11月27日(木)

晴れている。

  散歩するに相次ぎ次に抜かれゆくその後背を追ふ懸命に歩く

  通勤する人に紛れて歩みゆく厚木駅までに幾人に越され

  六時過ぐるとたちまち駅への道をゆくサラリーマンの数多きなり

『孟子』縢文公章句上49-3 夫れ禄を世々にするには、縢(もと)より之を行へり。詩に云ふ、『我が公田に雨ふり、遂に我が(し)に及べ』と。(ただ)助のみ公田有りと(な)す。此に(よ)りて之を観れば、周と雖も亦助するなり。(しやう)(じよ)学校を設け為して、以て之を教ふ。(しやう)とは養なり。校とは教なり。序とは射なり。(か)に校と曰ひ、殷に序と曰ひ、周に庠と曰ひ、学は則ち三代之を共にす。皆人倫を明らかにする所以なり。人倫(かみ)に明らかにして、小民(しも)に親しむ。王者(わうしや)起る有らば、必ず来りて法を取らん。是れ王者の師と為るなり。詩に云ふ、『周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり』と。文王の謂なり。子(つと)めて之を行はば、亦以て子の国を新たにせん」と。

  庠・序・学・校など設け民に教ふればこれ新たなり

藤島秀憲『山崎方代の百首』

私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう 『こおろぎ』

口語で呟くように歌ったことで、嘆きがいっそう身にしみる。作られた思いではなく、心の中から零れ落ちた思いという感じがする。

父は歴史に名を残すような人ではなかった。今となっては方代の記憶の中にしか存在しない。この世に父が生きた証しは方代の死とともに消えてしまう。

だがそれって特別なことではなく、過去に生きた人々の九十九・九九九パーセントの人は、誰かの死をもってもう一度死ぬ。本当に死ぬ。私の中にも父がいるが、私が死ねば知る人はいなくなる。

ひとびとは黙って顔を見合わせてそして帰っていってしまった 『こおろぎ』

歌人としての知名度が高まるにつれ、雑誌や新聞の取材を受けるようになった。そうなると、方代の棲家を一度は見たいという人が現れることになり、結果、この歌の次第となる。「素敵なお住まいで」とは言えない暮らしぶり。

細かいことは何も歌っていないが、場面が鮮明に思い浮かんで来る。期待の表情がたちまちに戸惑いに変わり、困ったように「帰りましょうか」と目で合図しあう「ひとびと」。

方代の省略技術には目を見張るしかない。(なるほど。うん)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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