朝から雪だ。あたりは白く雪が積もっている。
紀伊国屋本店に着けば二階までエレベータに昇りゆく
二階にあらい文学・文庫の棚がありまず『現代短歌』最新号を得る
歌集の棚にはいろいろあれど『浜田到作品集』文庫版を得る
『孟子』離婁章句下92 孟子 斉の宣王に告げて曰く、「君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、則ち臣の君を視ること国人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなれば、則ち臣の君を視ること冠讐の如し」
君主の臣を扱ふに手足の如くするべきに犬馬・土芥となせば仇や讐なり
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
新年春来れば 門に松こそ立てりけれ 松は祝ひのものなれば 君が命ぞ長からん(今様・一二)
【現代語訳】新年なり春が来ると、家々の門には松が立ったことだ。松は祝いのためのものであるから、わが君の御寿命は長くあることだろう。
【評】狭義今様の分類で最初に置かれた一首。春の歌であり、祝いの要素を含んでいる当該今様は冒頭に置かれるにふさわしい。陰暦では、一月・二月・三月が春であるため、「新年春来れば」と歌い出した。古来、常緑樹の松は長寿、繁栄の象徴として捉えられてきたが、正月、門口に松を立てる門松の風習は平安時代末に広まったらしい。平安時代後期成立の漢詩文集『本朝無題詩』巻六所収惟宗孝言(一〇五〇?~一〇九七?)の詩に「門を鎖しては賢木もて貞松に換へたり」とあり、その自注に「近来世俗、皆松を以て門戸に挿す。而して余、賢木を以て之に換ふ」と見える。門松が和歌に詠み込まれるのも一一世紀(一一〇五)頃詠進された『堀河百首』に「門松をいとなみ立たつるそのほどに春あけがたに夜やなりぬらむ」(除夜・藤原顕季)と見えるのが早い。また、嘉応二年(一一七〇)に藤原実国の家で行われた『実国家歌合』
には「賤の宿に立て並べたる門松にしるくぞ見ゆる千代の初春」(藤原公重)、「おのがじし賤の門松もてさわぐ立つべき春や近くなるらん(源頼政)の例が見られ、庶民階級の風習として捉えられている。さらにこれら「門松」を詠み込んだ和歌の作者がいずれも今様に関心を寄せている人々であることも興味深い。当該今様は、一一世紀半ば以降の庶民階層における流行風俗を取り込んだ、まさに今様(=当世風)の一首と言うことができる。