よく晴れて、春めいた日であった。静嘉堂文庫美術館へ。メトロ二重橋下車。
鳩は平和の象徴と言ひしも現実は糞、糞し放題
マンションの周囲にたたずむ鳩どもをやっつけねばならぬ鴉とともに
ときをりはトンビも上空に現れていつせいに逃ぐる鳩むれならむ
『孟子』離婁章句下105 孟子曰く、「善を以て人を服する者は、未だ能く人を服する者に有らざるなり。善を以て人を養ひて、然る後能く天下を服す。天下心服せずして王たる者は、未だ之れ有らざるなり」
孟子言ふ「天下心服せざれば王となりたるものあらず
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
いにしへ童子の戯れに 砂を塔となしけるも 仏に成ると説く経を 皆人持ちて縁結べ
(法文歌・法華経二十八品・方便品・六八)
【現代語訳】「昔、童子が遊びとして砂で仏塔を造ったことも、それが機縁となって仏に成る」と説く『法華経』を、すべての人が信じ、受持して成仏のための縁を結べよ。
【評】法華経二十八品歌の方便品のうちの一首。宇宙万有の真相を十のあり方(十如是)で説く。方便とは、衆生に真実を明かすまでの暫定的な手段を意味し、三乗(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の教えは仮の教え、方便であって、真実には一乗仏(一乗)があるだけあのだと説かれる。しして、過去における、布施・修福説・造塔・造石廟・作仏像・楽や歌唄など、それぞれに応じた修行や供養をなした者がみな仏に成ったことを示す。
具体例のうち、子どもが戯れに、土や砂で塔や仏像を造っただけでも成仏の因となるのだとする点は、今様が最も注目したところである。一方、釈教歌(仏教に関する和歌)では、成仏のきっかけになる善行の例として、童子の造塔よりも、一枝の花を仏像に捧げることの方がよく詠まれる。季節感を表すことができ、優美なものとして伝統的によく詠まれてきた「花」を和歌が取り上げ、やや俗に近く、日常的な親近感のある子どもの「遊び戯れ」を今様が取り上げるのは、両者の性格の違いをよく示していると言えよう。