12月6日(土)

朝から寒い。冷えている。

  曇り空の少し明るむむかふには欅大樹の不可思議な色

  まだ暗き公園のけやき黒く見ゆ黄葉落葉の散らばるところ

  公園のけやきに秋のひかりあり伸びやかなりき黄葉を落とす

『孟子』縢文公章句上50-6 后稷(こうしよく)は民に稼穡(かしよく)を教へ、五穀を樹芸す。五穀熟して民人育す。人の道有るや、飽食煖衣、逸居(いつきよ)して教へ無ければ、則ち禽獣(きんじう)に近し。聖人(また)之を憂へ、(せつ)をして(し)(と)(た)らしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。(はう)(くん)曰く、『之を労ひ之を(きた)し、之を(ただ)し之を直くし之を(たす)け之を(たす)け、之を自得せしめ、又従つて之を(しん)(とく)せよ』と。聖人の民を憂ふること(かく)の如し。而るを耕すに暇あらんや。

藤島秀憲『山崎方代の百首』

弾丸傷にうずく眼玉を掘り出して調べてもらう遺書をのこせり 『こおろぎ』

この歌にも思わず唸ってしまった。反戦の歌、けれどナンセンスに縁どられ、まったく絶唱っぽくはないけれど、方代が方代らしさを崩さずに成し遂げた絶唱である。

私の人生を狂わせた戦傷を調べろというのだ。それによって戦争が起きた原因をもう一度想い起こせという。

戦争を忘れるな、戦争を二度と起こすなと重低音のメッセージである。

「掘り出して」とういう動詞、ちょっとトボけているが、まるで戦場から遺骨を掘り出すような緊張感がある。この動詞の使い方にも再三再四唸ってしまう。

  今日もまた雨は止まない耳の穴釘の頭を入れて出しおる 『こおろぎ』

正直どちらでも良いのだが……「止まない」は終止形なのだろうか、連体形なのだろうか。仮に連体形とすれば、耳の中に雨が止まないと読める。つまり耳鳴りの類を思うわけである。

だけど、、終止形なのでしょう。「雨は止まない」と二句で切れて、釘の頭で耳穴掃除をしていると展開してゆく。長雨に閉じ込められている気怠さが漂う。

「入れて出しおる」からギリシア神話のシシュフォスの石の話を思い出した。運び上げた石を落とされては再び運ぶという話。耳垢を取るのが目的ではなく、ただ出し入れを繰り返す刑に処せられているかのように。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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