今日も晴れ。
イタリアン・レストランの窓にほぼ枯れし楓が落とす一葉のゆくへ
サフランライスを口に運びし沈黙に笑みうかべつつ嫗と翁
一葉落とし地上に着くまでの時の間を測るがごとくわれは見てをり
『孟子』縢文公章句60-4 聖王作らず、諸侯放恣なり。処士横議し、楊朱・墨翟の言、天下に盈つ。天下の言、楊に帰せざれば則ち墨に帰す。楊氏は我が為にす。是を君を無みするなり。墨氏は兼愛す。是れ父を無みするなり。父を無みし君を無みするは、是れ禽獣なり。公明儀曰く、『厨に肥肉有り。廏に肥馬有り。民に飢色有り。野に餓莩有り。此れ獣を率ゐて人を食ましむるなり』と。楊墨の道息まざれば、孔子の道著れず。是れ邪説 民を誣ひ、仁義を充塞すればなり。仁義充塞すれば、則ち獣を率ゐて人を食ましむ。人将に相食まんとす。吾此が為に懼れて、先聖の道を閑り、楊墨を距ぎ淫辞を放ち、邪説の者作るを得ざらしむ。其の心に作れば、其の事に害あり。其の事に作れば、其の政に害あり。聖人復た起るも、吾が言を易へじ。
孟子は孔子の道を信ず楊・墨の説を退け聖人の道へ
川本千栄『土屋文明の百首』
罪ありて吾はゆかなくに海原にかがやく雪の蝦夷島は見よ 『山谷集』
<(罪を犯したために行った祖父とちがって、)私は罪があって行くわけではないのだ。海原にその雪と共に輝いている蝦夷島(北海道の旧称)を見よ。>
祖父は文明の生前、強盗罪で北海道に送られて獄死した。それを中学時代に知って傷つき、内向的になったと第一歌集の後書きに記している。この旅行時は三十九歳。年齢を重ね、少年時代とは違う気持ちで祖父を思う余裕もできていた。津軽海峡を連絡船で渡る時見える北海道を「は」で強調し、「見よ」と自分に語りかける。祖父の存在を認め、少年時代の心の傷を乗り越える旅だった。
地下道を上り来りて雨のふる薄明の街に時の感じなし 『山谷集』
<地下道を上って出て来ると、薄明かりの街には雨が降っており、何時頃という時の感じがなかった。>
昭和六年「三月三十一日」より。大正十二年の関東大震災から四年後の昭和二年、東京に地下鉄が開業した。当時、地下鉄はまだ新しい都市風景だった。地下道という、季節も時間もかんじられない閉じられた空間から外へ出ると、日没後の薄明かりの街に春の雨が降っており、地上も、時間の感覚の無い閉塞感に覆われていた。人影のない、空虚な風景に感じられるのは、都市に生きる知識階級市民の孤独と虚無だ。