曇り雨、雨なのか曇なのか。
巨大なる音の重なり焼津の海。古き世生くる八雲に逢へり
わが会へる小泉八雲老いたるに幽霊を語れば生き生きとして
『孟子』縢文公章句下55-3 曰く、「梓・匠・輪・輿は其の志将に以て食を求めんとするなり。君子の道を為すや、其の志亦将に以て食を求めんとするか」と。曰く、「子何ぞ其の志を以て為さんや、其の子に功有らば、食ましむ可くして之を食ましめんのみ。且つ子、志に食ましむるか。功に食ましむるか」と。曰く、「此に人有り。瓦を毀ち墁に画するも、其の志将に以て食を求めんとすれば、則ち子之に食ましむるか」と。曰く、「否」と。曰く、「然らば則ち子は志に食ましむるに非ざるなり。功に食ましむるなり」と。
彭更よ汝は志に報酬を与えるにあらず成果に与ふと孟子曰ふ
川本千栄『土屋文明の百首』
夕べ食すはうれん草は茎立てり淋しさを遠くつげてやらまし 『ふゆくさ』
<夕食に食べているほうれん草は茎が長く伸びている。遠く離れたあの人に、今の自分の淋しさを告げてやれたらいいのに。>
文明は子供の頃、郷里ではほうれん草はまだ一般的に栽培されていなかった。青年になった頃には、新しい食材として食べていたのだろう。成長して茎が伸びると根元が赤くなるのも、恋する思いに通じる。寂しさを告げたい相手は遠く住むテル子。二人の恋は家同士の関係で順調にはいかなかった。親の決めた相手と結婚する時代で、まだ恋愛そのものが新しかった。
夕ぐるるちまた行く人もの言はずもの言はぬ顔にまなこ光れり 『ふゆくさ』
<夕暮の町中を行く人はものを言わないその顔に、目だけが光っていた。>
大正六年の連作「船河原橋」より。東京の神田川に架かる船河原橋のある日の光景である。夕暮れの橋を、人々が大勢、口も利かず、忙しく渡って行く。退勤する人々だろう。現在の東京ドーム付近は、この歌の当時は造兵廠(旧日本陸軍の兵器工場)であった。人はそこの職工ではないかという歌が次にある。急速に発展する都市東京。下句の表情の描写から、都会の近代的な工場で働く人の孤独感が伝わって来る。