2月5日(木)

今日も寒い。やがて14度になるそうだが。

今村翔吾『イクサガミ 地』。蟲毒の戦いは厳しいものになりつつ、この企画を樹てた者が明らかになる。警視庁のトップである川路利良が企て大久保利通、前島密と密かに敵対。大久保を殺害させる。基本的に浜松。「残り、二十三人」。

  嘘をつく嘘をつくことはだめだといふ然あれ嘘つく老いてなほつく

  大きな嘘と小さな嘘があるものを小さな嘘が大きくなりぬ

  人間にあれば嘘つき嘘をつき生きむとぞする致し方なし

『孟子』離婁章句上89 孟子曰く、「天下大いに悦んで将に己に帰せむとす。天下悦んで己に帰するを視ること、猶ほ(さう)(かい)のごときは、唯舜を然りと為す。親に得られずんば、以て人と為す可からず。親に順はれずんば、以て子と為す可からず。舜、親に事ふるの道を尽して、瞽瞍(こそう)(よろこび)(いた)せり。瞽瞍予を底して天下化せり。瞽瞍予を底して天下の父子為る者定まれり。此を大孝とい謂ふ」

  舜、父の瞽瞍のよろこべば天下感化せり大孝といふ

川本千栄『土屋文明の百首』

いつの間にか時は行くのかなびき合ふすすきの原にこゑののこりて 『青南後集以後』

<いつの間に時は過ぎていくのか。なびき合うすすきの原に声が残って。>

平成元年九十九歳、ほぼ晩年の作。秋の終わり、風になびき合うすすきを見ている。結句の「こゑ」は亡き人々の声だろう。生涯に出会った人々の声が、すすきの揺れる音の合間に聞こえるように思うのだ。また、二首後の「草の葉もさやぎを止めししばしの間すぎゆく時のこゑのきこゆる」という歌では、「時そのもの声」という、より抽象的な表現となっている。写実を極めて象徴へと転じているのだ。

これで川本千栄『土屋文明の百首』を終える。あれっと思うこともあったが、土屋文明の歌そのものがどうだろうか。そう思い納得したり、なかなか手強い百首であった。次回からは、趣向を変えて『梁塵秘抄』にしようと思う。植木朝子編訳、ちくま学芸文庫に従いたい。

『孟子』離婁章句上も、ここで仕舞い。次回は離婁章句下である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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