朝から晴れなれど寒い。
これの世に悪しきこと良きこととりどりに幾つもあるもの人の世なれば
この生に歓び悲しみあるもののそれでも少し楽しければよし
生きるために切磋琢磨す。あれこれとあれどただ平穏であること祈る
『孟子』公孫丑章句下36-2 「然らば則ち子の伍を失ふや、亦多し。凶年饑歳には、子の民、老羸は溝壑に転じ、壮者の散じて四方に之く者幾千人ぞ」と。曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり」と。曰く、「今、人の牛羊を受けて、之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦立つて其の死を視んか」と。曰く、「此れ則ち距心の罪なり」と。
牛羊の牧場と牧草を得られずばもとに返すか死を視てゐるか
藤島秀憲『山崎方代の百首』
汚れたるヴィヨンの詩集をふところに夜の浮浪の群に入りゆく 『方代』
愛読した詩人が二人いる。尾形亀之助とフランソワ・ヴィヨン。二人の詩との出会いは昭和二十三年、三十四歳のときだった。『青じその花』には「(ヴィヨンの)詩をくり返しくり返して、読んでいくうちに、力強いなにものかが、私の心をゆさぶってくるのである」とある。
この歌三句以下を比喩として読むのが良さそうだ。ヴィヨンの詩を心に刻みつけ、厳しい現実を生きて行こうという意思表示。
ちなみにこの詩集は、鈴木信太郎訳の『ヴィヨン詩鈔』、新宿の紀伊国屋書店で買った。
ゆくところ迄ゆく覚悟あり夜おそくけものの皮にしめりをくるる 『方代』
傷痍軍人として訓練を受けた方代は、靴職人の家に住み込んで修理技術を学んだ。その後、新宿駅などで靴の修理をして過ごすが、住居を持たずに知人の家を渡り歩く放浪生活は変わらなかった。
この時期の歌としては生きることに前向きである。なんとしても生きて行こうという覚悟がある。と言うのも、戦争と戦後の混乱によって途絶えていた作歌に、ふたたび取り組むようになったからである。
戦前に参加していた「一路」に再入会。歌会に出るために、しばしば右左口村に帰るようになっていた。