晴れているが、寒い
『文豪死す』読了。芥川龍之介・太宰治・梶井基次郎・中島敦・夢野久作・泉鏡花の生前最後の作品が集めてある。中島の「李陵」・今日かも『縷紅新草』が、とりわけ面白かった。読んでいなかった作品が多い。
背中まで衆目にさら神秘なしただ木を刻む木彫に過ぎず
仏からその神秘をも喪はせ博物館の円陣に立つ
とみかうみ左右歴然たるみ仏に神秘あれこそここに来たりし
『孟子』縢文公章句上50-9 昔者、孔子没するや、三年の外、門人、任を治めて将に帰らんとし、入りて子貢に揖し、相嚮ひて哭し、皆声を失ひ、然る後に帰る。子貢は反りて、室に場を築き、独り居ること三年、然る後に帰れり。他日、子夏・子張・子游、有若の聖人に似たるを以て、孔子に事ふる所を以て之に事へんと欲し、曾子に強ふ。曾子曰く、『不可なり。江漢以て之を濯ひ、秋陽以て之を暴す。皜皜乎として尚ふ可からざるのみ』と。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
ものなべて日ぐれてゆけばわが思い私はあなたの鼻でありたい 『迦葉』
「鼻」は「花」の誤植?と思ってしまったあなたへ。その疑問は当然ですが、「鼻」が正しい。とっても変な感覚。目や耳ほどの働きはせず、気ままな存在に見える鼻。だが顔の中心にあって呼吸のために絶えず働く。嗅ぐという仕事も休みなく行っている。縁の下の力持ちのような存在であり、欠くことはできない。
あなたを私は陰で支えて参ります……という「わが思い」が、あらゆるものが日暮れてゆく頃に萌したのだ。「あなた」とは誰だろう。読者のみなさんと読んでしまっては綺麗すぎるか。でも、読者サービスと取って良い。
靑葉しげれる若宮大路にてゆくりなくめぐり逢いたりあなたなりけり 『迦葉』
若宮大路は由比ガ浜から鶴岡八幡宮に通じる参道で、鎌倉の目抜き通り。そこを歩けば多くの人に会える。この歌でも「あなた」は特定の人を指すのではなく、不特定多数の「あなた」。鎌倉の地に限らず、過去に出会った全ての人を指す。
数限りない人への贈答歌と言える。出会いが素晴らしいものであったことを「青葉しげれる」が表わす。この歌が発表されたのは昭和五十七年、翌年には左眼続発性緑内障で入院する。何らかの自覚症状が老いと死を考えさせたのか。まるで死を予感しているようにも読める。