2025年3月16日(日)

雨だ。北からの風が強い。寒い雨だ。

テーブルの横に置いて、時間があれば開いていた『山村暮鳥詩集』(藤原定・大江満雄篇)一九六六年初版・一九九四年十一版、弥生書房・世界詩40だから、相当古い本だが、箱入りでしっかりしている。以前買ったものを、全編読んだのは今回がはじめてだ。暮鳥の詩というと「おおい雲よ」くらいしか知らなかったが、その短い詩のよさに驚いた。「また蜩のなく頃となつた/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」とか「まづしさを/よろこべ/よろこべ/冬のひなたの寒菊よ/ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ」。どちらも「ある時」という題である。

  大空を鵄が回遊するときはマンションに居付く鳩も失せたり

  其処此処に糞を落してマンションの十階の屋上に住みつくらしき

  鳩を好くことば聞こえず憎む声あまた聞きつつ肯くわれなり

『論語』季氏九 孔子曰く、「生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学びてこれを知る者は次なり。困みてこれを学ぶは又其の次なり。困みて学ばざる、民斯れを下と為す。」

つまり人間には生まれつき差別があるということか。昔のことではあるが、こんな差別が許されるのだろうか。こんなふうに読んできて、『論語』は、どうも信じがたい。

  孔子は生まれながらに差があると言ふべしされどそれが正しいか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八九 ソトホシノ皇女
後にまた、恋しさに堪えかねて、太子のあとを追うて行かれる時、
君が行き (け)(なが)くなりぬ     太子が島に行ってから 長い月日がたちました
山たづの 迎へを行かむ     もうこの上はじっとして
待つには待たじ         帰りを待ってはいられない

この山たづというのは、今の(たつ)(げ)である。

  カルノ皇子が流されてから長くなりわれはもう帰りを待てず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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