12月7日(日)

寒いけれど、晴れ。

  まだ暗き公園に吾が歩み入ればすずめ十羽ほどが飛び翔りたり

  すずめごの数羽が鳴けば応じたるすずめゐる欅黄葉の枝葉の裡に

  公園を歩き過ぐれば小さな虫。耳の傍にて羽音聴こゆ

  わが耳の傍に顫音残し去りゆける虫の名わからず、しかし確かに

『孟子』縢文公章句上50-7 堯は舜を得ざるを以て己が憂ひと為し、舜は禹・(かう)(えう)を得ざるを以て己が憂ひと為す。夫れ百畝の(をさ)まらざるを以て己が憂ひと為す者は、農夫なり。人に分かつに財を以てする、之を恵と謂ふ。人に教ふるに善を以てする、之を忠と謂ふ。天下の為に人を得る者、之を仁と謂ふ。是の故に天下を以て人に与ふるは易く、天下の為に人を得るは(かた)し。孔子曰く、『大なるかな堯の君(た)るや。(ただ)天を大なりと為す。惟堯之に(のつと)る。蕩蕩乎(たうたうこ)として、民(よ)く名づくる無し。君なるかな舜や。巍巍乎(ぎぎこ)として、天下を(たも)つて而も(あづ)からず』と。堯・舜の天下を治むる、豈其の心を用ふる所無からんや。亦耕すに用ひざるのみ。

  堯・舜の天下を治むるにあたりただ農耕についてだけは用いざる

藤島秀憲『山崎方代の百首』

六十歳を過ぎた頃よりようやくに見合いの数も落ちて来にけり 『こおろぎ』

ということは六十歳になるまでは困ってしまうほど見合い話が舞い込んだということになる。事実とは思えないけれども、このように本人が歌っているのだから、そういうことにしておこう。」

「にけり」で終わる歌が方代には多い。談笑するような言い回しの最後を「にけり」で締めて、歌として立ち上がらせる。「けるかも」「なりけり」などもよく使う。

方代というと口語のイメージが強いが、いやいや実は文語の人で、文語と口語の匙加減に四苦八苦した人。数限りない推敲が行われたことだろう。

あさなあさな廻って行くとぜんまいは五月の空をおし上げている 『迦葉』

ここからは第四歌集の『迦葉』に入る。出版は昭和六十年十一月二十五日。だが方代はこの世にいない。八月十九日に肺がんによる心不全のために国立横浜病院で七十年間の生涯を終えている。方代自身が付けた歌集名は甲府から右左口に至るルートにある坂の名前だ。

ぜんまいの先っぽは丸まっている。あの丸まりが伸びて空を押し上げているという空想である。この面白い空想は、山菜が美味しい季節が訪れたことと、気持ちよく山野を散策できる気候になったことを喜ぶ思いから生まれたのだろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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