2025年3月25日(火)

暖かである。

文庫版の松下竜一『私兵特攻 宇垣纏と最後の隊員たち』を読んだ。昭和天皇の玉音放送があっての後、特攻に向かった宇垣長官とそれに従った若い隊員たち。なぜ宇垣は若い隊員を引き連れて死への飛行を実施したのか。宇垣たちだけではない終戦の後の特攻などの謎に取り組んだルポルタージュ。寺司勝次郎の追跡調査が中心テーマのように書かれるが、筆者は松下竜一であり、その点でも変わっているのだが、やはりこの「私兵特攻」とも言うべき事態をどう見るかが、読者それぞれに問われている。戦争が終わっているにもかかわらず若者を死に導いた宇垣を許せるのかどうか、命令が絶対だった、反意を告げることもできない純粋な若き隊員たちの姿が戦争経験のない私には痛烈な問いが課せられているように思われる。それは、実際に戦争が行われている世界を思うと、よりつらいものであった。

宇垣ら特攻には二人乗りの彗星が使われている。宇垣は、その彗星に3人目として乗り込んだのだ。ちなみに彗星は、太平洋戦争に於いて日本海軍の飛行機の中で私のもっとも好きな機種である。

  冬の木の枝移りつつ小雀がちひさく鳴きをり枝をゆらして

  水木の枯たる枝に雀ゐるふるへて鳴くか枝動かして

  木を移り枝を移れる雀ゐるてっぺん近き枝に鳴きをり

『論語』陽貨四 孔子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子莞爾として笑ひて曰く、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用ひん。」子遊対へて曰く、「昔者偃や諸れを夫子に聞けり、曰く、「君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。」孔子曰く、「二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。」

  孔子にても弟子を前にし揶揄したることもあるべしそれも聴きにき

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九八 オホハツセワカタケルノ命

阿岐豆野に行幸して、狩りする時に 天皇が椅子に倚っているところへ、虻が来て天皇の腕にくいついたのを、蜻蛉が来てその虻をくって飛び去った。ここに歌を詠みんだ、
み吉野の 袁牟漏(をむろ)が岳に       吉野の奥の袁牟漏岳
(し)鹿(し)伏すと たれぞ大前に(まを)す    いのししや鹿が多いと
やすみしし わが大君の       お誘いしたのは何者じゃ
猪鹿待つと (あ)(ぐら)(いま)し       呉床に(ま)して(しし)鹿(しか)
白妙の (そで)(き)(そな)ふ          出てくるやつを待っていりゃ
手腓(たこむら)に 虻掻(あむか)きつき      虻が飛びつき手腓に 食いつくところを飛びついて
その虻を (あき)(づ)早咋(はやぐ)ひ        蜻蛉(とんぼ)がぱくっと食い殺す
かくのごと 名に負はむと   これは蜻蛉の国の名を、自分の名にして仕えようと
そらみつ 倭の国を         忠義を尽くしたものだろう
蜻蛉(あきづ)島とふ
だから、その時から、その野を阿岐豆野というのである。

  大君の手腓(てtaむら)に虻がくらひつく(あき)(づ)早咋(はやぐ)ひその名を呼びき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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