暖かである。
文庫版の松下竜一『私兵特攻 宇垣纏と最後の隊員たち』を読んだ。昭和天皇の玉音放送があっての後、特攻に向かった宇垣長官とそれに従った若い隊員たち。なぜ宇垣は若い隊員を引き連れて死への飛行を実施したのか。宇垣たちだけではない終戦の後の特攻などの謎に取り組んだルポルタージュ。寺司勝次郎の追跡調査が中心テーマのように書かれるが、筆者は松下竜一であり、その点でも変わっているのだが、やはりこの「私兵特攻」とも言うべき事態をどう見るかが、読者それぞれに問われている。戦争が終わっているにもかかわらず若者を死に導いた宇垣を許せるのかどうか、命令が絶対だった、反意を告げることもできない純粋な若き隊員たちの姿が戦争経験のない私には痛烈な問いが課せられているように思われる。それは、実際に戦争が行われている世界を思うと、よりつらいものであった。
宇垣ら特攻には二人乗りの彗星が使われている。宇垣は、その彗星に3人目として乗り込んだのだ。ちなみに彗星は、太平洋戦争に於いて日本海軍の飛行機の中で私のもっとも好きな機種である。
冬の木の枝移りつつ小雀がちひさく鳴きをり枝をゆらして
水木の枯たる枝に雀ゐるふるへて鳴くか枝動かして
木を移り枝を移れる雀ゐるてっぺん近き枝に鳴きをり
『論語』陽貨四 孔子、武城に之きて絃歌の声を聞く。夫子莞爾として笑ひて曰く、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用ひん。」子遊対へて曰く、「昔者偃や諸れを夫子に聞けり、曰く、「君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易しと。」孔子曰く、「二三子よ、偃の言是なり。前言はこれに戯れしのみ。」
孔子にても弟子を前にし揶揄したることもあるべしそれも聴きにき
『古事記歌謡』蓮田善明訳 九八 オホハツセワカタケルノ命
阿岐豆野に行幸して、狩りする時に 天皇が椅子に倚っているところへ、虻が来て天皇の腕にくいついたのを、蜻蛉が来てその虻をくって飛び去った。ここに歌を詠みんだ、
み吉野の 袁牟漏が岳に 吉野の奥の袁牟漏岳
猪鹿伏すと たれぞ大前に奏す いのししや鹿が多いと
やすみしし わが大君の お誘いしたのは何者じゃ
猪鹿待つと 呉床に坐し 呉床に坐して猪鹿の
白妙の 袖着具ふ 出てくるやつを待っていりゃ
手腓に 虻掻きつき 虻が飛びつき手腓に 食いつくところを飛びついて
その虻を 蜻蛉早咋ひ 蜻蛉がぱくっと食い殺す
かくのごと 名に負はむと これは蜻蛉の国の名を、自分の名にして仕えようと
そらみつ 倭の国を 忠義を尽くしたものだろう
蜻蛉島とふ
だから、その時から、その野を阿岐豆野というのである。
大君の手腓に虻がくらひつく蜻蛉早咋ひその名を呼びき