る後従つて之を刑す。是れ民を罔するなり。焉んぞ仁人位に在る有つて、民を罔して為す可けんや。
孟子言ふ民の仕事は農にして急務とせんや民を罔に掛けることせむや
藤島秀憲『山崎方代の百首』
右左口の峠の道のうまごやし道を埋めて咲いておるらん 『こおろぎ』
ふるさとは今頃花が咲き満ちているだろう……と郷里に思いを馳せる。詩歌の古くからのテーマである。だがしかし、思いだす花が桜や梅でないところが方代らしい。故郷の桜を思うなんて叙情的なことを歌わないのが方代が方代たる所以だ。
で、代りに出して来たのがうまごやし。すなわち馬肥。肥料や牧草にする草。花が咲いていることを気に掛ける人は少ないだろう。日本的な叙情より、目立たないけれど暮らしの中に確かに存在することに方代は重きを置いた。
こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた 『こおろぎ』
朝を迎えられた悦び。全面的に生きていることを寿ぐ一首。「こんなにも」の絶唱が印象的だ。てのひらを太陽に透かして生きている喜びを歌い上げた唱歌はあった。けれども、太陽は両手に受けて嗅いでしまうのですね、方代は。
結句が二文字足りない。二文字を補うとすれば何が適当かと読み返すたびに考える。「けど」のときが多い。「嗅いでみたけど」。「嗅いでみたけど」その先どうなのだろう?知りたくて私も昇る日を嗅いでみた、けど。永遠の問いを投げかけられてしまった。 (なのかなあ?このままで充分なようだが……)