気温があまり上がらない。曇り空。
朝一巡り午前・午後にも巡りたり毎日歩くも筋肉付かず
大欅の木をめぐりきてわがマンションの九階へ帰る
朝は伴ふ人もゐず午前・午後にはぼちぼち人が
『孟子』公孫丑章句下39 孟子 斉自り魯に葬る。斉に反り、嬴に止まる。充虞請うて曰く、「前日は虞の不肖なるを知らず、虞をして匠事を敦めしむ。厳なり。虞敢て請はざりき。今、願はくは窃かに請ふこと有らん。木以だ美なるが若く然り」と。
孟子の母をおさむるに充虞尋ねき棺の木はなはだ立派にすぎたるような
藤島秀憲『山崎方代の百首』
ほんとうの酒がこの世にあった時父もよいにき吾もよいたり 『方代』
『青じその花』にこんな文章がある。
あのころは、まだ本当の酒がこの世の中にあった。
ある晩、父とともにのみ明かしたことがあった。酒は黄金色をしていた。
「あのころ」とは母もまだ生きていた時代。「本当の」が意味することは、闇市で売られていた密造酒とは違うということではなく、楽しかった時代に飲んだ酒という意味。もう二度と取り戻せない時代なのだ。
父は昭和十九年に亡くなる。方代は転戦中でジャワ島のスラバヤにいた。
がぶがぶと冷えたるお茶を呑み終る如くせわしく終らんとする 『方代』
何を終らんとするのだろう。比喩があっても、何を喩えているのか肝心のことが抜け落ちている。仕方がないので読者がいろいろと、もやもやしながら考える。もうその時点で、読者は方代の仕掛けた罠にはまっている。
方代のオノマトペは極めて単純だ。「がぶがぶと……呑み」、きっと歌会では「平凡」
「陳腐」とやり玉にあがるだろう。方代ほどの感性をもってすれば斬新なオノマトペを生み出せるはず。だが、しなかった。
単純ゆえわかりやすい。単純ゆえ味わいがある。方代短歌の人気の秘訣がオノマトペの使い方に垣間見える。