晴れているが、冷たいのだ。
常に動く潮の流れに翻弄され念仏唱へ泳ぎゆきしか
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一夜経て岸壁に坐る八雲がゐる。日暮れまでただ海の音聴く
この世のいつさいのものを忘れたり。怒濤はげしくはるかに続く
『孟子』縢文公章句下54-3 曰く、「晋国も亦仕国なり。未だ嘗て仕ふること此の如く其れ急なるを聞かず。仕ふること此の如く其れ急ならば、君子の仕ふること難しとするは何ぞや」と。曰く、「丈夫生るれば、之が為に室有らんことを願ひ、女子生るれば、之が為に家有らんことを願ふ。父母の心は人皆之有り。父母の命、媒妁の言を待たずして、穴隙を鑚つて相窺ひ、牆を踰えて相従はば、則ち父母・国人皆之を賤まん。古の人未だ嘗て仕ふることを欲せずんばあらざるなり。又其の道に由らざるを悪む。其の道に由らずして往く者は、穴隙を鑚るの類なり」と。
君子たるや正しい道に由らざるを悪み正しい道に由らざれば卑しむ
藤島秀憲『山崎方代の百首』
丘の上を白いちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり 『迦葉』
「白いちょうちょう」は方代自身である。丘の向こうには、ふるさとの右左口がある。父や母や姉のくま、幼くして逝った兄や姉がいる。
それとも、丘の向うには沢山の読者がいるのか。歌を手渡すために丘を越えてゆくのか。
最後の最後に突っ込みを入れさせてもらえば、そもそも蝶には手がないのだから手渡すことはできないでしょう……と言いたい。でも、そんな突っ込みを入れさせてくれる方代が心から愛おしい。全歌集を読むたびに、この歌に差し掛かったとき私の眼は涙で濡れている。
めずらしく晴れたる冬の朝なり手広の富士においとま申す 『迦葉』
一九八五年、昭和六十年八月十九日午前六時五分、山崎方代の七十年にわたる生涯が終る。
鎌倉の瑞泉寺にて密葬・告別式が行われたあと、右左口にある円楽寺において本葬、その後埋葬された。戒名は「観想院方代無煩居士」。
ずっと私は「無煩」を「無頼」と思いこんでいた。この原稿を書いていて間違いに気づいた。戒名を付ける意味は良く知らないが、「おいとま申す」ときっぱり別れを告げたこの時、方代から煩悩の全てが消え去ったのだ。生き放題死に放題の方代である。
これで藤島秀憲『山崎方代の百首』は終わりである。藤島氏にはお疲れさまと声をかけたい。喜怒哀楽、方代とともに読んできた。その思いには頭が下がる。
ただ方代にあって私に無いのは故郷である。そのことが痛いほどわかった。ありがとうございました。
次は、川本千栄『土屋文明の百首』の予定である。