晴れているが、今日は寒い。
梅崎春生の『怠惰の美学』『ウスバカ日記』『桜島・狂い凧』『日の果て・幻化』
エッセイと小説をわれは分けつつ読み進むたいしたもんだ梅崎春生
かくのごとき作家が失はれ日本の小説界もわけがわからなくなる
『孟子』縢文公章句上50-4 「然らば則ち天下を治むる、独り耕し且つ為す可けんや。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身にして百工を為す所備はる。如し必ず自ら為して後之を用ひば、是れ天下を率ゐて路するなり。故に曰く、『或ひは心を労し、或ひは力を労す』と。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人に治めらるる者は人を食ひ、人を治むる者は人に食はるるは、天下の通義なり。
心を労する者もあれば、力を労する者もあるこれがこの世の道理なり
藤島秀憲『山崎方代の百首』
ことことと雨戸を叩く春の音鍵をはずして入れてやりたり 『こおろぎ』
春が来るのは待ち遠しいものだが、方代は人一倍春の訪れを楽しみにしていた。山に入って山菜が採れる、すみれなど野に咲く花に挨拶できる。
それにしても普通ならば「窓を開いて」というのではないだろうか。「いえ、窓を開く前に鍵をはずさなければなりません」と言われてしまうと、ぐうの音も出なくなるのだが、でもやっぱり「鍵をはずして」はユニーク。「そう来たか」と思わず言いたくなる意外な盲点。突拍子もないことではなく、手を伸ばせば届く範囲内で意外な飛躍の着地点を見つけることができた人だ。
私の心の中の椎の実が枝をはなれて落ちてゆきたり 『こおろぎ』
方代が描く場面は臨場感に満ちているのだが、では現実的かと問われれば首をひねってしまう。リアルでありつつ嘘っぽさがある世界、一言でまとめればこういうことになる。
それは「私に心の中」を描いているからだ。心の中だからと言ってまったくのフィクションではなく、過去に見た場面が記憶として、心の中で成熟したもの。時間を経て、うま味を増した過去の一場面なのだ。写生とは別ものである。
嘘っぽさは深い味わいの一つと理解すれば良い。