一九九五年地下鉄サリン事件から、この日で三十年になる。あの日、私も都心に出て別の地下路線に乗ったので、危険は他人事ではない。
夕べ寒かったようで。大山・丹沢連山は斑に雪が被っている。
大山や丹沢連山の谷筋に雪残りをり夕べ雪降る
昨夜までひとしほ寒きに大山も丹沢連山も雪降るらしき
見上ぐれば谷筋白く斑なり大山、丹沢昨夜雪降る
『論語』季氏一三 陳亢、「伯魚(孔子の子)に問ふて曰く、子も亦た異聞ありや。」対へて曰く、未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。」曰く、「詩を学びたりや。」対へて曰く、未だし。詩を学ばずんば、以て言ふこと無し。」鯉退きて詩を学ぶ。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、「礼を学びたりや。」対へて曰く、「未だし。」「礼を学ばずんば、以て立つこと無し。」鯉退きて礼を学ぶ。「斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問ひて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞く。」
孔子父子のおこなひ分かる章段なり特別扱ひはついぞなかりし
『古事記歌謡』蓮田善明訳 九三 オホハツセワカタケルノ命
またある時、天皇は、旅行に美和川に行くと、その折り、川のところで衣を洗っている少女がある。たいそう美しい少女で、「そなたはだれの子か」と尋ねると、「わたしの名は、引田部のアカキコと申します」と言った。そこで、「そなたは、嫁がないでいなさい。京に帰ったらすぐに召すことにするから」アカキコは天皇のお召しを待って、八十年を経た。(略)多くの献上物を整えて参内して奉った。しかし天皇は、先に言ったことを、とっくに忘れて、「そなたは何という老女かの。また、何の用事で参内したのだね」と尋ねるのであった。
「これこれの年の、これこれの月に陛下の仰せをこうむりましてから、今日までお召しを待っておりましたが、はや八十年もたって、もう今では、顔かたちも全くの老いぼれ、お召しをいただく望みも絶えはてたとは存じましたけれども、わたくしの、お待ちしていた心だけでもお知らせしたいと存じ、参内しました。」と申し上げた。天皇は、非常に驚き、「わしは、全くその時のことを忘れていた。しかるに、そなたは、操を守って、わしの言葉を待って、むなしく女の盛りを過ごしてしまったのは、まことに気の毒なことであった」と仰せられて、心に婚したくお思いはなったが、非常な老年であるのをおはばかりになって、お婚しにはならずに、歌を賜わった。
御室の 厳白檮がもと 御室の社の神木の
白檮がもと 忌々しきかも 白檮は畏み守るもの
白檮原嬢子 破ってはならぬ約束を 忘れてしまって気の毒な
御室の厳白檮がもと白檮がもと忌々しきものよ約束破り