晴れた。
柚木麻子『BUTTER』を読む。なかなか手強い小説であった。週刊誌記者・町田理佳と男たちを殺害した罪で逮捕・収監された梶井真奈子との対峙、つまり二人の面会と会話を中心にした小説かノンフィクションか。随所に西洋料理に関するレシピが出ていて、どれもバターをたくさん使う。胸焼けしそうな気分になってくるが、まあ面白い。炊きたて飯に大量のバター、少しの醤油は、いかにも旨そうだが、それ以外はなんとも諄そうで辟易だ。最後の場面は、七面鳥を料理する話だが、ちょっと共に食べたくなる明るさがある。
おほかたは女性の絵なり。表情が齢重なるごとに細る
絵の女の若きは顔の円くして、やがて伸びゆく大人びてゆく
「二面像」は、仏像のごとく手を開き光と影の顔二つもつ
『孟子』縢文公章句60 公都子曰く、「外人皆夫子 弁を好むと称す。敢て問ふ、何ぞや」と。孟子曰く、「予豈弁を好まんや。予已むを得ざればなり。天下の生は久し。一治一乱す。堯の時に当り、水逆行し、中国に氾濫す。蛇龍之に居り、民定まる所無し、下なる者は巣を為り、上なる者は営窟を為る。書に曰く、『洚水余を警む』と。洚水とは洪水なり。禹をして之を治めしむ。禹 地を掘りて之を海に注ぎ、蛇龍を駆りて之を菹に放つ。水地中由く行く。江・淮・河・漢、是なり。険阻既に遠ざかり、鳥獣の人を害する者消ゆ。然る後、人平土を得て之に居り。
孟子が言ふ決して議論好きではないのだが今の時勢では仕方なし
川本千栄『土屋文明の百首』
幼かりし吾によく似て泣き虫の吾が児の泣くは見るにいまいまし 『山谷集』
<幼かった私によく似て泣き虫であるわが児が泣くのは、見るたびにいまいましい。>
文明には一男三女がいるが、この子は「自分に似て泣き虫で腹が立つ」というので長男の夏実であると思われる。亡くなった父にも、泣いている子にも、血が繋がっているからこそ、自分とよく似た、見たくない面がある。肉親だからこそ嫌なのだ。結句は、自分の子に対して「見るにいまいまし」とはっきり言葉にして言い切っている。八音でそれほどの字余りではないが、圧迫感があり、強く長い句に感じられる。
代々木野を朝ふむ騎兵の列みれば戦争といふは涙ぐましき 『山谷集』
<代々木野を朝に踏んで訓練している騎兵の列を見れば、戦争というのは涙ぐましいものだ。>
東京都渋谷区にあった代々木練兵場が舞台。歌の背後に万葉集巻一「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」があると「アララギ」の宮地伸一が指摘している。この時期には、歌人は戦争を称揚すべきとの意見もあり、結句は弱弱しいとか反軍国的などと取られた。しかし文明の視線は、単に日本の不安定な未来を予感するだけではなく、死を前提にしながらも戦争をやめない。人間が本来持つ哀しさを見つめている。