昨夜からの雨が、今も降っている。雨、時々曇り、やがて雨は上がるらしい。
枝ごとに毛羽毛羽の蕾を太らせてことしの木蘭花あまた咲かむ
木蓮の蕾を見ては春の香の近かりしこと妻と語らふ
ことしこそ夏つばきをも可憐なる花を咲かせよわれら祈る
『論語』季氏一二 斉の景公、馬千駟あり。死するの日、民徳として称すること無し。
伯夷・叔斉、首陽の下に餓ふ。民今に到るまでこれを称す。其れ斯れをこれ謂ふか。」
斉の景公は四頭だての馬車千台をを持っていたが、死んだときには、だれもおかげを受けたとほめなかった。伯夷と叔斉とは首陽山のふもとで餓死したが、今でもほめている。
『詩経(小雅・我行其野篇』には「まこと富にはよらず、ただ異なるものによる。」こういうことを言うのだな、と孔子のことば。
死するときに民にもほめられずそんなものにはなってはならぬ
『古事記歌謡』蓮田善明訳 九二 オホハツセワカタケノ命
初め皇后が、まだ河内の日下にいた時、天皇は、日下への近道を通って河内に行った。(略)ここにワカクサカベノ王は、「日に背を向けて、わざわざこの河内の国へおいでになられたのは、まことに恐れ多いことです。わたくしみずから、直々に参り、お仕え申し上げます。」と奏した。そこで皇居に帰る時、また先の坂の上に立って、歌う、
日下部の 此方の山と 日下の山と平群山
畳薦 平群の山の その山峡に立ち茂る
此方此方の 山の峡に 葉広の白檮の下手には
立ち栄ゆる 葉広熊白檮 くみ合い竹が生い立って
本には いくみ竹生ひ 上手もしかと茂り竹
末方には たしみ竹生ひ この竹の様にこのたびは
いくみ竹 いくみは寝ず 手くみかわして寝ることも
たしみ竹 確かに率寝ず しかとはせずに帰るとも
後もくみ寝む その思ひ妻 後にはしかと恋い妻を
あはれ 抱き寝ることもできるだろう
恋ひ妻とあひ寝ることのかなはねどやがては抱きて寝るもかなふか
そして、この歌を持たせて、使を返した。