朝はまあまあだが、雨が降ってくるらしい。
夜の闇に燐光わづか流れゆく明滅したりいのちむなしく
水に溺れ、憤怒と破滅と絶望に人死するとも海しづかなり
海の声聴きつつわれは厳粛なり。小泉八雲死者の世語る
『孟子』縢文公章句下55 彭更問うて曰く、「後車数十乗、従者数百人、以て諸侯に伝食す。以だ泰ならずや」と。孟子曰く、「其の道に非ざれば、則ち一簞の食も人より受く可からず。如し其の道ならば、則ち舜、堯の天下を受くるも、以て泰なりと為さず。子は以て泰なりと為すか」と。曰く、「否。士事無くして食むは不可なり」と。曰く、「子功を通じ事を易へ、羨れるを以て足らざるを補はずんば、則ち農に余粟有り。女に余布有らん。子如し之を通ぜば、則ち梓・匠・輪・輿、皆食を子に得ん。此に人有り。入りては則ち孝、出ては則ち悌、先王の道を守り、以て後の学者を待つ。
而るに食を子に得ずとせば、子何ぞ梓・匠・輪・輿を尊んで、仁義を為す者を軽んずるか」と。
彭の言ひ分では技術者ばかり重用し仁義を修むる士君子軽んず
川本千栄『土屋文明の百首』
この三朝あさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず 『ふゆくさ』
<この三日間、朝ごとに、美しく装うように開いていた睡蓮の花が今朝はもう開かない>
第一歌集『ふゆくさ』の巻頭歌。歌の師であった伊藤佐千夫の元に上京してきた頃に作られた。初期の歌。文明十八歳の時の作である。
「三朝」「あさな」「あさな」と「あさ」の音を三回繰り返し、調べの整った、愛誦性のある歌となっている。花の美しく咲いた姿ではなく、もう咲く力を持たない、衰えていく姿を写し取っている。文明は植物が好きで、生涯を通して多くの草木の歌を作った。
白楊の花ほのかに房のゆるるとき遠くはるかに人をこそ思へ 『ふゆくさ』
<白楊の花房が風邪でほのかに揺れるとき、遠くはるかにその人を思う。>白楊はポプラの一種。春に赤褐色や黄褐色の房花をつける。実は白い絮となって飛ぶ。「こそ~へ」で「人」を強調している。
「人」は後に妻となる二歳上の女性、塚越テル子。文明と同郷で遠縁にあたる。裕福で進歩的な家に育ち、東京の女子英学塾(現・津田塾大学)に進学。いわゆる「ハイカラ」女学生で、卒業後は英語教師として勤務した。社会で働く女性の先駆けだ。一高、東京帝大と進学した文明も、当時の最高レベルの教育を受けている。