晴れてる。
わが歩みの先行く小爺。懸命に追ひ抜かむとするにとても及ばず
わが前をゆく子爺の面を見むと思へどつひにふりかへることなし
角を左に曲がる小爺の姿見むとしてわれも曲がるに影すらもなし
『孟子』離婁章句下107 徐子曰く、「仲尼亟〃水を称して曰く、『水なるかな水なるかな』と。何をか水に取れるや」と。孟子曰く、「原泉混混として昼夜を舎かず。科に盈ちて而る後に進み、四海に放る。本有る者は是の如し。是を之れ取れるのみ。苟も本無しと為さば、七八月の間、雨集まりて、溝澮皆盈つるも、其の涸るるや、立ちて待つ可きなり。故に声聞情に過ぐるは、君子之を恥づ」と。
君子は名声が実情以上は水源なき水と同様恥とするべし
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
窮子の譬ひぞあはれなる 親を離れて五十年 万の国に誘はれて 草の庵に留まれば
(法文歌・法華経二十八品歌・信解品・七八)
【現代語訳】窮子の譬え話はまことに感銘深く思われることよ。親の家を出て五十年間、あちらこちらを放浪し、ついに親の家に戻っても門外の草庵にとどまって、卑しい身と思っていたのだから。
【評】『法華経』信解品で説かれる長者窮子の譬えを歌った一首。釈迦の説法を聞いた迦葉ら四人の弟子が、自分たちの幸運を次のような譬え話に託して喜んだ。幼いころに家出をした息子が、生活に困窮し、諸国を流浪して五十年が過ぎた。たまたま父の長者の住む家の前を通りかかるが、それが父の家とは気付かない。父が人をやって呼ばせると、罰せられるのではないかと恐れるほどであった。そこで父は、貧相な男二人に「我々と『一緒に働こう』と誘わせ、息子を清掃人として雇う。長者自身も粗末な身なりをして息子に近づき、次第に親しくなる。そして息子を徐々に取り立てて、二十年後には財産の管理を一任する。臨終に際して、実子であることを告げ、全財産を相続させる。――自分たちはこの息子のようなもので、仏の方便によってまず小乗(声聞・縁覚→七二)の教えを与えられたが、今日、真実の教えを聞くことができてうれしい、と迦葉は述べた。
当該今様は、第二句・第三句では困窮した息子の放浪生活を歌い、第四句では、」息子が放浪の後、長者の家で二十年を過ごし、財産管理を任されるようになってからも草庵にとどまってたいたことを歌う。第三句と第四句の間には大きな飛躍があるが、長者窮子の譬えがよく知られていることが前提にあり、特に有名な『法華経』の偈(詩の形で表現された部分)「猶門外に処し、草庵に止宿して」を生かしてあるのだろう。
第四句「草の庵に留まれば」と第一句「あはれなる」の関係については、親に救われて親と気付かぬ人間、すなわち仏に導かれながら迷界に流転して仏性を自覚せぬ人間のはかなさを嘆いたとする説と、窮子が懸命で、多くの財産を扱うことになっても自制して身を持ち崩すことがなかったことをほめたたえたとする説があるが、真実の教えを聞いた弟子の喜びの表現としてこの譬え話が語られるところから、前者のように嘆きの感情を主たるものとして捉えるよりも、後者のように、ほめたたえる気持ちが中心にあると考えたい。ただし、ほめたたえられる対象は、弟子たちの譬えである窮子ではなく、窮子の譬え話全体から浮かび上がる仏の導きだと考えられる。すなわち、仏のはからいによって、いまだ草庵にいるような状態なのに求めもせずに無量の宝(真実の教え)を得られたことがすばらしくありがたいことだとしているのであろう。