よく晴れている。
背黒鶺鴒が小刻みなる歩み止めたり草を咥へてわれから離る
わが前を背黒鶺鴒歩むなり飛ぶこともなく離りゆくなり
おそらくは背黒鶺鴒の仲間だらう欅黄葉の中から声す
『孟子』縢文公章句上50-8 吾夏を用て夷を変ずる者を聞く。未だ夷に変ぜらるる者を聞かざるなり。陳良は楚の産なり。周公・仲尼の道を悦び、北のかた中国を学ぶ。北方の学者、未だ之に先んずる或る能はず。彼は所謂豪傑の士なり。子の兄弟、之に事ふること数十年、師死して遂に之に倍く。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている 『迦葉』
遺歌集とは言っても死去を受けて企画されたものではなく、生前から作成は決まっていて、方代も病床で完成を待ち望んでいた。だから間に合わなかった最後の歌集ということになる。
六十六歳から七十歳までの歌が収められている。清く澄んだ歌が多い。方代が持ち続けていたセンチメンタルでロマンチックな特質が、大らかなユーモアに縁どられ、ゆるやかな言葉づかいによって読者に差し出される。
ふるさとを象徴する不二と笛吹川に加え「石」を置く。「石」はきっと方代自身。笑えていることにホッとする
死ぬ程のかなしいこともほがらかに二日一夜で忘れてしまう 『迦葉』
「忘れてしまう」は願望だろう。忘れられれば良いのに、しかも「ほがらかに」。
でも叶わぬこと。叶わぬ思いが歌われている。「死ぬ程のかなしいこと」の悲愴感と「ほがらかに二日一夜で忘れてしまう」の冗談めかした物言い、まったく正反対のものを咬み合わせても違和感がないのは、方代のキャラクターがあってのこと。キャラクター作りに勤しんだ成果と言えるだろう。
短歌はキャラクターを歓迎しない風潮がある。詠み人知らずでも良い歌は良いという言葉さへ時に聞く。キャラターを作り上げる大切さを方代短歌は教えてくれる。