2025年3月18日(火)

一応晴れているが、寒いし、午後雨になるらしい。

いしだあゆみさんが亡くなった。七十六歳だったらしい。むかし中学受験で見事麻布は、当然ながら落ちたのだが、これはたぶんそうなるだろうと思っていたので、悔しくもなかった。ただ二次募集の駒場東邦を再受験、手ごたえははあったが、やはり落ちた。合格発表を見にいった、その帰り、井の頭線に乗った。ドアのところに暗くなった街を宛てもなく見ていると、どこからかブルーライトヨコハマがのメロディが聴こえてきた。いや、そうではなくわが内なる音かもしれない。心のうちに口ずさんでいたのかもしれない。当時流行っていたのだ。その曲思い浮かべていると、なぜか急に悔しく、そして空しくて目頭が熱くなった。といういまになっても忘れることのできない強烈な思い出がある。

  いしだあゆみ死したりと聞く懐かしきブルーライトヨコハマ滅ぶことなし

  小船のやうに揺れて揺られて横浜をさまよひしことかつてありにき

  井の頭線下り電車の窓際にブルーライトヨコハマに涙したりき

『論語』季氏一一 孔子曰く、「善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る、吾其の語を聞く。隠居して以て其の志しを求め、義を行なひて以て其の道を達す。吾其の語を聞く、未だ其の人を見ず。」

  孔子曰く善、不善する人の姿それに達する人いまだ見ず

『古事記歌謡』 九一 キナシノカルノ太子
また、
隠国の 泊瀬の川の       泊瀬の川の上と下
(かみ)つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち      祈りの杭を打ち立てて
(しも)つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち      上瀬の杭には玉をかけ 下瀬の杭には玉をかけ
斎杙には 鏡をかけ       われを祈りしその玉や 鏡がきらきら照るように
真杙には 真玉をかけ      かがやくばかり美しい
真玉なす あが(も)(いも)      わが恋い妻のあればこそ
鏡なす あが思ふ妻       家をも故郷(さと)をも慕うたが
ありと言はばこそに       こうして君といる上は
家にも行かめ 国をも偲ばめ   家も故郷もあるものか

こう歌って一緒に自殺を遂げたのであった。右の二首は「読歌」である。

  泊瀬の川の上と下祈りの杭を打ち立ててたった二人に死にゆくものを

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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