2025年3月23日(日)

春の陽気になるという。

北方謙三『降魔の剣』読了。日向景一郎シリーズ2である。おもしろくはあったが、景一郎が強いことは、『風樹の剣』で分かっていた。その意味で緊迫感が少し欠けているようにも思える。

鉄馬や森太郎にも多く触れ、杉谷や町方、薬剤師、医師、あるいは庄内藩の出方なども興味深くはある。それにしても景一郎は、いったい何人の人を斬るだろう。

  朝靄にパティオの木々は明けてゆくあけぼの杉も夏つばきの木も

  それぞれに花を咲かせる準備あり枝に尖り芽けばけば弾丸

  椿にはすでにあまたの花着けて葉のみどりのうちに赤きを隠す

『論語』陽貨二 孔子曰く、「性、相ひ近し。習へば、相ひ遠し。」

生まれつきはにかよっているが、しつけ(習慣や教養)でへだたる。まあ、そういうこともあるが、近年の教育は、できるだけ平等にしたいと俺は思ってきた。しかし、この世界はままならぬことばかりだ。

  ままならぬこと多かれど孔子言ふ「性、相ひ近し、習へば遠し」

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九六 アカキコ
また、
日下江の 入江の(はちす)       日下の入江に咲き盛る
花蓮 身の盛り人        蓮のような若人の
(とも)しきろかも          花の歳こそうらやまし

そこで、この老女に、物をたくさん賜って帰した。右の四首(九三・九四・九五・九六)は「静歌(しずうた)」である。

  日下江の蓮のごとき若人のすめらみことの羨もしきろかも

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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