今日も晴れ。でも朝寒い。
焼津にて小泉八雲は、焼津を訪れた盆の夜、精霊舟を追って海に入ったという。
人生は神々の音楽である
盆の夜は精霊舟を送りだす。焼津の海をかなた遠くへ
時に遅れ小泉八雲は、遠く去る燈籠を追ひ水に入りゆく
流れゆき透かしの色を震はせて一つ一つのいのち散らばる
『孟子』縢文公章句下54-2 「三月君無ければ則ち弔すとは、以だ急ならずや」と。曰く、「士の位失ふや、猶ほ諸侯の国家を失ふがごときなり。礼に曰く、『諸侯は耕助して以て粢盛に供し、夫人は蚕繅して以て衣服を為る』と。犠牲成らず、粢盛潔からず。衣服備はらざれば、敢て以て祭らず。惟士は田無ければ、則ち亦祭らず。牲殺器皿衣服備はらざれば、敢て以て祭らざれば、則ち敢て以て宴せず。亦弔するに足らずや」と。「疆を出づれば必ず質を載すとは、何ぞや」と。曰く、「士の仕ふるや、猶ほ農夫の耕すがごときなり。農夫は豈疆を出づるが為に、其の耒耜を舎てんや」と。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
おもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり 『迦葉』
家族がなく一人で生きていること、歌人としてフリーランスで暮らしていたことなどを思うと、絶え間なく緊張の続いた七十年間ではなかったかと思う。病気や怪我をして転んでしまったら。それで終わりだ。
『山崎方代全歌集』の年譜を見る限り、戦争から戻って以来、病気の記載は五十七歳の時の白内障と、六十八歳のときの緑内障だけ。緑内障の後は煙草を止め、酒を減らしている。自堕落を装いつつ、実は自重して転ばないようにと願い続けた人生だった。
「これで死ぬんだ」と達観の境地が見えて来る歌。
八階の病床にありてしみじみとめしをたべてるうたをよんでる 『迦葉』
これだけ平明で、これだけ率直で、これだけ悲しく、これだけ喜びを湛えた歌を私は知らない。
死を覚悟してはいるのだろう。だが、「おもいきり転んでみた」結果、病床にあって食事ができて、短歌が詠めていることに感極まっているようだ。畳の上ではないけれど、病院にいて、しかも見晴らしの良い八階で死を迎えられる境遇に満足しつつ、死を受け入れている。喜んで死を待っている。
平凡なオノマトペを敢て使って来た方代が最後に繰り出した「しみじみ」、深い思いが込められている。