2024年3月11日(月)

東北大震災から13年、このあたりは震度5弱であったが、マンションの9階、あの日の揺れを忘れることはない。

  大揺れの感覚いまも忘れがたしこの大揺れに滅びむとする

  いとしき老若男女の死者たちの踊りあるべし輪をなすごとく

  まだ幾体の死者がゐるかくれひそみて夜更けつぶやく

『論語』公冶長二四 孔子が微生高(魯の人)についていった。微生高を正直だなどと誰がいうのか。酢を借りにいったら、隣からもらってきて、それを与えたんだぞ。

  微生高はけちなひとにて誰がいふ正直者などもってのほかなり

『正徹物語』75 優れた人の和歌は、どんなことを詠んでも、「一ふしの興ありて面白き」。初心者が、これを羨んで、これに似せようと詠めば、支離滅裂。「これは何をあそばし候ぞ」と尋ねると、「我もえしらず」といい、「たはごとを」詠む。気をつけねばならない。初心の時は、「ただうちむかひて、一首がさはさはと理のきこゆるように詠むべきなり。」位に達していないのに達者の真似をすれば、珍妙な歌ができるばかりだ。

  初心のものはただうちむかひさはさはと理のきこゆるがよし

『伊勢物語』二十五段 昔男が、逢えるかと思っていたのに、結局逢えなかった女に、歌を贈った。
・秋の野に笹わけし朝の袖よりも逢はで寝る夜ぞひちまさりける

女は、恋のこと男のことをよくわかっていた。だから、あえてこんなふうに返した。
・みるめなきわが身をうらと知らねばや離れでなで海人の足たゆく来る

う~む、女が一枚上手。これをみやびというのか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA