12月20日(土)

朝はまあまあだが、雨が降ってくるらしい。

  夜の闇に燐光わづか流れゆく明滅したりいのちむなしく

  水に溺れ、憤怒と破滅と絶望に人死するとも海しづかなり

  海の声聴きつつわれは厳粛なり。小泉八雲死者の世語る

『孟子』縢文公章句下55 (はう)(かう)問うて曰く、「後車(こうしや)数十乗、従者数百人、以て諸侯に伝食す。以だ泰ならずや」と。孟子曰く、「其の道に非ざれば、則ち一(たん)の食も人より受く可からず。(も)し其の道ならば、則ち舜、堯の天下を受くるも、以て泰なりと為さず。子は以て泰なりと為すか」と。曰く、「否。士事無くして(は)むは不可なり」と。曰く、「子功を通じ事を(か)へ、(あま)れるを以て足らざるを補はずんば、則ち農に(よ)(ぞく)有り。(ぢよ)に余布有らん。子如し之を通ぜば、則ち(し)(しやう)(りん)輿(よ)、皆食を子に得ん。此に人有り。入りては則ち孝、出ては則ち悌、先王の道を守り、以て後の学者を待つ。

而るに食を子に得ずとせば、子何ぞ梓・匠・輪・輿を尊んで、仁義を為す者を軽んずるか」と。

  彭の言ひ分では技術者ばかり重用し仁義を修むる士君子軽んず

川本千栄『土屋文明の百首』

この三朝あさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず 『ふゆくさ』

<この三日間、朝ごとに、美しく装うように開いていた睡蓮の花が今朝はもう開かない>

第一歌集『ふゆくさ』の巻頭歌。歌の師であった伊藤佐千夫の元に上京してきた頃に作られた。初期の歌。文明十八歳の時の作である。

「三朝」「あさな」「あさな」と「あさ」の音を三回繰り返し、調べの整った、愛誦性のある歌となっている。花の美しく咲いた姿ではなく、もう咲く力を持たない、衰えていく姿を写し取っている。文明は植物が好きで、生涯を通して多くの草木の歌を作った。

白楊の花ほのかに房のゆるるとき遠くはるかに人をこそ思へ 『ふゆくさ』

<白楊の花房が風邪でほのかに揺れるとき、遠くはるかにその人を思う。>白楊はポプラの一種。春に赤褐色や黄褐色の房花をつける。実は白い絮となって飛ぶ。「こそ~へ」で「人」を強調している。

「人」は後に妻となる二歳上の女性、塚越テル子。文明と同郷で遠縁にあたる。裕福で進歩的な家に育ち、東京の女子英学塾(現・津田塾大学)に進学。いわゆる「ハイカラ」女学生で、卒業後は英語教師として勤務した。社会で働く女性の先駆けだ。一高、東京帝大と進学した文明も、当時の最高レベルの教育を受けている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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